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第三話: 新しい職場は何もない作業場から始まった

2020年1月7日、会社の仕事初めで6日に会社に行って、新年会と壮行会をして貰いその翌日の23時に羽田空港からバンコクへ。

バンコクからラオスのパクセーに行く飛行機に乗り換えるまでに5〜6時間あるので、1回外に出てみようかとも思ったのですが、12月に1度来た時に少し立ち寄った程度のバンコク市内に1人で出て、飛行機の時間に間に合うのかどうかも分からなかったので1人でスワンナプーム空港で時間を潰す。

いやいや、Google Mapとかあるんだし、別に外出ても良かったんじゃない?
と思われるかもしれませんが、その時はポケットWi-Fiも持っていない、日本の携帯電話だけだったので、次のWi-Fi環境に辿り着くまでが怖すぎて。

2023年の今振り返ると、別に海外定額プラン使って繋いで、アソークまで出てマッサージ受けてターミナル21の吉野家でも行けば良かった(2020年当時ならば、まだターミナル21のフードコートに吉野家があった)んじゃ無いかと思うのですが。

当時は一応、私は仕事でパクセーに向かっていると思っていたので、そんな余裕はありませんでした。

そんなことは言っても、スワンナプームに朝到着して、昼まで何もやる事がないというのは辛いわけで。しかもこのスワンナプーム空港というのが、日本の空港みたいに色んなお店があって、時間を忘れちゃうような場所では無く、飲食店と少しのショップがあるだけで他には何もない場所なので、結局フリーWi-Fiのある喫茶店でパソコンを開いてダラダラする以外に方法がない。

12月にパクセーに行った時は社長と部長も居て、向こうのSEZで手配してくれた日本語を話せるラオス人の男の子と英語を話せるラオス人の女の子を採用していて、それ以外にもワーカー候補が何人かをパートタイムで採用して簡単な作業だけ試しにやって簡単な作業の流れだけ勉強できた。

しかし日本に帰ってから急に、日本語を話せるラオス人の男の子が自分には向いてないから辞めたいと言ってきて、まぁ確かに実際に仕事して貰ったらあまり要領も良くなかったし、日本語が出来ます!って言っていた割には・・・な感じだったので、それならば英語話せる子が居れば何とかなるだろうと、その子だけを頼りにこれからラオスに行く訳で。

確かに多少は英語話せるけど、それ程上手いわけじゃないし、大学で勉強したのだってかれこれ20年前の知識な訳で。それでもまぁ、前職で外国人観光客や日本に定住している外国人のお客様が来たら少し話したり、新宿歌舞伎町のゴールデン街で飲み歩いていた時にも外国人観光客が知り合いの店に飛び込みで入って来た時にお喋り出来る程度の英語力、これってTOEIC何点レベル?スコアが出るの怖いから1度も受けてないですが。

そんな事を考えながらダラダラしていたら飛行機の時間。

プロペラ機である。

LAO AIRLINEのこの小さな飛行機でパクセー国際空港に向かう。

今振り返ってみると、そう言えばこのプロペラ機に乗ったのってこの時が最後なんじゃないかと。2019年の12月もこの飛行機でしたが、その後飛行機乗ったのは全てエアバス機だったからジェットなんだよな。

さて、そんなこんなで15時頃にパクセー国際空港に到着。トゥクトゥクでパクセーでの自宅が決まるまで滞在予定のパクセーホテルに向かう。

ホテルの前の様子。パクセーの中でも旧市街に位置するので、建物の雰囲気はどこと無くヨーロッパっぽい。

ホテルに荷物を置いて、ホテルのWi-Fiに繋いで同僚の英語が話せるラオス人に連絡。ホテルの上にあるレストランで軽く打ち合わせと、これから宜しくという意味で食事をして、その日は終了。

翌日、会社の前で待ち合わせてSEZの担当者から鍵を受け取って改めてこれから働く仕事場を確認。


・・・何もない、真っ白な空間がそこにはあった。


私: ねぇ、ティプさん(英語が話せるラオス人)・・・

とりあえず、椅子とテーブル買ってこようか?

ティプさん: そうですね。事務所を作りましょう。

この真っ白な作業場を見た時に感じたのは、俺たちの冒険はここからだっ!みたいな感じでは無く、

これ本当に大丈夫なのかな?

であった。

続く。

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