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無名の無茶

航海

映画「演者」が完成して各映画祭へのエントリーもひと段落した。
その次に何が出来るのかと言えばもう映画の公開しかない。
自主制作映画は年間で数百本製作されていて、その中で公開される映画というのは数パーセントだと耳にした。
どうやって数えているのか、どういう計算なのか皆目わからない。
でも実際にそこにいる肌感覚で真実味のある話だなぁと思う。
それほど公開するということは簡単なことじゃない。

上映には主催がいる

映画上映は興行だ。チケットを発売して興行収入になる。
興行には必ず主催がいる。誰の興行なのかがハッキリとある。
誰もが知っている映画館で観る映画のほとんどが主催は映画館ということになる。昔の映画館は本社の会社名が〇〇興行というのが多かった。今もいくつもそんな会社がある。いわゆる劇場運営だ。
つまり普通の映画館で公開するのであれば主催である映画館に選んでもらわなくてはいけない。

もちろん上映する機会はそれだけではない。
例えば学校の芸術鑑賞だとか映画祭のイベントだとかそういうものは主催が会場ではない。
企画側が主催で企画側が映画の上映料金と会場費用を支払って興行をする。
その形式を採用すれば自主上映も可能ということになる。
会場を借り切って、宣伝して、上映会を開く。
実はこのやり方は長く劇団の制作をした僕にとっては一番簡単な方法かもしれない。
演劇は基本的に劇場費を支払って自分たちが主催で興行をうつ。
ただそれは経験した僕だから簡単だと言えるだけで実際にはそれもそんなに簡単なことじゃない。
会場費用、宣伝費用を計算して、それに対してチケット収入から何人動員すれば利益分岐点になって、と予算から組み立てていくことになる。会場を探して抑えるだけでも実際にはいくつもの壁がある。
それに映画館のスケジュールに載らない映画は情報が自分たちだけからの発信になってしまうというデメリットもある。ふらっと映画館に足を運んでたまたま観てみたなんてお客様との出会いがほとんどなくなる。

映画館で上映してもらうこと

一人でも多くの人に届けたいと願うのであれば、やはり映画館で通常の劇場公開が出来るように進んでいく方が良い。
でもじゃあどうやったら映画館で上映してもらえるのかという問題になる。
例えば映画「演者」をシネコンで上映して欲しいと思ったとしても、それはとっても難しいことになる。僕が直接アポイントをとって話しに行っても不可能。シネコンは基本的に法人の配給会社からの映画以外は受け付けないし仮に法人でも過去に取引事例がないと監査が入るだろう。

劇場公開は基本的に映画館が主催。いくつかの特例を除けばチケット収入の約半分が映画館の収入になる。映画館だって営利団体なのだから売り上げがないと成り立たない。だから信用が必要になる。
僕のように初長編作品を個人で持ち込んでも、その信用を得ることはとっても難しいことだと思う。例えば作品を観てもらって気に入ってくれたとしても、世間的に無名の監督と無名の俳優の映画で宣伝計画もよくわからない映画であれば数多くの上映予定作品の中で二の足を踏まれてしまったとしても仕方のないことだ。

映画「セブンガールズ」を劇団前方公演墳で製作したときは配給会社に入っていただいた。世間的には無名だけれど、配給会社が間に入れば一定の信用になる。すでに関係性も出来ているし今後の関係性もある。ここが配給するならと検討してくれることだってあったはずだ。多分、それがなければ公開することは出来なかったと思う。大きな恩だ。

豊田利晃監督を手伝っていたときに映画「破壊の日」と映画「プラネティスト」両作品の配給の手伝いをしたけれど、配給会社ではなく製作会社がそのまま配給もした。でもそれは監督と映画館との関係性が大きな信用になっていたからだ。豊田監督作品への信頼の高さを何度も感じた。今年も監督から届いた疫病退散のお札を全国の映画館が飾っている。SNSにもたくさん写真がアップされている。
結果的に「破壊の日」が全国のミニシアター50館以上で上映されたことは、今考えてもすごいことだよなぁと思う。越えた瞬間は本当に嬉しかったなぁ。

天よ我に艱難辛苦を与えよ

自主制作映画の多くが公開に辿り着かない理由はわかったと思う。
大きな映画祭で受賞して配給会社がついて、なんてことがない限りそもそも高い壁が存在している。
配給会社は興行収入の数割という契約になる。良い作品はもちろん探しているはずでその中から大きくなくてもスマッシュヒットを打てれば良いという考えもあると思う。だからいくつかの配給会社に連絡を取って作品と資料をみてもらって、という段階が必要なのかもしれない。
それがそんなに簡単じゃないことはわかると思う。
もちろん知っている人にコネクションを使って繋いでもらってということは出来なくもないのだけれど、それでも難しいかもなって思う。
資料ぐらいいくらでも作るけどさ。

いずれにしても高い壁が存在している。

同じ高い壁なら。
僕はあえて自社配給に挑戦してみようと考えている。
自社?個人なのだから自主か。
全国上映したい!なんて口で言うのは簡単だけれど、それどころか公開できるかどうかも危うい困難な道を選ぶことにする。
監督も俳優も無名。無名の無茶。
まぁ、海外の作品を探し回っている配給会社からすればそんな作品は山ほどあるじゃんか!なんて啖呵を切ってみる。

これは絶対なんだぜってわかったことが一つある。
それは熱意だ。
どんなに製作費がすごくてたくさんの人間がかかわっていてCMをばんばん打ってる映画だって、熱意があって熱意が伝わらなければ結局なににもならない。
映画は興行という営利行為だけれど、数字や金銭で割り切れるものじゃない。
別に根性論を言っているわけじゃなくて、僕が実際に映画でも演劇でも音楽でも絵画でもなんでも感じてきた事を言っている。
そして僕が今日まで関わってきた中で体感したことでもある。
必ず熱意は伝わる。その先にしか道はない。そこにしか答えはない。

一人でも多くの人に届ける。
無名の無茶が始まった。

へへへ。やぶれかぶれさ。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。