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いつもいつでも上手くいく。保証はどこにもないけど。


人は誰でも腹が減る 

ネットフリックスでかなり興味深いドキュメンタリーを観た。

 アフリカの元少年兵・マフィアの組長・ロシアの麻薬組織・不法国境越えを目指す人々は何を食べているのかという番組。
もともとドキュメンタリーは好きで、刑務所系・麻薬系・鮫の生態系は大好物なのだが、その中でも食に関するものは特に面白い。
 何故それが面白いのか、私が食い意地が張っているのかもしれないが、多分番組でも何度が出てくるように【人は誰でも腹が減る】からなんではないかと思う。刑務所や麻薬や鮫といった部類は、直接的に自分の人生とつながる部分が限りなくゼロに近いが、食べるといった行為は少なくとも1日に1度は経験をし、1年生きればまぁ少なくても365回は経験しているわけで、私達と食べるは切ろうに切れない関係なのだ。

 観終わった感想は、虚無感に等しい。あくまでも知らなかった世界を知ることが出来たといっただけで、今後私の人生に何かしら影響をすることはまずないだろう。
 だけれども、改めて今在る環境は物凄く恵まれているのかもしれないと思った。だからなんだと言われれば、なんでもないのだが。

最後に食う飯は?

最後の晩餐となるなら絶対にステーキとライスがいい。
そんな声がテレビの向こう側から聞こえる。(別番組)
ステーキは少なくとも私が生まれた時代からは、ずっと変わらず
“ご馳走”とされてきた。色々な食べ物が増えて調理方法が増えただろうに、それでも安定のご馳走枠のトップを走り続けている。

 私はずっと最後の晩餐はお母さんのおにぎりがいいと思っていたけれど、お母さんには大変申し訳ないのだが、出来れば高いお寿司と旨い酒が飲みたいと今は思っている。だってもう最後なら贅沢したいじゃない。

 夫だったらなんと答えるだろうか、ふとそんな事を頭が過ぎったが、即座に「私が作ったオムライスだな」と思った。これは惚気でも自慢でもなんでもなく事実だ。何を食べたいかと聞けば、よほど具合が悪くて腹でも壊していない限り確実にオムライスと返ってくる。そんな人間が逆に最後の晩餐にオムライスを選ばないなんて、オムライスを食べる資格はない。一生食べてはいけない。実際に訪ねてみたら「作ってもらったオムライスかな」と答えた。もう一度言うが、これは決して惚気でも自慢でもなく事実だ。

 ほんの一瞬、ならば私も最後の晩餐はこの人と一緒に食べるオムライスがいいのではないだろうか、もう今日で世界が終ってしまうけど最後の瞬間まであなたと一緒に過ごすことが出来て幸せだった。私が作ったオムライスを美味しいと、この世の終わりの日の本当に終わりの瞬間に言う姿が見れたら幸せかもしない、もしかしたらこれが幸せなのかもしれない。
 ※幸せについては年に何度か考えるのが趣味のようなもので、今回もその一環だ。ただのくだらない話なのであまり気にしないで欲しい。※

 なんの話か自分でもよく分からなくなってきた。着地点が見当たらないのは悪い癖。無理やりに〆るのならば、こうだ。

 けれどやっぱり私はオムライスではなくて高いお寿司が食べたい。これでもかと言う山盛りのウニとボタンエビを食べたい。バカみたいにエビの頭をチューチュー吸って日本酒を飲んで、その瞬間を迎えたい。

見事なまでの胴体着陸をしてしまったが、せっかくなのでアップする。

御清聴、感謝申し上げ奉ります。


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