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自分の中の”神様”に向かって書く

いきなりスピっぽいタイトルですみません。でも、文章の話です。

梅の花が散り、空の上の方が透明になり始めると、ああ、春だなあ、と思い、重たい雨が降る日にはまだまだ冬だなあ、と感じる。やっと2019年が訪れたような気分。

2018年は修行の一年だった。小説も出たし、オンラインサロンやnoteの有料マガジンを始めたりして、「上々じゃん!」と思われることも多かったが、とにかく私にとっては苦しい、試行錯誤の日々だった。書いて書いて書いて書いた。小説の書き方がわからなかったから、とにかく、自分にぴったりとハマる書き方を求めて、毎日原稿用紙を無駄にした。3年前からやっていることだけど、納得のいかないものをとりあえず完成させるために3年間むだに頑張るのと違って、具体的にどうすれば自分にとっての創作の型が作れるのか、それを探し求める日々だった。

納得のいく成果物もあったし、納得のいかないものもあった。編集者ともめたものもあったし、泣く泣く引き下げ(それは大抵の場合私が書くものが性的すぎるという理由だった。ー官能とポルノの違いもわからなくなっちまったのか?今のインターネットを作ってる人たちは)たこともあった。

だんだんできるようにはなってきたけれども、それでもまだ、納得のいく型が形作られているわけではない。もっともっと、色々と試す必要がある。書く必要がある。


最近、オンラインサロンで、とある生徒さんと、彼の「書く」という行為そのものについての話し合いをしていて(一応、『教える』という形をとってはいるけれど、私が教えられることなんてあまりないと思っている。本当に)「なんのために書くのか」ということをよくよく考えることとなったのだけど、私にとって書くという行為は、結局、

”自分の中の神様に向かって祈る”

ことに他ならないと改めて感じる。

そしてそれは割とどんな書き手にも言えることなのではないか、と思う。


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