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戦国のエトランジェ 1宿命の女

 まだ子供だった頃、故郷の村に来た顔相を占う商いをする者がわしの顔を見ていったのじゃ。たいそう意味ぶかげな顔をして一呼吸するとわしの肩をがっしりと掴んでこう告げた。


「佐吉殿…そなたは賢く美しい。そなたの行く末は眩いばかりに開いておる…だがそれなのに女難の相が邪魔をして悲惨な末路が待っている…そうなりたくないとお思いなら女子 には慎重になりなされ」


 わしは自分で言うのも何なのだが、周囲の人々を騒つかせるほど目立つ容貌を持っていた。でもだからと言って女子に特別関心があるわけではなかった。むしろあんなことを言われたせいで恋というものにひたすら警戒していた。元服と同時に主君・羽柴秀吉公の弟である秀長様の配下である宇田頼忠の娘・綾との縁談があった際にはすんなり受け入れたのもそのためだ。綾はよく尽くしてくれる良い妻だ。何の不満もない…ただ妻にわしが抱く感情は愛とか恋とかいうものではないのも残酷な事実だ。わしは怖かった「宿命の女人」に出逢うことが…


 賤ヶ岳の戦いが終わりもうすぐ敵将・柴田勝家の北ノ庄城が落城するというある日、わしは「隠密に」という命令の下、人を払った主君の前に呼ばれた。

「え…それがしがございますか?」


「そうじゃ佐吉いや三成そなたがお市の方様と姫君方を救うのじゃ」


「何故にございますか?…それがしは気が進みませぬ」


「そなたは美しく女好きのする顔じゃ。そなたが女子を不必要なまでに避けているのは知っておるが、そなたのような優しく凛々しい顔立ちはお市様や姫君方の緊張を和ませるだろう…よいか三成、わしはお市様や三人の姫君方まで殺すわけにはいかぬのじゃ。由々しき命令じゃぞこれは」


「は…左様でございますか」


 主君の命には逆らえない。わしは悲鳴と怒号が飛び交う北ノ庄城の血塗れの阿鼻叫喚地獄の中を極めて無関心に肅々とお市の方母娘のいる居室に向かって進んだ。城中を案内してくれた侍女が立ち止まってひざまずく。


「ここが御方様と姫様方のおられる部屋にございます」


 緊張のあまり息を飲み込んだわしに次の瞬間若い娘の悲鳴のような怒声が耳をつんざいた。




「嫌!嫌です母上。母上を残して城を出るなんて…考え直してください」


「…お茶々、あなたももう子供じゃないのだから、どうか母の最後の頼みを聞いておくれ。長女として妹たちの行く末を考えて母の代わりに面倒を見ておくれ」


「母上の代わりに?ではわらわが猿めの側女にでもなって初と江の面倒を見よというのですか!そんなの母上の身勝手です、酷うございます!」


「…母はもう若くないのです。お茶々、そなたは酷いと言うけれども猿の側女になって子どもでも産めばそなたの前途も安泰なのですよ。武家の女の身の処し方はそのようなもので、好いただの、惚れただのと言う世界は庶民の身の処し方です。母はもう疲れました。母は信じていますよ、姉としてそなたが妹たちの行く末を導いてくれることを…」


 お茶々と呼ばれている姫君の返事はなかった。そして侍女がひざまずき、わしが息を潜めて突っ立っていた部屋の襖がガラッと勢いよく開いた。


「…なっ、なんじゃそなたは?」


 多分この女性がお茶々と言われていた姫君なのだろう、とわしは慌てて這い蹲り口を開いた。


「は、それがしは羽柴筑前の守秀吉が家臣、石田三成と申します。主君が命により、お市の方様と三人の姫君方のお迎えに参りました」


 正直言って同じ近江が故郷と言っても、この姫君たちの父親である浅井長政は、我が家の主家であった北近江の守護・京極氏を守護から引き摺り下ろして戦国大名になった浅井氏の当主である。戦国の世ではよくあることであるし、「仇敵の娘」と言うほど恨んでいるわけではないが、姫君たちに特別な同情心もない…と思っていた。


「おっ面を上げよ」


「…は?」


 姫君に言われた通り面を上げる。するとお茶々と呼ばれていた姫君であろう姫は、整った愛らしい顔でじーっとこちらを見て、顔を赤らめもじもじし始めた。


「いっ石田三成…では、猿はわらわたちをどのように処遇するつもりじゃ?」


 主君秀吉様は「天下第一番の生まれつき」と誉れ高いお市の方にご執心である…という噂は聞いたことがある。だがそのお市の方の三人の娘はどうするつもりかは聞いたことがない。まあ多分養女分として政略の駒に使うのであろうか。だがこんなところで、しかも当の姫君相手に己れの推測を述べるわけにも行かず、どうしようと思い悩んでいるうちに勝手に口が開いた。


「殿は主筋の姫君として丁重に扱うものと存じます。ましてや姫君を側女になどという卑しきお考えは毛頭ないものと信じておりますれば。何か困ったことが有れば何なりとこの三成にお申し付けくださいませ…」


 自分の口が吐いた言葉にぞッとした。己れに何ができるというのか…いや何でこんなことを言ってしまったのか…ということに自分で自分に混乱した。しかしながら姫君はその言葉にさっきまでの怒りと動揺を忘れたようにうっとりとわしを見つめている。遠い昔に「女難の相がある」と言った顔相見の言葉が頭を一瞬過ったが、まさか己れが身分違いの姫に恋をするとは思わなかった。


「信じて良いのじゃな…」


 茶々姫の眼はうるうるとしたものが光っている。ダメです、信じてはなりませぬ…とわしは言うべきであった。言うべきであったけれど言えなかった。言えばこの姫は妹たちを道連れに母に殉じることが分かっていたから。どうすれば、どうすれば、良かったのだわしは…


「…言葉に偽りはございませぬ」


 茶々姫の目に生き生きとした光が灯る。その時お市の方らしき女性が襖の奥から出てきて姫とわしを交互に見て言った。


「良かったのう、お茶々…そなたの恐れることは何もないそうじゃ。三成とやらくれぐれもお茶々を頼んだぞ。そして三人の姫のこと、主筋だから大切にして欲しいと筑前に申しておくれ」


 お市の方はそう言うと三人の姫君を襖の外に押し出し、襖に鍵をかけた。


「はっ母上…」


 茶々姫が叫んだが先程ほどの鋭さはなかった。そしていつのまにか己れの手に柔らかい感触が握られていた。それは茶々姫の手であった。


「行きましょう、三成」


 潤んで輝く茶々姫の眼差しが己れの胸を痛いほど鮮烈に貫いた。その時思ったのだ。わしはこの姫を生涯かけて守らなければならない、と。己れの身を滅ぼすという占い師の言葉は頭から消えていた。


 わしが三人の姫を北ノ庄の城から助け出した後、一夜経った朝方、城主柴田勝家とその夫人お市の方は自害し、天守は爆薬を積んでいたのか轟音とともに砕け散った。無論柴田勝家とお市の方の遺骸は見つけられなかった。そう言えばわしはお市の方も救い出せ、という命令を忘れていた。そこでどんな顔をして主君に会えば良いのか分からなかったが、「救い出した姫たちをわしの前に通せ」という主君の命令に逆らうわけには行かなかった。


「申し訳ございませぬ。お市の方は…」


「まあ良い三成、美しい姫たちをよう救い出してくれたわしは嬉しいぞ。ところで…」


 主君の目がわしの手元に注がれる。茶々姫はどこへ行くにもわしの手を握って放さなかったのだ。


「随分と気に入られたものだのう三成…よし、今日からそなたを茶々姫の世話係に任じよう。姫、もし不足なことが有れば何なりと三成に申せられよ。不足なことは三成がなんでも叶えて差し上げるほどに」


 それを聞いた茶々姫はホッとした様子だ。


「…はい、それはもう茶々は三成殿を頼りにしております!」


 一瞬の隙だった。まさか主君の前でそのようなことが起こるとは思わなかった。姫に唇を奪われた。