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音楽のこと、政治や社会問題など、 思いついたことをまとめます。 公園でチェロを弾くのが…

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音楽のこと、政治や社会問題など、 思いついたことをまとめます。 公園でチェロを弾くのが趣味です。 https://youtube.com/playlist?list=PLSn6nm3sW1gU1X3LzPQN_NIvDbqoRoA31&si=jKH2jnQSSHCDEQc-

マガジン

  • バッハのあれこれ

    バッハは父です。

  • モーツァルトのあれこれ

    小学生の時の夢はモーツァルトの骨を発見することでした。

  • チェロのあれこれ

    バッハのおかげで死ぬまで飽きないでしょう。

  • ビートルズあれこれ

    ビートルズには誰も勝てない

  • メンデルスゾーンのあれこれ

    クラシック音楽の歴史はメンデルスゾーンの前と後で区分けされます。

最近の記事

バッハ自身の編曲か、それとも……   ペルゴレージ作曲「スターバト・マーテル」のバッハ編曲「詩篇第51番」(BWV1083)をめぐって

「 詩篇第51番 わが罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ」 BWV1083、というバッハの中でも結構マイナーな曲がある。 実は結構好きな曲なのだが、 この曲については以前から疑問に思っていたことがあり、 この機会にそれを思い出したので調べてみた。 演奏によって曲の終わり方に違いがある、それはなぜか、ということ。 ▼ バッハの作品番号が付いているが、 これはもとはイタリアの作曲家ペルゴレージが作曲した曲「スターバト・マーテル」で、 それをバッハが結構忠実に編曲したものが、こ

    • 再生

      鳥のさえずりとチェロ

      バッハのチェロ無伴奏4番サラバンド。 桜が散ると新緑が一気に広がる。野鳥もさえずりまくる。近所の公園の林のなかでチェロを弾く幸せ。まさに楽園。ただし毛虫や蚊が出てくるまで(^_^;)

      • モーツァルトのフーガのすごさ

        最近、モーツァルトのフーガの技はとんでもなくすごい、と感じる(音楽的な分析などできないのでただ感じるだけだけど)。  ↑ ここで紹介されている交響曲41番《ジュピター》の第4楽章はまさに典型的だが、  ↑ 《魔笛》の序曲の楽譜を見て「あれ、これフーガなんだっ?!」と気がついた時の驚き(←気がつくのが遅すぎる^^;) 他にも、《レクイエム》の「キリエ」「ドミネ・イエス」の見事すぎるフーガ、などなど。 フーガってバッハであれベートーヴェンであれシューベルトであれ, ” い

        • ヘリニモマケズ

          ある日、公園で弾いていたらヘリコプターの轟音が。 米軍機か、自衛隊か。 住んでいるところは北には横田基地があり、南には厚木基地があり、 軍用機が行き来する光景もよく見かける。 ちなみに弾いていたのはバッハの4番ジーグ。 ヘリニモマケズ             たこすけ ヘリ ニモ マケズ ヤブ蚊 ニモ マケズ 毛虫ニモ 夏ノ暑サ ニモ マケヌ ズブトイ メンタルヲ モチ 才能ナク 決シテ 基礎練セズ イツモ ウルサク サラッテイル 一日ニ 練習

        バッハ自身の編曲か、それとも……   ペルゴレージ作曲「スターバト・マーテル」のバッハ編曲「詩篇第51番」(BWV1083)をめぐって

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        記事

          「公園でチェロ無伴奏」

          公園でチェロを弾くようになったのは、 直接のきっかけはコロナ禍だったか。 学校が休校となり、家族が家にいるようになると、「チェロうるさい」「ミュートして」という声が。 仕方なく晴れている日は近所の公園にチェロを持ちだして弾く、というのが一つの日課となった。公園も人が少なかった。 外だから当然音は響かない、下手さ加減が丸出し。 夏は暑いし、冬は寒い。 暑さも寒さも直射日光ももちろん楽器には良くない。 音は人によっては本当に迷惑なものになりうるので、近くに人がいるところではやれ

          「公園でチェロ無伴奏」

          「無伴奏フルートのためのパルティータ」からサラバンド 3.11に

          バッハの「BWV1013無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調」の第3曲のサラバンド。 原曲から2オクターブ下げてチェロで弾いてみた。 今日は3月11日。 ネット上で付き合いがあったアマチュアのフルート吹きの方は釜石市に住んでおられて、そして3月11日に津波で亡くなられた。 このサラバンドは以前からネットで自分の下手な録音をアップしたりしていたのだが、それに対して「チェロで聞くこの曲もいいものですね。」というあたたかいメッセージをいただいたこともあった。 3月11

          「無伴奏フルートのためのパルティータ」からサラバンド 3.11に

          ポール、来日公演の思い出

          ▼ 1990年2月28日はポール・マッカートニーがソロになってからはじめて来日した日だったらしい。 今年こそポールにまた日本に来てほしいよ。 そんなわけでビートルズ関係の思い出を一つ。 ▼ 1993年11月のポール・マッカートニーの来日公演、東京ドーム、友人が「チケット一枚余ったから」と誘ってくれたので行ってきた。 アリーナ席で、ちょうど前後では真ん中あたり、ステージを右45度で見る、というような位置だった。 ステージを取り囲むように、すさまじい高さで映像を映し出す

          ポール、来日公演の思い出

          メンデルスゾーンの前と後で音楽史は区分される

          ▼ メンデルスゾーンには色々な顔がある。 音楽史の本など読むと、メンデルスゾーンの功績は、”《マタイ受難曲》を蘇らせてほとんど忘れられていた存在だったバッハを復活させたこと”などが紹介されていたりするが、単にそれだけじゃない。 メンデルスゾーン自身が19世紀のバッハだったと言える。 ▼ たとえば、 バッハの《マタイ受難曲》で一番有名な「血潮したたる主の御頭」というタイトルのコラールがある。曲の要所要所で、調や和声が変えられて、5回も歌われれ、《マタイ受難曲》の象徴的な旋律

          メンデルスゾーンの前と後で音楽史は区分される

          バッハのチェロ無伴奏6番サラバンドについて オルガン編曲版を見つけた

          バッハのチェロ無伴奏6番のサラバンド。 弾くのも聴くのも超大好きな曲。 最近テレビドラマの『さよなら、マエストロ』でも第二話で効果的に使われていて嬉しかった。 ▼ 譜面ヅラから分かる通り、この重音を完全に譜面通りに弾くことはチェロでは不可能だ。チェロでは3つ以上の音を同時に弓で弾くことはできない。 ▼ もともとバッハの頭の中ではオルガン曲のイメージだったんじゃないかなと以前から思っていた。 ふと思い立って探してみたら、まさにこれこれ、というのがあった。 オルガン編曲で

          バッハのチェロ無伴奏6番サラバンドについて オルガン編曲版を見つけた

          団員の給与の大幅賃上げを実現!エライぞ、メンデルスゾーン

          2月3日はメンデルスゾーンの誕生日。 1809年2月3日なので215歳。 せっかくなのでメンデルスゾーンにまつわることをいくつか。 ▼ オケ団員の賃上げに奔走するメンデルスゾーン メンデルスゾーンの手紙の抜粋。 ここで出てくるオーケストラとはゲヴァントハウス管弦楽団。 「500タラー」とはどれくらいになるんだろう。 ネットでさっと調べたら「1タラー=4,500円くらい」とか「幅を持って数千円」とかあったが、それで日本円に換算すると、なんと225万円! 手元にあるこの本や

          団員の給与の大幅賃上げを実現!エライぞ、メンデルスゾーン

          1月27日はモーツァルトの誕生日

          1756年1月27日、モーツァルト生まれる。 モーツァルト関連の本はたくさんあるが、自分が最近読んだものの中では《モーツァルトの最後の四年間(クリストフ・ヴォルフ著)がかなり面白かった。 特に自分的にはモーツァルトとバッハとのつながり、という側面がやはり興味あるところなので、以下、かなり以前になるが、連ツイしたもの ↓ ①《モーツァルト最後の四年》byクリストフ・ヴォルフ、を読んでいる。1789年に旅行でライプツィヒを訪れ、バッハが活躍したあの聖トーマス教会でオルガンコ

          1月27日はモーツァルトの誕生日

          歴史上初めての”バッハづくし”のオルガンコンサート by メンデルスゾーン

          ▼ メンデルスゾーンとバッハとの関係では何といっても1829年の『マタイ受難曲』の上演があげられる。これは有名な話。 一方、メンデルスゾーンは(おそらく)史上初、”バッハづくし”のオルガンコンサートを行った人でもある。 以下の話は、小学館の『バッハ全集』の9巻におさめられている星野宏美さんの「楽器の王、バッハの楽器ーーーメンデルスゾーンのチャリティーコンサート」という論文による。 あるチェリティーコンサートが1840年8月6日、ライプツィヒの聖トーマス教会ーーーあのバッ

          歴史上初めての”バッハづくし”のオルガンコンサート by メンデルスゾーン

          『レクイエム』と「アーメン・フーガ」

          (以下の文章は、2022年10月30日のバッハ・コレギウム・ジャパン(指揮鈴木優人氏)によるモーツァルト作曲の《レクイエム》をネットで視聴した直後に書いたものです) 演奏前に指揮者の鈴木優人氏の解説があった。 モーツァルト自身の筆によって断片、スケッチとして残されていたいわゆる「アーメン・フーガ」がある。モーツァルトの突然の死で未完となった《レクイエム》の中には取り入れられていないものだが、「ラクリモサ」の終わりに持ってこようと思っていたのでないか、ということで何人もの音楽

          『レクイエム』と「アーメン・フーガ」

          モーツァルトの絶筆は本当に「ラクリモサ」の8小節目か?

          モーツァルトは1791年12月5日の死の直前まで《レクイエム》を作曲していて、途中の「ラクリモサ(涙の日)」の8小節目が絶筆となった、というのはよく聞く話。「モーツァルト 絶筆」などで検索するとそうした説明をしているページをよく見る。 しかし、そうではない違う可能性もある。 ▼ 実は”絶筆”は「オスティアス」の終結部分ではないか? 自筆譜をきちんと見ると、じつは「ラクリモサ」でおわっているわけではなく、次の 「ドミネ・イエス【主イエス】」、さらに次の「オスティアス【賛美

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