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いぬのこと②

前回の続きから。

断っておくと、会話が出来ないってのは比喩ではない。
今まではこちらの意思を伝えるようとすることも、彼女からの意図を感じようとすることも。
その僕の想いそのものが人生の大きな楽しみの一つだった。

小3の冬に我が家にやってきて以来、楽しいときはそれは楽しそうに。悲しいときはさぞや悲しそうに。
言葉を使えない大きなハンデなんてなんのその。
全身で表現する素直な彼女はとても眩しかったが、おそらく今や嗅覚以外の感覚がごっそり無くなってると思われる。
どこぞのRPGのように家の壁や家具にぶつかっても進み続けようとするし、今まではどんな小さな物音も逃さなかったが、横でどんなに大きい音を立ててもそれはそれは凛とし続けているから多分そうだ。

そうなると彼女との意思疎通は過去の傾向からの予測が主になるが、今や常に不機嫌な彼女はなかなか思うように動いてくれない。
え?更年期を過ぎた親の介護ってこんな感じなの?と絶望的になるし、超絶ムカつく瞬間も余裕で訪れる。
これはなかなか厳しいことなんだが、そんな中でも僕は出来る限り楽観的に捉えるようにしてる。

犬でも人でも。
今回は、介護を控えている全人類への警告にもなる。
介護は楽しめるだけ楽しんだ方がいい。

家族の帰宅を察知すれば、一目散に駆け寄っていったのは遠い昔。
僕らの存在に気づくことも起き上がることすらなくなった。
最近は彼女が眠りから覚めると悲しい鳴き声をあげるから起こしに行く毎日だ。それは昼夜を問わない。
あの鳴き声がどんなアラームより簡単に僕を布団から引っ張り出す。
彼女は女王様で、僕らは文字通りの僕たち(しもべたち)だ。

ほんでもって、あなたが呼んだからこちらが猛ダッシュで起こしに行って差し上げているのに、彼女のおしりを支えてやると低く唸り声をあげて嫌がる。目が見えないから不安なんだろう。
そんな時は「女の子のおしりは簡単に触っちゃいけないよね〜奥さん」と心の中でうんこ井戸端会議を開くようにしてる。

立てなくなってきた頃から、真っ直ぐ歩くことも難しくなっている。
骨の歪みなのか、認知症が原因だったりもするらしいが、右回りに同じ場所をクルクル周りステンと転けるのが今の日常。何かの儀式みたいだ。
ちょっと油断すると壮大に顔から地面に突っ込んで、犬史上初の前回り受け身を披露してくれたりもする。
そういう時は「雨乞いの儀式中にすいませんね〜」と言って支えるようにしてる。

ずいぶん前からオムツをしていて、排泄の際は100%尻餅をつくからいつも通りの、井戸端会議verケツ。
最近は唸り声も聞くことがなくなった。

母親は時々、このまま生かしていていいのか。
痛いなら殺してあげた方がいいんじゃ幸せなんじゃないかと呟くようになった。
でも、個人的にはそんなことはないと思ってる。
それはどこかでそう信じたいだけということも100%同意だが、ご飯をモリモリ食べる彼女を見て、僕は「生きたい」と言ってると捉えることにしている。
会話は叶わないが、そういう意図を勝手に感じとっているのだ。


〜追記〜
書いていたらこんなタイムリーなこともあるんだなだと思った。

つい先日、いつものように自分の部屋に居たら、母親の叫び声が聞こえた。
どちらかと言えばいつも叫んでいる母親だが、その声は普段のそれとは明らかに違って緊急性を帯びていた。
階段を駆け下り、リビングに入ると叫び声は犬の名前を連呼しているものだと分かる。

ナナが痙攣していた。これがまた絵に描いたような痙攣で、加齢で濁った眼も相まって、たったいま漁師の腕で甲板に打ち上げられたカツオみたいだなとやけに冷静な自分を感じた。
3,4分ほどして痙攣は収まり、緊急病院に行くことになった。

車の後部座席で揺られる午前2時。
これからどうなるかは分からないが、膝の上で荒く息をするナナを見て、ウチに来た17年前を思い出していた。あの日と全く同じ情景だったから。

あの時は今よりもずっと収まりがよく膝に座っていたなぁ。

僕の手をふやけるまで舐めていたなぁ。

家族で南砂のショッピングモールに寄ったが、僕だけは車を降りなかったなぁ。

当時の僕は親兄弟と離れるこの子から舐める手までも奪っちゃいけない気がしたんだよなぁ。


死んだ者を不幸だったと思ってはいけない。
僕が好きな言葉だ。
死んだものが不幸でないとしたら、生きてる今も幸せなはずだよね。どう思う?

帰ってくる言葉はなかったから独り言だったということにした。

一緒に生きるってきっとこういうことだ。

あなたのおかげでバイトの時間を減らせます。 マジで助かります。マジで