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朝の儀式 【H・D・ソロー『森の生活』】

日ごとに訪れる朝は、私に向かって、
自然そのものとおなじように簡素な
――あえて言えばけがれのない――
人生を送ろうじゃないかと、ほがらかに呼びかけていた。
私はギリシア人と同様に、
これまでいつも曙の女神アウロラを心から崇拝してきた。
朝は早く起き、湖で沐浴した。
それは一種の宗教的儀式であり、
私のおこないのなかで、
もっともよいもののひとつだった。
湯王の沐浴盤には、
まことに日に新たにせば、日日に新たに、また日に新たなり」
との銘が刻まれていたという。
私にはその意味がよくわかるのだ。
朝は英雄時代をよみがえらせる。

H・D・ソロー著『ウォールデン;森の生活』上・飯田実訳(岩波文庫)

H・D・ソローは、「生活をシンプルにする」ことを絶えず訴えていました。

Simplicity, simplicity, simplicity! I say, let your affairs be as two or three, and not a hundred or a thousand; instead of a million count half a dozen, and keep your accounts on your thumb nail.

なにごとも簡素に、簡素に、簡素に、
と心がけるべきだ。
自分の問題は百とか千ではなく、
二つか三つにしぼっておこう。
百万数えるかわりに六まで数え、
勘定は親指の爪に書きつけておく。

H・D・ソロー著『ウォールデン;森の生活』上・飯田実訳(岩波文庫)
『Walden, and On The Duty Of Civil Disobedience,』by Henry David Thoreau
(The Project Gutenberg eBook)

自然を見渡せば、実に「シンプル」であることがわかります。
そこには、必要ではないものなどない、素晴らしい世界が展開されています。

誰しも、毎日仕事をしていると、作業に慣れてくることから、緊張感もなく、なんとなく惰性でこなすようになってくるものです。
そうなってしまうと、機械的・事務的に仕事を処理するようになるため、知力も注意力もさして働かない状態となります。
そのような現場では、余程大きなことが無い限り、現状維持の状態となるため、現実の出来事にそぐわないような事柄があっても、なかなか改善しようという動きになることはないでしょう。

これが普通の会社員であれば許されることなのかもしれませんが、国の明暗を分けるような判断をしなければならない「為政者」となれば話は違います。
めまぐるしく変化する毎日毎時毎分の出来事に的確な判断をし、最適な対応をしていくことが求められているからです。
為政者の成功や失敗は、国民の生活に直結してしまいます。
それは両脇に深い谷底がある切り立った細い尾根を歩く状況に似ているかもしれません。
立ち止まることも、足を踏み外すことも許されないような厳しい状況ですが、その難題を乗り越えることが為政者には要求されているのです。

冒頭にあるソローの言葉に出てくる「湯王」は、殷王朝の始祖と言われている王のことです。高徳な王として、古くから模範とされてきました。
彼は夜明けと共に起きていたそうですが、顔を洗う水盤に自戒の意を込めて刻んでいた銘が、「日に日に新た、日に新た」だったと言われています。
この言葉を英語で表すと、次のようになります。

Renew thyself completely each day; do it again, and again, and forever again.

『Walden, and On The Duty Of Civil Disobedience,』by Henry David Thoreau
(The Project Gutenberg eBook)

ソローが言うように、「朝」は非常に大切な時間です。

朝とは私が目覚めている時間のことであり、
夜明けは私の内部にあるのだ。
道徳の向上とは、眠りをふり払う努力にほかならない。
(中略)
肉体労働をやれる程度に目覚めている人間ならいくらでもいる。
だが、知性を有効に働かせることができるほど
目覚めている人間となると百万人にひとりしかいない。
詩的な人生、神聖な人生を送れるほど、となると、
一億人にひとりくらいのものだ。
目覚めていることこそ生きていることにほかならないのに。
私はいまだかつて、ほんとうに目覚めている人間には出会ったことない。

H・D・ソロー著『ウォールデン;森の生活』上・飯田実訳(岩波文庫)

ソローのように、毎日、曙の女神アウロラに宗教的儀式をするかのように心身を浄めて、新しい朝=新しい人生を迎えるというのは、なかなか出来ないかもしれません。
それでも、内面の気持ちだけでも、そのような境地で朝を迎えることが出来るのならば、それは素晴らしい一日=素晴らしい人生の始まりとなるに違いありません。

どんな朝を迎えているのか。
それを思い起こすだけでも、自分の人生の過ごし方を知る一つの手がかりとなることでしょう。

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