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大塩平八郎の思想 【「洗心洞箚記」岩波文庫】

大塩平八郎という名前は、誰もが耳にしたことがあるでしょう。
小学校では「大塩平八郎の乱」として教えられるため、誤解されることが多いのですが、単に「乱を起こし世間を騒がせた人」という認識では、全く彼のことを理解していないと言えるでしょう。
当時、庶民が貧困にあえいでいる状況を無視して、米を扱う豪商たちが自らの利益のためだけに、米を売り惜しみして米価をつり上げることが横行していました。大塩平八郎が民衆と共に蜂起したのは、このような世情を見かね、止むに止まれぬ思いからの決断であることを知っておく必要があります。

大塩平八郎は、陽明学を修めた立派な人物です。
それにも関わらず、戦後の歴史教育では、人物の人間性や背景には余り触れず、乱を起こすのは悪いことであり、その首謀者は悪い人という印象をうえつけようとしています。
同様なことは、後鳥羽上皇にも当てはまることで、このように、歴史の背景にある当時の人々の状況や心情などを教えることなく、表層的な出来事だけを覚えるように指導することが当たり前になっています。
このような形で歴史が語られるという事態は、正しく歴史を理解する上で大きな妨げとなっていると言えるでしょう。

『洗心洞箚記』は、大塩が日々実践していた読書の記録です。
それをみると、中国の宋代・明代のあらゆる学者が書いた本に精通していたことがよくわかります。
その中で、「志を立てる(立志)とはどういうことか」と聞かれた大塩は、『孟子』を引用し、「恒産なきものは恒心なし」と答えるところから話を始めています。
これは人民を救済するという、本当の意味での「経世済民」の考え方です。
二千年以上前の古代中国の為政者たちは、人民というものは、その貧しさから、「生活のため」「食べるため」という理由で、簡単に悪事に手を染めることも厭わないという認識をもっていました。
そのような中、孟子は「仁義」の精神を打ち立てたのです。
「人民は貧しくて食うにも困るような状態だからこそ、乱を起こすのだ。まずは食うに困らない世の中にするための経済政策が先だ」と言う意味で、「恒産」(一定の財産)が無ければ、正しい道徳や正義(「恒心」)を貫くことはできないと言っているのです。
大塩は「『恒心』とは何ぞや」と、立志について尋ねてきた相手に対して、問いかけます。
大塩が、その相手に言った答えは、次のようなものでした。

貧賤禍害を以って善を為すの心をへざるなり。

(現代語訳)
たとえ貧しくても、禍いや不幸があっても悪い心をおこすことなく、善なる心を持ち続けなければならない。

大塩平八郎著『洗心洞箚記』岩波文庫P.97

貧しく生活に困る状況にあったとしても、悪事を為すのではなく、「聖学」(立派な人間としての聖人賢者の学問)をする志を立てなければならないと説いたのです。

恒心を貫くためには、恒産が必要であると説いていた大塩は、庶民たちの余りの窮状を見かねて、1837年に弟子たちを引き連れて、大阪で米を扱う豪商を大砲や火矢を使って襲撃しました。
大塩たちが放った火は、大阪の街の5分の1を灰にするほど燃え広がりました。
それでも、豪商たちから奪った米を大阪の庶民に配ったため、「大塩様は神様や!」と泣いて喜ばれたと言われています。
元幕府の役人であった大塩が起こした行動をみて、幕府は慌てて、天保の改革をしますが、1~2年ほどで失敗に終わります。
その後、ペリーが黒船に乗って来航し、江戸幕府は10年足らずで終焉を迎えることになります。

自分の主張を伝えるためとはいえ、暴力という手段を使ったことは、確かに良くないことですが、自分の命を賭して、窮状にあえぐ庶民を救うためにした大塩の行為を、よくある権力の拡大や欲心からの内乱と同じように考えてしまうと、その本質を見誤ることになるでしょう。
単なる反乱の首謀者としてではなく、彼の陽明学者としての一面や思想にもっと目を向け、その主張に耳を傾けるべきであり、その部分こそ子供たちにきちんと伝えていく必要があるのではないでしょうか。

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