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「平均」で満足するな 【J・S・ミル『自由論』】

世論は、個性が際立って示されることに、不寛容intolerantだ。
特に平均的人間は知性も好みも人並みであるため、並外れたことをしたいという好みや願望を持っていないため、強い好みや願望を持つ人を理解しないし、そうした人をすべて、ふだんから軽蔑している粗野で節度のない連中と同類に見てしまう。

J・S・ミル著『自由論』関口正司訳(岩波文庫)P.156

人はなりたい以上の自分になることはできません。
たとえ嘘でも、「日本一になる」「世界一になる」と考えている人は、少なくとも学校で一番くらいにはなれるでしょう。
思うのは勝手です。
心の中は、どこまでも自由です。
何を考えていても、何を思っていても、誰に制限されるわけではありません。
ところが、世の中というものは、人がやろうとしていることに対して、手を替え品を替え、足をひっぱる形で抑制するため、やる気を無くす方向に働くことが多いです。
それは、自分以上の存在になってもらっては困るという大きな力と言えるかもしれません。
相対的に、自分の地位が下がることにつながるからです。
しかし、そのように考えている人に限って、努力して自分が上に行こうとは思わないものです。
自分が努力するのは面倒なことであるため、「出る杭を打とう」と考えてしまうのです。

ビジネスの世界では、「二・八の法則」(パレートの法則)というものがあります。
・売上げの8割は、全従業員の2割の人材があげている。
・仕事の成果の8割は、労働時間全体の2割から生まれている。
など、本当によく耳にする言葉なので、知っている方も多いでしょう。
この法則から派生したものとして、「二・六・二の法則」というものがあります。
これは、働きアリを3つに分類した時の割合を示したものです。
「よく働くアリ」=2割
「普通に働くアリ」=6割
「働かないアリ」=2割
という分布が認められるというものですが、これは、人にも当てはまる構図です。
受験生が志望校の指標にしている「偏差値」も、試験を受けた人の中で、自分がどこにいるかを示す数字です。
当然、受験では上位20%に入るようにしていかないと、なかなか思い通りの結果が出ないでしょう。
受験の世界では常識ですが、東大に受かった生徒は、早稲田や慶應など、受けた大学に軒並み合格してしまう場合が圧倒的に多いです。
これは、国家試験なども同じで、東大法学部に在籍している優秀な生徒は、司法試験や外交官試験、国家公務員試験など全てに合格するのです。
どのような試験であっても、合格する人たちの中で、上位の成績をおさめるのは、このような生まれつき優秀な人たちです。
受験の良いところは、そのような抜群に優れている人たちと同じ土俵で闘うことができることです。
「そこに近づくためには、どうすればよいのか」と、己れの能力の限界まで挑み、試験にチャレンジできるというのは、本当に平等で素晴らしい世界だと言えます。
長い人生においては、チャレンジすること自体に意味があり、結果はさほど重要なものではありません。
不可能と思えることにチャレンジする人は、最高に美しく有意義な人生を送っていると言えるでしょう。

ところが、「普通の人」(人並みで平均的な6割の人)は、このことが理解出来ません。
少しでも上位を目指していこうと話しても、
「何でそんな大変なことをしないといけないの?」
「何でそんな苦労しないといけないの?」
と言うばかりで、向上心の欠片かけらもみられません。
このようなメンタリティーだから、「普通」なのです。
それに加え、より高みを目指して頑張っている人の足を引っ張ろうとすることも多く、難関校を受験しようとしている人たちにとっては、結構タチの悪い障壁です。

80%以上の小学生は、中学受験をしません。
何もしなくても、公立の中学校に行くことができるからです。
その中にあって、難関中学に入学するために頑張っている生徒たちは、本当に偉いです。
彼らには、少しでもレベルの高い大学に行こうという目標があるのでしょう。
そのように常に高い目標と志をもって、日々精進を怠らない姿勢は、受験に限らず、これからの長い人生を送るための「大きな財産」となるはずです。
出来る出来ないに関わらず、とりあえず「上位20%」を目指すだけでも、その後の人生が大きく変わってくるでしょう。
何事にも手間を惜しまず、チャレンジしていく姿勢は、沢山のものを授けてくれるのです。



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