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うまく伝えられないなら伝わる方法を探すしかない

自分が知っていることを相手に分かってもらえるように伝えるのは難しい。
これだけ書いていても、そこのところはあまり進歩できていないみたいだ。
今こそ次の段階にステップアップするときなのかもしれない。

私はこれまで100日以上noteを書いてきたけれど、これは自分が書きたいことを多かった日の方が断然に多い。
中には、読んでくれる人に向けて書いた文章ももちろんあるし、ありがたいことに反響をいただいたこともある。

それでも、意図的に伝えようとしたときに何となく手が進みにくいな、と思ったことがあった。
しかも、それは自分の考えや思いを書こうとした時ではなくて、どこかからの情報を紹介したり、事実を伝えようとしたときにより一層書きにくいと感じていた。
だから、あまりそういう題材は扱わないようにしてきたのだけど、やっぱりそういうことも書いて紹介したい内容もあるのだ。

多分、誰もがそうだと思うけれど、自分は当たり前のように知っていても、実は周りの人は知らなくて、そして必要とされている情報があることがある。
そういうことを伝えるときに、どうしても自分にとっては当たり前すぎて、言葉が足りなくなったり、前提条件の確認を怠ったりして、分かりにくい、あるいは誤解されてしまうような情報を与えてしまうことがある。

どうしたら、私が伝えたいことをそのまま伝えることができるのか。
面と向かって話していたら、相手の理解度を測りながら伝えることができるので、比較的伝えやすいかもしれない。
でも、視覚情報として伝える場合はどうだろう。
文章のみでできるだけ簡潔に、と思うと言葉が少なくなるし、文章も短くなるし、誤解が生じやすくて意図が伝わりにくくなる。
もちろん端的に意図が伝わるように書ければそれに越したことはないけれど、情報量が多ければ文章は長くなるはずだ。

どうしたら視覚的な情報で分かりやすく伝えられるか、二つ考えてみた。
ひとつ目は、情報を小出しにしていくこと。
これは話して伝えることと似ている。
一度にすべてを書ききるのではなく、章立てして、相手の反応を窺って、時間を置いて次の章を書く。
そうすることで話しているのと同じような理解の仕方を得られる可能性がある。
ふたつ目は、図解してみること。
文章だけだとどうしても長くなって読みづらくなるのならば、図解してみるのはどうだろうか。
図解するのには時間も労力も技術も必要だけど、視覚情報として受け取る側には分かりやすいかもしれない。

図解することは、少し前から考えていたことで、でもちょっと手間がかかるので避けていた。
いよいよやったほうがいいんだろうな。
ここまで書いても若干迷っているけれど、結論は一つ。
毎日は無理だけど、やってみるかな。

私が作った図解がいつ出てくるかは分からないけれど、きっといつか出てくるはずです。
そのときはあたたかく見守ってください。

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