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本を買うことに寛容でありたい

今日も子どもが本を買った。
誕生日やクリスマスに親戚からいただいた図書カードを使うので、もちろん最初から私に口を挟む権利はないのだけど、極力その選書にも口は出さないようにしている。

正直、うちの子は同じシリーズの本を買い続けている。
もっと読んでほしい本はある。
世の中にはこの時期に読んでたらいいのではないかという児童書が溢れている。
でも、そんな本には見向きもせずにせっせと彼はお気に入りのシリーズの本を買い続ける。

自分で選んだ本は自分の世界の一部だ。
そこに入り込んだら誰も邪魔はできない。
そういう神聖さが本にはあると思っている。
そのことは、本を読むことが好きだった私だからこそ重々に承知している。
だから、子どもだからとはいえその選書に口を挟むことはしない。

今の時代、インターネットを使って調べ物をすることは当たり前で、キーワードを想起してその中から適切なものを選択して入力して、目的の情報にたどり着く。
それはとても便利だし、効率的だけど、思いがけない情報との出会いは見過ごす確率が高くなる。
それは、何を知るための検索なのかゴールを決めてしまっているからだ。
ネットサーフィンで開く世界と本を読むことで開く世界は全く別物だ。

何がでてくるのか分からないドキドキを味わうのが読書だ。
ここに効率を求めてはいない。
時間もかかるしまどろっこしいこともあるけれど、いろいろなことを知ることができる。
ゴールは読み手ではなく、書き手が設定している。
もちろん、ゴールをくぐったときに受け取るものは人それぞれだけど、どんなゴールが用意されているのかはその瞬間まで分からない。

ゴールをくぐった瞬間に世界は広がる。
自分が想像した方へ、そして思ってもみなかった方へ。
そんな瞬間を経験できるのは読書ならではだと思っている。
だから、私が選書したとしたって私の思うように世界が広がるかは分からないし、自分が選んだ本を嬉々として読み進めたほうが世界は広く、深く、そして心地よくなるような気がする。
もし、私が読んでほしいと思う本があるならば、それは私が然るべき時期に用意しておいたらいいだけであって、それを読むかどうかも本人の自由だ。

本を選んでいるときから世界は広がり始めているのかもしれない。
だから私は、本を買うことには寛容でありたいし、その選書も最大限尊重したいと思っている。

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