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(続)人事異動がやってきた!

止まっている心

心が止まっている。
異動の内示を受けてから1日経って気付いたことです。
まだうじうじ考えてるのは、往生際が悪くてカッコ悪いような気もするのですが、頭では分かっていても、心が追いついていないことに気が付いてしまったのです。

前を向いたつもりだったけれど

昨日、こんな記事を書きました。

一応、自分なりのワクワクを見つけて前を向き始めたのは確かなのです。
でも、机の引き出しの中身を片づけたり、書類をファイリングし直していても、今の部署のメンバーと話していても、心がどこにあるのか分からないのです。
寂しくなるわけでもなく、ただただ淡々と、いや淡々とというよりは淡白に時間を過ごしている感じです。

気づきを与えてくれるのはやはり人

今日、ここ1~2年でいっしょに仕事をするようになった、とある団体の人と会う機会がありました。
彼らとの出会いは、私の仕事への姿勢を大きく変えてくれました。
不満を抱えながらも何かを変えていこうとする私を理解し、共感し、助けてもくれましたし、私自身も彼らのサポーターでもあります。

その彼らと会ったとき、私は何て言ったらいいのか分からなかったのです。
悲しいとか、悔しいとか、寂しいとか言うことははもちろん、強がることさえできませんでした。

そのとき気付いたんです。
考えることをどこかでやめたのかもしれない。
前を向いたことを免罪符にして、もう考えないことで自分の心を守ろうとしているのかもしれない、と。

自分の心を守ることは悪いことではありません。
そうしないとやっていけないときもあります。

でも、今の私は考えることをやめてしまう私でいたいわけではないと思っています。

奪われたものは何か

大切にしているものを、無理やり何の心の準備もなく、奪われたみたいな気分なのかもしれません。
いや、がんばって作り上げた居場所を奪われた感覚の方が近いかもしれません。

この1年でようやく改革の途につくことができたのに、これからどうなるのだろう、という思いがあります。
もちろん、残るメンバーに託しはしますが、私が中心となって進めてきたことなので、余計に悔しさと不安と申し訳なさが募ります。

このまま受け入れることはしなくていいのかも

あまりにも突然のことで、何も感じられなくなっているのかもしれませんが、私が何を感じて、思って、考えているのかは、今、残していかないといけないと思います。
このまま異動したら、私もこの状況や制度に忖度して迎合している人の一人に過ぎないことになってしまうからです。

もっと悔しさや寂しさと向き合って、それが何から来るものなのかを考えようと思います。
きっとその答えが、今の部署でやり残したことであり、真の課題なのかもしれません。

心を置き去りにしないように

前を向くことはすばらしいことです。
そうでないと自分の中の時計の針は進めません。

でも、どこかのタイミングで自分の気持ちに目を向けることがあってもいいと思います。
心が置いてきぼりになってしまったら、いつか無理がきてしまうかもしれません。
自分の気持ちと向き合うのが、早いタイミングなのか、時間が経ったタイミングでやってくるのか、それはは分かりません。
前を向きながら自分の気持ちを抱えていてもいいと思うのです。

不安にも期待にも向き合う

新しいことを始めるときには、不安と期待が入り混じります。
もしかしたらその不安は、今いるところでやり残したことだったり、その悔しさだったり、寂しさや悲しさからも来るのかもしれません
新しいところの期待に目を向けて、前向きになることはもちろん必要です。
でも、これから行くところについての不安は消しきれないとしても、むしろ今の自分の気持ちから目を逸らさないで向き合っていくこと、それも前に進む力になるのではないでしょうか。

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