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日没までに走って戻るけど、メロスじゃない……『メイズ・ランナー』 #映画感想文

先日、私のSNSタイムラインを駆け巡ったこのニュース。

スーパーマリオもアニメ映画化したし、ついに、とうとう、いよいよかぁ~という気分です。それで気になったのが、監督に決まった方が多くの方に絶大な安心感と期待で受け止められていることなんですよね。監督の代表作という『メイズ・ランナー』を観てみました。

予告編


あらすじ&イントロダクション

高い塀と迷路に囲まれた「箱庭グレード」に、記憶を消された少年が生活物資と共に毎月一人送り込まれて来る。昼の間だけ扉が開き、夕方扉が閉まるまでに迷路を抜ければ外に出られるはずだが、迷路には大型の化け物グリーバーが徘徊しており、夜の間に迷路の構造が変わってしまう。そのため足が速く能力のある者が「ランナー」として日中に迷路の探索活動を行い、それ以外の者たちもリーダーやサポート役など、それぞれの役割を担っているが、脱出経路を見つけられないまま3年が経ち、もうこの“安定した”生活でいいと思っている者もいる。
箱庭に届けられた“新人”トーマスは、積極的に出口を見つけるべきと考え行動するが、古参メンバーの一人は「ルール」に従わないトーマスに苛立ちを隠さない。箱庭は、“最初の一人目”アルビーのリーダーシップによって統制バランスを保っていた。しかしある日、ランナーの一人が倒れ、リーダーのアルビーが代わりに迷路に入ることになる。
「箱庭」の情勢は変化しつつあった。トーマスたちは出口を見つけることができるのか。そして少年たちを箱庭に送り込んだ組織は何者で、その目的は何なのか……?

あらすじ&イントロダクション

「設定勝ち」の世界観

ストーリーはシンプルです。『カイジ』とか『CUBE』とか『イカゲーム』みたいな、“あり得ない世界”で生き方を試されるとでもいうのでしょうか。同じ脱出でも『ショーシャンクの空に』のような刑務所からの脱獄物とか、そういうのはまた違うパターンですね。
ラストで、なぜそんな「箱庭」が作られたのか明かされますが、まだ2と3があるので本当の理由かどうかも怪しいところ。ひとまず設定を楽しみ、怒涛の展開にドキドキしながら観るタイプの映画です。
日没までに戻らなくちゃいけないなんて、なんだか『走れメロス』みたいですが、ランナーたちはそれを毎日?やっているわけですよね。

試されているのは勇気か、それとも……

さて、迷路に入ったランナーのミンホとリーダーのアルビー。二人は夕方に戻ってきますが、アルビーは負傷し、彼を担いで運んできたミンホも扉まであと一息のところで動けなくなります。「もういい、(アルビーを)置いて走れ!」とミンホに呼びかける仲間たち。目の前で今まさに扉が閉じようとしているその時、トーマスは迷路死地に飛び込み、迷路側に閉じ込められてしまいます。
トーマスあっぱれだけど、私もミンホに「お前だけでも戻れ!」と叫ぶ側の人間です。「そんなことして、自分も死んだらどうするのよ」って。勇気だけあってもダメなんです。知恵と体力と、生きて戻るという決意があって、それを直感的に選び取る。アメリカのヒーロー観がはっきり見える場面だなあと思います。

ルールは何のためにある?

トーマスは記憶をなくして箱庭に“届けられ”、かなり早い段階で「この状態は何かおかしい」と認識します。だからでしょうか、あからさまに反抗的な態度ではないけど、彼なりの「こういう時はこうするべきだ」という価値観や「これはなんでこういうことになってるの?」という探求心が常にあって、私から見てもそんな重大なルール違反はしてないように見えます。でも彼が行動することで、とにかくトーマスを目の敵にするヤツが出てくる。このあたり、現実世界の学校や職場にもあるあるって思ってしまいます。会社なんかだと特に、利益を出すという目的があって、その目的のための過程ルールがあるわけですが、どうも理念とかやり方とかの部分で馬が合わないというような。個々人それぞれを見たら別にどちらも悪人というわけじゃない、大切にしたいものが違うから歯車がかみ合わないというパターン。
「お前が来てからここは変わってしまった!」とトーマスをなじる古株の少年。でもこの映画の主張は明らかです。
「少年たちよ、自由であれ。飼われるな。走れ!」

日常と非常事態。どちらが自分の本質なのか?

仲間が危険なとき、自分の命をかけて助けられるか。とにかくこの判断をしなくちゃいけない場面が多いのですが、箱庭の仲間たちも魅力的です。リーダーのアルビー、ナンバー2のニュート、身の回りの世話を焼いてくれるチャック、迷路の中で共に一晩を生き延びたミンホ、……。いつも正しい判断、ベストな選択ができるわけじゃない。敵に襲われたとき、逃げ出すのか戦うのか。逃げるならどんな態度で逃げるのか、戦うならどう戦うのか。そういう非常事態に直面したときの言動はその人の本質かもしれないし、あるいはパニック状態だからそれが本質ではないかもしれない。そして非常事態を支えているのは、いつもの日常です。

出口を見つけても、少年たちの人生は続く

迷路のトラップを解除して出口を見つけても、謎は残り「To be continued …」となるのですが、それでも充分に面白い作品でした。
人間が箱庭に届けられて、閉じ込められているという非常事態が日常化している世界は何とも逆説的。今生きている生活が100%完全に自分で選び取ったものだという人はまずいないはず。この世界に産まれてきて「親ガチャ」なんて言葉もあって、「置かれた場所で咲きなさい」とか言われて……ふと自分の日常を振り返り、この箱庭、大変だけど居心地いいよなぁ、なんて思ったりして。トーマスは一見すると物静かで理知的だけど、言ってることは「この箱庭から出たくない奴なんて、いねーよなぁ!?」で、案外、思ったら即行動の主人公キャラだったりもします。もし自分もあそこの一員だったら、トーマス達について行くかどうか……迷います。でも本当は迷わず行かなくちゃいけない。非常事態とは多分そういうものなんです。

この映画、「若者よ飼われるな、外の世界に飛び出せ」というメッセージを強く発していて、だからこの映画が好きなのかもしれません。
いろいろ書きましたが、見ているときはあまり難しく考えることもなく、約2時間があっという間。ほぼ一気に観られました。

そうそう、この映画で私がひとつだけ失望したことがあります。それは、「足は速いに越したことない」ってことでしょうか。私は足が遅いしすぐ息が切れて、あんなに走れるわけがない!途中で化け物に捕まってしまうこと間違いなしです……。
続編の2と3はまだ見ていませんが、予告編なんかを見ても、この『メイズ・ランナー』シリーズのウェス・ボール監督がゼルダファンに歓喜の声で受け入れられているの、わかる気がします。今のゲームの多くはオープンワールドで広大な自然、遺跡、廃墟……でも高い科学技術(魔法)はあって、時には大きな生物との戦いがあって……みたいな世界観が共通認識としてあるというか。『ゼルダの伝説』が映画化したら、こんな世界をリンクとゼルダも走るのかなあ、ツタの壁をよじ登って高い塀の上に立ったり、暗い洞窟の階段を下りて行ったりするのかなあと思うと、今から楽しみです。

ちなみに見たのは字幕版のほう。ちょっとでも英語の勉強になればいいなと思って……でもいつの間にか引き込まれて、英語どころじゃなかったです。さてと、次の『2』も観なくては。


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