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2200円で36美術館をまわったら(後編)


2200円で99の美術館・博物館を回れる「ぐるっとパス」と、学生という自由な身分をフル活用した結果、こんなものを見て、こんなことを思いました。後編です。

【新宿・練馬・池袋・王子エリア】



20.北区飛鳥山博物館☆

まずはこれをご覧ください。
東京都23区の標高を色で表した地図です。

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北部を西から東に流れる石神井川が、隅田川に合流しています。

あれ、でもちょっと変じゃないですか?
クローズアップしてみましょう。

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ほら。赤い点線で示したように、川のような形をした低地が上野の不忍池まで伸びています。素直にここを通ればいいのに、石神井川はわざわざ崖を突き抜けて隅田川まで流れているのです。どういうこと!?

実は、石神井川は、縄文時代までは不忍池に注いでいました。赤点線で示した谷は、当時の石神井川によってできたものなのです。
しかし、川の力による西側から東側への崖の浸食、縄文時代の海面上昇(東京都の東側は海でした)による東側から西側への崖の浸食によって、崖が崩され、縄文時代に隅田川へと流路を変えたのです。

これを、「河川争奪」と言います。


そしてその争奪現場となったのが、本日の舞台、飛鳥山です!

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飛鳥山はJR王子駅のほど近くにそびえる、標高25mほどの山です。

王子駅側から登ろうとすると、結構な急勾配です。
そのため、高齢者や子供も飛鳥山を利用できるよう、カタツムリみたいな形をした小さなモノレールが走っています。その名も「アスカルゴ」。速度もカタツムリ並です。無料だし物珍しいので乗ってみようとしたんですが、日曜日で人が多かったため断念。

まあ、若いしね!と自分を勇気づけて緑あふれる階段を上ること5分。
山頂です。

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飛鳥山は、徳川吉宗が桜を大量に植えたことを機に、桜の名所となりました。ここでは仮装が許されていたため、江戸の人々は様々な服装で身分を忘れ、無礼講で花見を満喫していたとか。
明治には、あの渋沢栄一がここに本邸を構えていました。

現在も飛鳥山公園として開放されています。
たくさんの遊具が並び、日曜日の今日は家族連れて満員御礼。
遊具より子供の方が多いんじゃないでしょうか。地面が見えず一面カラフルです。いつから我々は暗い色のコートしか着なくなったんでしょうか。

公園の端には、3つの博物館があります。紙の博物館、渋沢史料館、北区飛鳥山博物館です。今日は残念ながら、紙の博物館と渋沢史料館は休館でしたが、お隣の飛鳥山博物館で、この地域の製紙業と渋沢栄一について知ることができました。

渋沢栄一が中心となって設立したのが王子製紙。王子だなんてたいそう立派な名前だと思ったら、王子神っていう神様を祀った神社があったため王子という地名になり、王子に設立されたから王子製紙っていうらしい。神と紙をかけたのかもしれない(?)渋沢さんってすごい人だ。

ちなみに王子製紙は財閥解体の対象となり、現在は王子ホールディングスと日本製紙に分かれています。世界の紙生産量ランキングではそれぞれ7位、9位となっており世界的にみても大きな会社らしい。1位がアメリカの企業なのは納得なのですが、2位3位がフィンランドなのは意外でした。確かに森ばっかりだったけども。

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2018年ヘルシンキの車窓より

飛鳥山博物館では他にも、地質年代から現在まで、北区の姿が一通り再現されていました。高床式倉庫の前で麻の服きた人形が年貢に文句言ってたり、竪穴式住居から窓の外を覗けば、集落の侵入者と住民がトムアンドジェリーみたいな小競り合いをしてたり、ユーモアがあって面白かったです。そうだよね、縄文人だって土器ばっかり作ってたわけじゃなくて、喧嘩したりおどけあったりしてたんだよね。

博物館の一部で工事しているなと思ったら、「大河ドラマ館」を作っていました。渋沢栄一が主人公の大河ドラマ「青天を衝け」に向けて、北区は大盛り上がりのようです。

このドラマ、藤野涼子ちゃんと橋本愛ちゃんを使う時点で好きなのに上白石萌音ちゃんもででくるらしい。これだから愛してるよNHK。今回渋沢栄一の凄さも少しわかったので、ドラマが楽しみです。


21.旧古河庭園

飛鳥山公園から南に15分くらい歩くとあります。

古河さんって誰やと思ったら、足尾銅山で成功した古河財閥の古河さんのお家らしいです。

洋館は安山岩で覆われていて、重厚感があります。

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内部も見たかったのですが、有料で結構高かったので窓から覗き込むだけで我慢しました。
設計はあのジョサイア・コンドル。ここでも出てくるか、ジョサイア・コンドル。岩崎家の家だって、鹿鳴館だって、三菱一号館だって、みんな君の作品だし、東京駅や日銀や前編で紹介した旧東京音楽学校だって君の弟子の作品じゃないか。日本建築のパパじゃんそんなん。


洋風庭園ではちょうど秋バラが盛り。
洋館とバラを納めようと、たくさんのかたが写真を撮っていました。
一輪一輪が大きくて輝いていました。

シャルルドゴールやロナルドレーガンなんていう名前のついたバラがありますが、果たしてドナルド・トランプっていう名前がつく日は来るんでしょうか。

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22.六義園

駒込駅の南にある、回遊式の日本庭園です。

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和歌が大好きだった幕府御用人・柳沢吉保によって、和歌山の和歌の浦の名勝や歌枕を模して作られ、前編9番でご紹介した小石川庭園とともに、江戸の二大庭園に数えられていたそうです。

明治になって三菱財閥の岩崎弥太郎に買い取られ、昭和に東京都に寄贈され現在に至ります。

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いやー何しろ広い。築山に登っても端までは見えません。
小道や橋にまで、歌枕や和歌山の地名がついています。

なぜ和歌山?って思ったのですが、

和歌山の和歌浦って、聖武天皇がその美しさに感動してここを荒廃させないとの命を出したくらいの景勝地らしいです。その後も熊野参拝が盛んになるにつれて人気を増し、多くの人が歌を残してきたそうです。

しかし、いくら好きでもここまでの規模で再現するとは、その根気恐れ入ります。今となっては東京は憧れの地だけれど、江戸の人から見れば歴史ある近畿地方が憧れの地だったんですねえ。

もみじがたくさん植えてあり、紅葉となると人であふれるそうですが、まだ11月中旬だったため見られませんでした。

しかし、爆ぜんばかりに赤々とした葉をつけた木が園内に散在していました。

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まるでレッドカーペットです。

帰ってから調べたら、ハゼという漆科の木で、触るとかぶれるそう。
綺麗すぎて触っちゃったよ。何もならなくてよかった。


23.東洋文庫ミュージアム

六義園から徒歩3分くらいにある、こちらも岩崎家関係の施設です。

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ここには、この有名な書庫を見るためだけに来ました。

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壮観です。

ここに収容されているのは、大正時代に中華民国の総統府顧問を務めていたモリソンの所蔵する、中国に関する欧文文献の膨大なコレクション(モリソン文庫)です。三菱三代目の岩崎久弥がこれを買い取り、自身の収集した書籍も加えて東洋文庫を創設しました。

その他、時節柄か感染症に関する古書が展示されていました。
こんなことがまかり通る時代だったのか、と思わせるような適当な記述もありますが、医学の発展した今も同じですね。テレビに出てる医者だって間違ったこと言うし、大企業のくせして空間除菌とか謳うし。社会全体の知識の蓄積はあっても、人間自体は進化しないよなあ。


ミュージアムの入り口にある小さな泉は、「ムセイオンの泉」と名付けられていました。あのプトレマイオス朝のアレクサンドリアの、世界最高峰の学問の殿堂にして、ミュージアムの語源となった、あのムセイオン。響きだけでもカッケー。


24.新宿区立漱石山房記念館


「山路を登りながら、こう考えた。」
と言う有名な一文から始まる「草枕」の冒頭では、主人公によって芸術論が語られます。

「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。」
芸術不要不急論が叫ばれた去年の3月にこれを読めたのは幸いでした。漱石が生きていて同じことをツイッターで呟いてくれていたら何百回でもいいね押したし、ファンレターも書いてたと思う。

と言うわけで訪れたのは、2017年に漱石のサロン兼住居だった漱石山房の跡地にできた記念館です。

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開放的がありつつも落ち着きのある建物の中に、漱石の書斎とテラスが忠実に再現してあります。他にも、漱石の生涯や作品に関する解説がコンパクトに展示されています。

驚いたのは、毎週木曜日にこの山房で開催されていた会合(木曜会)のメンツです。岩波書店創業者の岩波茂雄や、内田百閒、寺田寅彦、和辻哲郎、芥川龍之介や久米正雄まで。この木曜会は何でも話せる空気があったそうで、漱石がいかに人望が厚かったのか、心が広かったのかが、門下生たちの言葉で語られていました。一回お会いしてみたかったなあ。

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ミュージアムに併設されたカフェで創業450年のほうじ茶と、長崎堂のバターケーキをいただきました。

お庭に出ると、猫がいました。こんなところで会えるなんてね。水瓶にだけは気を付けて。


25.新宿区立新宿歴史記念館☆

新宿区の歴史を展示してある常設展がありますが、今回のお目当ては企画展「小泉八雲 放浪するゴースト」です。

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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は日本の怪談を海外に紹介したことで有名な小説家です。日本語訳版でしか読んだことがありませんが、「耳なし法一のはなし」の描写力と醸し出される妖しさに惹かれて以来好きです。

生まれはイギリス領レフカダ島(現ギリシャ)のイギリス人で、イギリスやフランスで教育を受けたのちアメリカで新聞記者となり、通信員として訪れた日本に移住して英語教師・小説家となりました。まさに放浪。

展示では、その放浪生活と日本での活動について、直筆の手紙や愛用品とともに解説されていました。

特に彼の書いた手紙がたくさん展示してあって、見応えがありました。
けっこう可愛い挿絵を描くんですよ。

こちらは、困窮していたアメリカ時代に、パトロンだったH.W氏に送った葉書。

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「最近お金を送ってくれないけど、死んじゃったの?」という皮肉が込められています。H.WさんのことはOld Dadと呼んで亡くなるまで交流を続けた仲らしいので、これも冗談として通用するんでしょうが、図々しすぎて笑っちゃった。

受付でポストカードとして売っていたので、買っちゃいました。部屋に飾って眺めてはにやけています。


人柄がよく、教え子には大変慕われていたようで、東京帝国大学の英語教師を退任したときには、学生が反対運動を起こしたそうです。後任となった夏目漱石の心労やいかに...。


26.文化学園服飾博物館

新宿駅から甲州街道を西に15分くらい歩くとたどり着く、文化学園内にある博物館です。

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展示室は二つしかなく小規模ですが、服飾という慣れない分野だけに見応え十分。染付け、織物、刺繍、アップリケなど、模様や色をつけるのにも様々な方法があることがわかり、洋服に対する見方が一歩深くなったような気がします。

わたしが訪れた時には「世界の藍」展が開催されていました。

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藍の作り方から始まり、世界各国の藍染の洋服が展示されており、青好きとしては着てみたい服がたくさんあってテンションが上がりました。


27.古賀政男音楽博物館

代々木上原に用事があったついでに訪れただけで、古賀政男さんが作曲家だということも良く知らなかったのですが、JASRACの本部にあるのできっと凄い人なのでしょう。

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入ってみると、コンサートホールもあって開放感のある明るい建物でした。

昭和歌謡の歌手や作曲家たちや、古賀政男さんの自宅の再現、曲紹介などがたんまり展示されていましたが、平成生まれにはピンときません。

博物館ができるぐらいなんだから、聞き覚えくらいあるかもしれないと、試聴コーナーで代表作を一通り聴いてみましたが、1ミリも記憶をかすらない。

本当に有名だったの?と帰宅後も若干疑っていましたが、25.新宿区歴史博物館の昭和を紹介するブースで、あの試聴コーナーで聞いた曲が流れてきました。
どうやら本当に昭和を代表する懐メロらしい。疑ってすみませんでした。


28.東京オペラシティアートギャラリー☆

開催していたのは「石元泰博写真展」ですが、それよりも若手アーティストの作品を展示するコーナー「project N」で、出会ってしまいました。

守山友一朗さん。

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油絵なのですが、水彩画のように爽やかで煌めいています。美しい...。

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【墨田・深川・臨海エリア】

29.江東区芭蕉記念館

芭蕉が住んでいたであろう場所にあります。お庭にはちゃんと芭蕉が植えられていました。3階建てで立派な建物は、コミュニティスペースとしても使われていて、句会やヨガが行われていました。

展示で印象的だったのは、芭蕉の旅路を示した地図です。
旅しすぎやん、歩きすぎちゃう?とちょっと引いちゃいましたが、でも芭蕉さんの気持ちわかります。見たかったんですよね、歌枕や、西行の見た景色を。

オタクの聖地巡礼じゃないですか。わたしも「ヘタリア」という国擬人化漫画のキャラ・スペインが好きで高校生の時、親に頼んでスペインに連れて行ってもらったし、なんなら芭蕉さんが見た景色を見たくて平泉にも松島にも行きました。

なんだ仲間じゃん。親近感湧くわー。


さらに親近感が湧く、芭蕉一門の連歌をご紹介します。


「冷飯を鬼一口に喰いてげり 是生滅法生姜梅漬」


30.江東区深川江戸資料館

ここの見所はなんといっても、江戸末期の下町の再現。
長屋、大店、隅田川、屋台、火の見櫓など、町が完全再現されています。江戸を紹介する博物館は数あれど、ここが一番「江戸にいる!」と思わされました。子曰く、江戸に行きたければ、江東に行け。

照明や音響は、刻々と変化し、30分で1日を表現。
季節ごとに飾りや植物まで変えているそうで、私が訪れた際には枯れていた木も、春には桜の花をつけるとか。

そのうえ、解説員さんが詳しく解説してくださって楽しかったです。

展示からも解説員さんからも、熱量の伝わってくる資料館でした。


【多摩エリア】

31.神代植物公園

バスに乗って行かなきゃいけなくて、アクセスは悪いのですが、その分広大で立派な植物園です。

ちょうど秋バラの時期で、たくさんの人がカメラを持って集まっていました。

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薔薇って一本で十分に綺麗なのに、こんなにたくさん。

温室では面白い植物が見られました。
これはなんだかわかりますか?

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マカダミアナッツなんですって。初めて見た。


植物園も楽しいのですが、ここにきた本当の目的は、近くにある深大寺で深大寺そばを食べたかったからなんです...。花より団子でして。

この辺りは水はけがよく、昔は蕎麦の栽培が盛んだったらしいです。今は栽培されておらず、蕎麦畑跡地は神代植物園となっていますが、それでも20軒以上の蕎麦屋さんが門前に並んでいます。

私が入ったのは「一休庵」。
くるみだれ蕎麦をいただきましたが、これがうんまい。

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くるみの濃厚さとおつゆの旨味がベストマッチ。濃厚すぎて蕎麦本体の味はよくわからなくなるけど、他にはない美味しさでした。


32.江戸東京たてもの園☆

小金井にある、現地保存ができなくなった建物を移築展示している公園です。

建築学生に強く勧められたので行ってみましたが、そりゃ勧めますわ。建築に疎くても楽しかったです。


まず入ったのは、田園調布の家。

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田園調布は渋沢栄一により開発された分譲住宅地で、ブラタモリでも紹介されていたので、当時の家に入れるなんて!ブラタモリ好きとしては最初からテンション上げ上げです。田園調布のルールとして、建ぺい率が低くなければならなかったらしく、敷地面積に対して小さな平家ですが、その分どの部屋も日当たりが良くて開放的でした。ポーチがあって、窓際にはソファが備え付けてあって可愛らしい。こんな家に住みたい。

そのお隣は、なんと前川國男邸。
いいの、こんなにすごいお家が並んでて。前川國男はコルビジェに師事した建築家で、東京文化会館なんかを設計されています。

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お家は大きな切妻屋根。ログハウスを思わせる落ち着いた茶色の木材に、緑のサッシがアクセントになっていておしゃれです。内部もシンプルな作りでしたが、家具や照明に遊びがあり、光あふれる素敵なお家でした。


一際目立つ洋館は、ドイツ人建築家デ・ラランデ邸。
めまいのするほどゴージャスな食堂はカフェになっており、お呼ばれしたつもりになってお茶をいただけます。実はここ、カルピスの創業者・三島海雲の自宅だった時期もあるらしいので、あやかってホットカルピスをいただきました。

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日本家屋はどれも風通しが良すぎて寒かったので、胃腸に染みます。


今回一番びっくりしたのは、これ。

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地図には奄美の高倉って書いてあるのに、土俵にしか見えない。
高倉って言うけどまさか、あそこを蔵にするには高すぎるよね...?と思ったら、そのまさかでした。この屋根の内部が蔵になってて、梯子をかけて登るらしい。びっくり。


高橋是清邸までありました。
二階はあの二.二六事件で是清が殺された現場です。そんな部屋に入れるなんて、江戸東京たてもの園、恐ろしや。


33.小平市平櫛田中彫刻美術館☆

平櫛田中?なんて読むの?2人組なの?
なんて思っていましたが、作品を見た今となっては平櫛田中さんに畏怖の念を覚えています。

最初に展示されている作品から、度肝を抜かれました。
「唱歌君が代」。小学生くらいのセーラー服姿の男の子が、片手に楽譜を、もう片手に帽子を持って立っている木彫りの像です。

セーラー服の縫い目や服のしわまで、今までに見たことのないほど緻密に、リアルに彫られています。これは木じゃない。木な訳がない。靴は革だし、帽子は硬めの布だし、この少年の緊張まで伝わってきます。これが、彫刻家としての初期の作品だと言うのだから驚きです。

他に展示されている作品も、写実的で胸に迫るものがありました。デフォルメされているものでも、本当にそこにいるんじゃないか、と思わされます。すごい人だ...。

田中家に生まれ、平櫛家に養子に出されたため、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)と名乗り、芸大の教授まで務めた日本を代表する彫刻家。107歳で亡くなるまでその製作意欲は衰えなかったそうで、庭には次の製作用に購入した木材が今も残っています。この美術館は、小平の玉川上水のほとりにある本邸に併設されているものです。

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(↑玉川上水)

代表作「鏡獅子」は20年以上(!)かけて作られた2mの大作で、国立劇場のホールに展示されているようなので、今度見に行きたいと思います。


34.殿ヶ谷戸庭園

国分寺駅からすぐのところにあります。
もとは政治家・江口定条の別邸として作られたそうですが、三菱財閥の岩崎彦弥太が買い取りました。ここでも出でくるか岩崎家。その後再開発の計画がありましたが、住民の保存運動により、一般に公開されるようになりました。グッジョブ。

谷戸って言うけど全然平地じゃん、と疑問に思いながら入場すると、園内奥に向かって崖が落ちていました。入り口が高地パターンは初めてだわ。

この崖、国分寺崖線というらしいです。なんかブラタモリで聞いたことあるぞ。
多摩川が武蔵野台地を作ってできた崖で、10−20mの斜面が30km続いているそう。湧水が豊富で、この庭園の池にも活用されているみたいです。

ここは紅葉が綺麗らしいのですが、もう散っていました。でも散っていても味があるので良し。

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【神奈川】

35.そごう美術館

デパート内にあるという珍しい美術館です。
企画展のみの開催で、今回やっていたのは鉛筆画家・吉村芳生展でした。

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繊細な作品ばかりで、相当の執念がないとできないな、と思いました。
このポスターにもなっている藤棚は、ひとつひとつが東日本大震災で亡くなった方々の魂を表しているそうです。そこまで他人のことを祈れる人がいるなんて。


36.横浜美術館

みなとみらい駅にある大きな美術館です。

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立派!

中は無機質な感じでした。

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セザンヌやピカソ、イサムノグチなど名だたる方々の作品や、横浜にゆかりのある芸術家の作品など、コレクションが豊富。横浜は海外との玄関口だったからか、ゆかりのある大物が意外と多いようです。

わたしはコレクション展だけ拝見しましたが、中でも好きだったのは、川瀬巴水やその弟子・石渡江逸の新版画です。版画らしく平面的なのに陰影による奥行きが少しあって、線は緻密で、色のグラデーションが美しい...。またいいものに出会ってしまいました。



2200円で36美術館をまわったら(終)

年末年始、緊急事態宣言とあたふたしているうちに、有効期限の2ヶ月が終了しました。

最初はそのお得さに飛びついたぐるっとパス。確かに行きたかったところに格安で行けましたが、それ以上に良かったのは、興味のなかったところへ気軽に行けた、という点でした。

最近SNSをよく使うようになり、好きなことに関する情報を集めたり、同じ趣味の人と繋がることは簡単になりました。高校生までは好きでもない科目の勉強をしてたけど、大学に進んでからは好きなことしか勉強しなくなりました。

気になる人だけフォローして、気になるトピックスだけ登録して、好きな本だけ読んで。それはそれで幸せなんだけど、その分、自分が興味のないことに触れる機会が極端に減ったように思います。

だって新しいものに触れるのって、疲れるし、めんどくさいし。

その面倒臭さの壁を、ぐるっとパスが通過させてくれました。

「存在すら知らなかったけど、ぐるっとパスに載ってるし」「興味はないけど、どうせタダだし」

そんな惰性で入った美術館で、自分の知らなかった、自分の好きなものにたくさん出会いました。

浮世絵だったら神奈川沖浪裏一択だと思ってたけど、今は新版画の方が好きです。彫刻だったらサモトラケのニケが一番好きだと思ってたけど、今は朝倉文夫の墓守が一番好きです。もみじだって綺麗だけど、ハゼの紅葉も悪くない。

これからは、疲れない程度にオープンに、いろんなものに触れていきたいと思います。
だって、自分が好きだと思っていること以上に好きなものが、どこかにあるかもしれないし!

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新しいものをたくさん見せてくれてありがとう、
わたしの「好き」を更新してくれてありがとう、ぐるっとパス。

こんなにボロボロになちゃって。

お疲れ様でした。

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