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【映画】『バグダッド・カフェ』あの日の思い出に結びついた


1.国内権利の消滅


年末、映画界隈で話題になった。2023年で『バグダッド・カフェ』の国内権利がすべて切れてしまうという。

だからみんな、12月31日までに観ないと! ってこぞって観はじめて、大晦日はけっこうな再生回数になったんじゃないだろうか。

かくいう僕もそのひとり。名作と名高い『バグダッド・カフェ』をいままで観たことがなかった。

そして2023年最後の日。この映画を観終わったとき、ああそうだったのか、とあることに気がついた。それは「バグダッド・カフェ」の名を冠したとあるカフェバーについての思い出……

2.映画『バグダッド・カフェ』のシスターフッド感


『バグダッド・カフェ』を観た正直な感想は、なんて不思議な映画なんだろう! だった。

西ドイツ映画ということも関係するんだろうけど、いわゆるハリウッド映画の文脈からはずれた演出が目を引いた。冒頭小刻みにカットを切る編集なんて前衛映画!? って思うくらい。

さらに序盤ずーっと見せられる「バグダッド・カフェ」の女主人・ブレンダのヒステリックなキレっぷり。これがけっこうしんどくて、この映画がどうして人々を感動させたの? って不安になったけど、そこに迷えるドイツ人・ジャスミンが来てから、物語はどんどん面白くなっていく。

閉鎖的なコミュニティーに外部から人がやってきて(得てして変わり者)、なんらかの影響を与えてみんなが変化していくというのは、まあ、けっこうある形式だ。たいていはいい話になるんだけど、たまにそうでないパターンもある(興味がある人はハリー・クレッシング『料理人』なんか読んでみるといい)。

『バグダッド・カフェ』は前者。荒野にあるカフェ&モテールに漂ういやな空気が、どんどん変わっていくのだ。もうその過程がすばらしい。この部分最高。

ジャスミンがモーテルの受付を掃除しはじめ、ブレンダの娘と交友を深め、ブーメラン男とたわむれ、絵描きの老人が惚れる。しまいには下手なピアノ弾きがすばらしい演奏まではじめて、ああ、なんていい映画なんだと感心した。

後半、いい雰囲気になった「バグダッド・カフェ」は店も客も盛り上がり、ちょっと過剰なハッピー感にある。僕はちょっとやりすぎかなあ、なんて思って、モーテルの宿泊客であるタトゥー掘りの女性が「みんな仲が良すぎる」といっていなくなるシーンにはちょっと同調できる。

そういう盛り上がりシーンに冷や水をあびせるシーンまでわざわざ入れるあたりが、やっぱりこの映画って変わってるよなあと思えるところだ。

そして最終盤。ジャスミンとブレンダの、いまで言うシスターフッド的なシーンとラストの切れ味については、おおー! と声が出そうになった。

西ドイツ映画でハリウッドの文脈からはずれているからこそなし得たシーンかもしれない。

さらにコミュニティーを変えていく主役のジャスミン。彼女は40代でふくよかな体型だ(劇中では「デブ女」とまで言われている)。この配役、いまでもできづらいんじゃないだろうか?

それにしてもこのジャスミン役のマリアンネ・ゼーゲブレヒトが本当に奇跡のような配役。彼女なくしてこの映画はなかったと思う。キュートでがんばり屋で不思議と愛される人物って、書くのはやさしいが現実にはそうとう難しい。

だけど思い出してほしい、彼女も冒頭、夫婦喧嘩をするのだが、そのシーンでは全然魅力的には見えない。彼女が輝き出すのは「バグダッド・カフェ」に来てからであり、この場所でブレンダとの出会いがあったからこそ、彼女もまた変わることができたのかもしれない。

ジャスミンとブレンダ、夫とケンカ別れしたふたりが偶然出会い、おたがいのいい部分を引き出し合った物語と見れば、ラストのジャスミンのセリフは必然とわかる。完璧な幕切れ。いい映画だ。

3.カフェ・バー「バグダッド・カフェ」の思い出


さて冒頭に書いたことにもどろう。

そう、僕の思い出だ。そのころ僕は締切に追われていた。心身ともに疲れていて、ああ間に合わないと頭を抱えていた。

当時住んでいた駅の近くに、夜遅くまでやってるカフェ・バーがあった。家にいてもはかどらない。僕は逃げるようにそこへ駆けこんだ。店の名前は「バグダッド・カフェ」といった。

店内は静かに暗く、カウンターにマスターらしき人がいるだけだった。客はたぶんいなかった。僕は一見の客で、コーヒー一杯で酒も飲まないし、悪いなあと思って隅の狭い席に座って頭をかかえ、うんうん締切に追われた。

するとコーヒーを持ってきたマスターがもっと広い席でどうぞ、といい席を案内してくれた。僕は1~2時間店にいて、ちょっとは仕事が進んだと思う。

それから、僕は締切に追われると何度かこの店でうんうんうなった。

もうだいぶ前のことなのだけど、そんな珍客にいい扱いをしてくれた、という記憶だけは残っていた。そうして2023年最後の日、僕は『バグダッド・カフェ』を観た。

そしてわかった。どうしてあの店が僕なんかにやさしくしてくれたのか。

あの奇跡みたいな映画の名を冠したカフェ・バーが、ある日ふらりと入ってきた妙な客をむげにするわけがない。店もマスターもあの映画のことが好きで、自分たちがなにをすべきかわかっていたんだろう。

年が明けて2024年になり、『バグダッド・カフェ』は国内では観られなくなった。カフェ・バー「バグダッド・カフェ」もずいぶん前に閉店し、いまはもうない。

だけど、不思議ですてきな映画の記憶と、あの日僕を救ってくれた店の思い出は、消えずにいまも残っている。


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『バグダッド・カフェ』(1987年/108分/西ドイツ)
監督:パーシー・アドロン
脚本:パーシー・アドロン、エレオノーレ・アドロン
出演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト、CCH・パウンダー、ジャック・パランス


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