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エロサイトとテキストサイト

ぴーががが、がが、が、が

上から少しずつ画像が表示され、訪問人数のカウンタと自動再生されるMIDIが埋め込まれている、HTMLで素組されたページ。

私が初めてインターネットに触れたのは、中学1年のころだったように思う。中学1年というと、1998年。ちょうど明石海峡大橋が開通した年だ。我が家にも広大なネットの海へとつながる橋が開通したのだ。

思い出といえば当然エロサイトだ。誰もが通るであろう通過儀礼はすべて経験したように思う。
履歴が残ることを知らずにエロワードを大量に毎日検索していたり。
ダイヤルQ2の魔の手に引っかかったり。(そういえばダイヤルQ2を正規で使っていた大人と話したことがないが、ぜひ当時大人だった人に話を聞きたい)
帰ってこないはずの親が突然帰ってきて、ページを閉じたいが間に合わず、ギリギリパソコンの電源を抜くことに成功したが、親の「あれ?パソコンつかないな?」とかいう言葉に戦慄したり。

しかし今思い出してもワクワクするほどの思い出がつまっている。
コンシューマーのRPGなどまったく及ばないほどの大冒険をインターネットの世界で体験したのだ。
当時は今ほどプラットフォームも整備されておらず、むちゃくちゃな無法地帯だった。クリック詐欺など当たり前、ちょっと間違っただけですぐに画面いっぱいに謎のエロ画像が表示されて削除もできない。接続音(当時はインターネット接続の時に冒頭で書いたようなぴーぴーががが、みたいな音が鳴っていた)が変わって自動的にダイヤルQ2に接続されたり。ダイヤルQ2というのは、NTTがやっていた有料回線のことだ。
そういうトラップに引っかかりながら対処法を覚えていき、ちょっとずつその世界のルールを覚えていく。
本当に大冒険だった。

さらにまだインターネットの普及率も低く、自由に触れる家が同級生の中でも数人しかいなかったため、かなりの先駆者という扱いを受けた。パソコン先生ということで何かあれば私を頼るような謎の風潮ができつつあった。私はかなり得意になっていたが、のちに後悔することになる。部活の卒業時の後輩からの寄せ書きと卒業アルバムの書き込みのすべてが、エロサイト先生への感謝の言葉で埋め尽くされた。必死に私は隠したため、親は私の目の前で見ることはなかったが、おそらく後日こっそり見て涙しただろう。ごめんなさい。


そしてエロサイトと同じくらい当時情熱を注いでいたのがテキスト系サイトと呼ばれるジャンルだ。まだ回線が恐ろしく重たかったため、絵の表示や音の再生に異様に時間がかかっていた。動画なんてもってのほか。なので、当時個人が自己表現する方法としてインターネットの世界で合理的だったのがテキスト。つまり文章だ。
ブログなんてまだなかったあの頃、HTMLを手で打ってサイトを作っていた。面白い記事を上げて、集客して。
そんなテキストサイト界に転機が訪れたのは、侍魂というサイトの「先行者」という記事がバズったとき。個人サイトで初めて1億PVを達成した。そこから知名度が一気に上がって、侍魂にリンクが貼られていたサイトまで人気が出て。
私もその業界の隅っこの方でサイトを運営していました。懐かしいなぁ。
バックドロップベイビーズというサイトのあげはさんという管理人さんと仲良くさせてもらっていて、その人にサイトを作ってもらいました。
今では「ろじっくぱらだいす」が残っているくらいなのかな?
エロサイトはみんなが通ると思うけど、こっちに関してはどんぴしゃの年代にパソコンいじっていないと知らないと思う。
でもどっちも私の好奇心を刺激して、私のインターネット黎明期を支えた二本柱でした。

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