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ビジネスは経済学に役立つのか?

経済学はビジネスに役立つのか?

ビジネスマン向けに経済学や経営学などの学知を分かりやすく伝える」系の動画や記事が、最近増えたような気がする。

これまでいわゆる「ビジネスエンタメ」的な動画はよく視聴してきたが、よく見かけるビジネス系インフルエンサーや論客を招いたディベート番組から、徐々に学者によるアカデミック知見を活用したニュースの解説やビジネスの実践を深堀りするコンテンツが増えたように思う。

単に私向けによくリコメンドされているだけかと思いきや、よく見かけるチャンネルの過去動画を遡ってみると、だいたいここ1-2年、もっと前でもコロナ禍後から開始されており、私の直観はあながち間違っていなさそうだ。

この現象の背景として、需要要因として考えられるのは、以下だろうか。

  • インフルエンサーの経験知に基づく議論をある程度消費した面もあり、新たな知の拠り所して学知に注目が集まってきた

  • コロナ禍後のリスキリングや副業の文脈で、学びに対するモチベーションが高まってきた

一方、供給サイドの要因としては、以下だろうか。

  • メカニズムデザインや行動経済学など、現実の課題に一定有用な示唆を直接提供できる学問分野が育ってきた(それまではどちらかと言えばRubinsteinの言う「寓話」的価値の提供に留まっていた)

  • 産学連携の促進やアカデミックの方々による起業など、学者の働き方が多様化してきた

色々な要因があるにせよ、結果的に多くの学知がビジネス現場と邂逅を果たしており、その根底には「経済学はビジネスに役立つのか?」という興味深いテーマが横たわっている。

私もちょうど1年前くらいに神取先生の「ミクロ経済学の力」を手に取り一念発起して勉強を始め、9月からnoteを始めてみた。おかげで先生方が時折発する専門用語をすんなり理解できることもあり、図らずも上記のような潮流と相性が悪くないのでは、と勝手に思い始めた次第である。

今日現在で、以下の連載にて19本目となる「厚生経済学の第二基本定理」まで取扱いが終わった。「市場メカニズムとは何か」という新古典派経済学の理論の核心部分であり、連載当初から少なくともここまでは辿り着きたいと思っていたテーマなので、ひとまずの達成感がありつつ、まだ取り扱えていない重要論点があるため均衡理論の連載は続ける予定である。

ただ、この連載は「ビジネスマンが学び直す」には抽象的過ぎる、敷居が高い、実践から遠い、というのはその通りだろう。キャリア形成に役立つ資格の勉強でもなく、受験勉強でもなく、経済学の先生が学知を分かりやすく噛み砕く訳でもなく、むしろその真逆で素人がいきなり凸性だの局所非飽和性だの難解な経済学を語り出したという不思議な状況になってしまった。

今風に言えばコスパ・タイパが悪いことこの上ないであろう。なぜこんな不思議な連載を続けているのか。私からすれば答えは明白なのだが、このような問いに共感する読者がいるとすれば、それは「ビジネスマンが経済学を学び直す目的は、経済学をビジネスに役立てるためである」という行動原理が暗黙裡に仮定されているためであろう。上記のような潮流も相まってアカデミックとビジネスは確実に接点を増やしつつあり、先生方が最先端の学知をビジネスの現場に導入し、ビジネスマンがそれを成果に役立てている。

私も図らずもそのような合流地点に着目した1人であったが―幸か不幸か、向いている方向が、完全に逆であった

ビジネスは経済学に役立つのか?

上記の通り、学知とビジネスの邂逅は、最先端の理論の現場での応用によって果たされている。つまり「学知からビジネスへ」という流れであり、おそらく先生方は現実社会への応用という非常にチャレンジングなテーマに取り組まれており、番組を見る限り楽しそうである。

ならば逆に、ビジネスマンとして学知を享受する立場ではなく、むしろ実践知や実践的手法を活かして新たな学知をもたらすことができないか?つまり「ビジネスは経済学に役立つのか?」「ビジネスマンが、後世に残る学知へ貢献するというチャレンジをするにはどうしたらいいか?」という問いの立て方があっても良いのではないか、というのがこの「日曜経済学者」noteの大テーマである。この視点で見れば、私の「奇行」も少しは理にかなっているのではないか、さながら学者が実際の商習慣を観察して応用余地を探すのと同じように、まず学知の道具の使い方を学んでいる、という訳である。

アカデミックの強みが普遍的な法則や定理などの知識と厳密な論理展開を踏まえた議論だとすれば、ビジネスの武器は実践から得られるインスピレーションと要点を捉えて現実に働きかける行動様式であろう。換言すれば、「やらなくても分かることはやらない」というのが理論の強みであり、「やってみなければ分からない」ことを積み重ねていけるのが実践の強みである。

もっとも、学知への貢献へのチャレンジと言っても、0と1だけの無限の羅列から不換紙幣の価値を論じたり企業の設備投資と化学反応に共通する法則を見つけたり、そんな大天才Samuelsonのような芸当は望むべくもないが、今あるアイデアを少しずつ形にしながら日々探求を続けている。

「学知の習得」をビジネスライクにハックする

直近友人と3人で発足した岡田「ゲーム理論」の自主ゼミだが、もはや数学書とも言える難解なこの学術書を、ビジネスマン3人がビジネス的な思考や手法を駆使して如何に習得していくか?というチャレンジと捉えれば、面白い取り組みになるかもしれない。既にゴール逆算・論点ベースなどの問題解決型思考を取り入れてどう内容を整理し理解するか、最新のPMツールを活用して如何に情報管理コストを減らすか、などこちらはこちらでビジネスの最新知見を駆使して学知の取得というイシュー攻略にあたっている。

現場のインスピレーションを蓄積する

私が身を置くファンド業界は企業との関わり方が非常にユニークであり、もちろんファンド戦略やフィロソフィーによっても異なるが、私の場合は投資銀行やコンサルティングファームと比較し、プリンシパルとしての当事者的な深い関わり方が可能な一方、宿命的に有期限であるが故にそれなりの量の会社と関係性を築くことができる。もちろん詳細は話せないものの、そこで得られるインスピレーションや共通課題は学知にも還元できるポテンシャルを秘めた情報の宝庫に感じており、抽象レイヤーの発想は備忘までにいくつかnoteにしたためている。

この観点での難しさはむしろ、現状の学知で解ける問題かの見極めであろう。『イシューからはじめよ』にて、この点における利根川進氏の卓越性が、非常に分かりやすく示唆深い形で紹介されていた。

生物学者・利根川進(1987年にノーベル生理学・医学賞受賞)の言葉も示唆に富む。
「(略)ダルベッコがのちに僕のことをほめていうには、トネガワはそのときアベイラブル(利用可能)なテクノロジーのぎりぎり最先端のところで生物学的に残っている重要問題のうち、何が解けそうかを見つけ出すのがうまい、というんだね。(略)いくらいいアイデアがあっても、それを可能にするテクノロジーがなければ絶対にできない。だけど、みんなこれはテクノロジーがなくてできない思っていることの中にも、そのときアベイラブルなテクノロジーをぎりぎりまでうまく利用すれば、なんとかできちゃうという微妙な境界領域があるんですね(略)」

『イシューからはじめよ』p.71

私が既存の学知を本気で学んでいるのは、この見極めを行うための材料集め、というのが見失ってはいけない本質的な目的であろう。


かくして、現場の喧騒から日々インスピレーションを受けながら、果敢に学知をビジネスに応用していくアカデミアの挑戦に触発されながら、「ビジネスは経済学に役立つのか?」という知の探究にチャレンジしたい、というのがnote執筆を通じて言語化されてきたなんとなくのビジョンである。

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