「どんな環境で働きたいか?」という問いを立ててみた。

2018年の目標の一つにこんなもの↓を書いていた。

[俺と一緒ならワクワクする。やりたいことを達成できそう。一緒に仕事をしたい。って人が集まってくるような人間になる。]
将来的に友達と一緒に楽しく仕事がしたい。だから、そういうみんなが寄ってくるような環境を作りたい。
そんな人生の方が楽しそう。ポートランドみたいな街で暮らす方が楽しそう。国、街、のようなバックグランドが人に与える影響をこのアメリカ留学ですごく感じたから。

この、『将来的に友達と一緒に楽しく仕事がしたい』、という想い。2017年12/31の内田修次の想いに、現在(2019年)の内田修次は、すごく共感する。

"誰と何をするか"を大事にしたい、というか、"誰と何をするか"は、自分にとって必要不可欠だと思う。いや、"誰と何をするか"だけではむしろ不十分かもしれない。"何を目指して誰とどんな環境で何をするか"、そこまで考えてみたら?という問いをこの前投げかけてもらった。

っで、とりあえず今回のテーマは、『環境』。
なぜなら、「どんな環境で働きたいか?」という問いに対して、違和感のない回答が自分の中で出てきたから。忘れないうちに記しておきたい。

ちなみに、、それまで自分が考えていた、働く上で大切にしたい『環境』= 許容のある環境→生物としてのブレを許し合え、お互いをさらけ出し合える環境、と記していた。
・・・
少し、話を戻して↑に書いていた『将来的に友達と一緒に楽しく仕事がしたい』という文脈での"友達"、とは具体的には誰のことなのだろうか。

幼なじみ?中学からの親友?それとも高校での友達?これから出会う友達は含まれないの?友達であれば楽しく仕事ができるの?そもそも自分にとって、友達って?親友じゃなくて、友達で十分なの?どこからが親友で、どこまでが友達?

"友達"という単純な言葉を使って曖昧な表現をしてしまっていた2017年の自分のせいで、自分は自分に質問攻めされてしまった。"友達"という言葉の定義を自分の中に確立できていなかった。

でもこの質問一つ一つに答える必要はなさそう。2017年の自分が、"将来的に友達と一緒に楽しく仕事がしたい"と綴った背景にあったのは、"どんな関係性"か、ってことであって、"どんな人か"、ってことではなかった。要するに"環境"に値する意味があった。

この前まで自分が考えていた、働く上で大切にしたい『環境』=許容のある『環境』→生物としてのブレを許し合え、お互いをさらけ出し合える環境。この『環境』を意味するところが、2017年の自分は"友達"という言葉で置き換えていたみたい。でも、自分が働く上で大切にしたい環境って、、友達関係ではなく、家族みたいな関係性だということに気付いた。

みんな生まれ育ってきた環境は違うから、家族の関係性は人それぞれ。
だから、自分にとって家族みたいな関係性って、どんな環境なのか定義してみた。

家族とは、、

自分が自分らしく居られる場所。それは、良い面の自分が現れる時もあれば、悪い面の自分が現れる。それでも、家族は互いを評価することはしないし、それで関係性が壊れることもない。なぜなら、どんな一面もその人を構成している全体性の中の一部であるということを理解しているから。だから、相手のブレを許すことができる。そして、損得勘定なしに与え合う関係性、ギブ&ギブが成り立っている。

けれども、相手を許すだけだと、ただただぬるい関係性で終わってしまうし、それがいわゆる"友達"、という関係性なのかもしれない。『家族』の関係性は、その一歩先のイメージで、相手を思いやる気持ちがある故に叱ることがある。そんな関係性で働けたら自分は気持ちよく志事ができるんじゃないかな、と思ったり。

だから、「どんな環境で働くのか?」という問いに対して、現時点で自分が導き出した回答は『家族のような関係性』としておこう。

いつも僕のnoteを読んでくださりありがとうございます🐞 もし可能なら、読んで頂いたお礼に僕が育てたお野菜を届けさせていただきたいんですけどねえ。きっといつか🍆