織月かいこ

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最近の記事

彼女にとっては 今のこの世界が全てで 6畳のたたみに置かれたベッドの上が全てで 半裸で抱き上げられた膝の上が全てで むせながらも勢いよく飲むミルクが全てで 朝日の立ち登る秋の日が全てだ

    • 音と文字と映像と。

      朝が一番気持ち良くて、夜になるにつれてどんどん体調が悪くなっていく。8週目もすぐ近くになってつわりがまたひどくなった。 6週目はいきなりの体調の変化のためか、ご飯を食べてもトイレに行ってしまい、急激に痩せた。6週目の後半から7週目は、食欲が戻ってきてカロリーの高いものも食べられた。一昨日くらいからふたたびつわりが重くなり、食欲は減った。 スマホの画面を見続けると、それもまた気分が悪くなってくるので、暇つぶしのゲームはそこそこにしなければならない。 そのせいなのか、今まで

      • つわりとコロナ。

        2020年。鉄腕アトムが生まれなかった世界、スピルバーグが描いた未来をとっくに越えて、世界中にコロナウィルスが蔓延したパンデミックの最中にもかかわらず、私のお腹には赤ちゃんが宿っていた。桜はもうすぐ満開で、窓辺の日差しは暖かかった。 妊娠6週目に差し掛かる今週、健康に思われた私にも、とうとうつわりがやってきて、味の濃い食べ物が受け付けないなど、これが味覚の変化、と感動しながら吐いた。今週末までの勤務予定だった会社は前倒しで引き継ぎを行い、家に引きこもる生活をやむなくした。

        • 「私たちは毎朝コーヒーを飲んで乾杯をしているの」

          コーヒーに入れた角砂糖がゆるやかに溶けるような正確な愛がそこにあって、私たちは今日も同じ部屋のドアをバラバラに出かけていった。今年は暖冬だったから、いつもよりも春の訪れが早かった。こんな日に思い出すのは、いつかの春の出来事。 「私たちは毎朝コーヒーを飲んで乾杯をしているの」 と言っていたのは、昔、たまたま同じ旅館に居合わせた4、50代の女性だった。前日の夜にちょっとしたパーティがあり、彼女はそこでスポットライトを浴びていたのだったと思う。(ちょっとしたパーティ、というもの

        彼女にとっては 今のこの世界が全てで 6畳のたたみに置かれたベッドの上が全てで 半裸で抱き上げられた膝の上が全てで むせながらも勢いよく飲むミルクが全てで 朝日の立ち登る秋の日が全てだ

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        • 月とスプートニク
          3本
        • cool & comfortable sound
          1本

        記事

          ある日のゴリラ化。

          ある日、ともだちがゴリラになっていた。 むかしはよく一緒に遊んでいて、それでもだんだん疎遠になってしまったから、彼女が東京をはなれたことは知っていたけれど、その後、あう機会はなかった。フリーランスでデザイナーをやっていて、どこかのIT社長と結婚したらしいということを、テレビをみて、初めて知った。 テレビごしでも彼女だとわかったのは、少しのおもかげと、あ、あの子だ、という直感。むかしからの友達だからか、ぜんぜん違うかたちをしていても、わかる。どこかなつかしいという気持ちにす

          ある日のゴリラ化。

          毎日

          毎日言葉を紡ぐこと。 ほんの少しでもつづけていければ。 無理なく、ゆるく、やわらかい気持ちで。

          引越し4日目、自炊。

          新しい家に来てから4日がたつ。 初日は、前の家の荷造りと片付けで、到着がおやつの時間になってしまったから、荷物を運び入れて体裁を整えているうちに、あっという間に夜になってしまった。 電力会社のミスで電気が通っていなかったので遠隔操作で対応してもらって、それから手伝ってくれた人たちとご飯に行って、家に戻ってようやく落ち着いたな、と思ってお風呂に入ったらシャワーが冷たかった。ガスの開栓を忘れてしまっていたみたいだ。 電気のことがあったから、お湯のことまで頭が回らなくて、水が

          引越し4日目、自炊。

          鳩が本屋で雨宿りをしていた

          鳩が本屋で雨宿りをしていた。正確には、2階にある本屋へと向かう階段にしゃがみ込んでいた。昨夜から降り出した雨は季節の移り変わりの中で戦い疲れた残暑を、いよいよ10月の世界から追い出してしまったみたいだ。鳩はきゅっと体を小さくして、首をすくめ、頭を干したばかりのおふとんみたいに柔らかそうな羽毛で隠そうとしていた。 最初は特に意識をしていなかったように思う。本屋から出ると、階段の半ば、一番右端に、何かがいる、と感じた。中途半端に長いその階段を降りながら、途中、何かが落ちている、

          鳩が本屋で雨宿りをしていた

          9月29日

          お気に入りのガウンを羽織って、平日は昼間の電車に乗り込んで、街並みが左手に流れて行くことを当たり前に感じながら、のんびりした気持ちで待ち合わせに遅刻していく。日差しが強くて風が冷たいこの季節は台風が連れてきて雪が連れ去ってしまうのだと思う。久々のお休みにまで都心に向かうなんて昔には考えられなかったことだけど、新しい話の構想などを考えながら街並みを見ればまた世界が変わってくる。 新しく出来た噂のピザ屋さんを2年経ってから初めて訪ねてみたら並ばずに入ることができた。併設されたバ

          しんしん

          第26回ゆきのまち幻想文学賞入選作。  星に願いをかければかなうというので、なんとか流星群がくるという夜に、とうとうついに、実行することに決めた。インスタントコーヒーを魔法瓶に仕込んで、マフラー、手袋、ダウンを着込んだら、準備完了、軒先へ出る。  黒猫がやってきて、死んだ人は生き返らないのだという。ぼくは、うるさいなと猫をやわらかく抱き上げて、ダウンの中にすっぽりと入れてしまった。黒猫はぬくぬくと喉を鳴らしはじめる。どうやら今夜はつきあってくれるらしい。  新月の夜は星

          雲を飼う

          第24回ゆきのまち幻想文学賞入選作です。  雲を飼ってみませんか、と、突然言われたものだから、僕はちょっと驚いて、声の先を見る。休日の繁華街は人で溢れて混み合って、ティッシュなんか配られても、普段ならば、はい、そうですかと無視してしまうのに、雲なんて、唐突な呼びかけと、凛とした声が美しくて足をとめた。女がいた。  透きとおるような白い肌には赤味がさして、宇宙の透けた夜空みたいな、怖いほど真っ黒な瞳で、髪は瞳と同じ、黒くてつやつや。その長く垂らした黒が白いワンピースによく映

          デッサン#1

          水面に白い粒が無数にあって、ひとつひとつが発光していた。光の粒は集まって帯をなし、こちら側に伸びてきていた。光の帯をぼやけた太陽が見下ろしていた。波打ち際に寄せる波を横から眺めて、光の粒は波とともに寄せて返す。波とともに発光する。

          デッサン#1