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「グチャグチャな祈りを“アイツ”に捧げよう」


「アイツ,今どうしているんだろう」

なんの前触れもなく,ふと思う時がある。
なんの前触れもなくいなくなった“アイツ”について。

そしてつい先日,「蒸発」という概念が,ドイツ語にはないということを初めて知った。よく考えると,液体が気化する現象と人が突然姿を消すことを同じ文字で表現するなんて,日本人の言語感覚って不思議だな,と日本語を常用する私も驚いた。

私の前から「蒸発」した“アイツ”。正確にいうとアイツたち。
少なくとも私の前から突然姿を消した“アイツ”という存在が私には3人いる。その内の2名は,私の前から蒸発しただけであって,もっと身近な存在,家族から蒸発したかどうかはわからない。

どんな理由にせよ,どんな状況にせよ,どこかで元気に生きていてくれたらそれで良い。残された人は,そう思うことによって折り合いをつけることしかできない。

ただ,やっぱり辛い。

時間が経つにつれ,感情の整理が上手くなったとしても心の何処かに引っかかり続ける。

残りの1名は,家族から職場へ連絡が入ったことで蒸発したことを知った。一年で1,2番目に忙しい時期だったので,今でもハッキリと覚えている。

「え,昨日,いつも通りにスナック菓子をいっぱい買い込んで机の引き出しに入れていたのを見たのに…」

いつも通りの日常だった。
いつも通りの彼だった。

そう思っていたのは私や周りの人間だけであって,彼の中には何かが確実に起こっていて,あの日,あの時に臨界点に達してしまったのだろう。

文字通り,彼は私たちの目の前から「蒸発」してしまった。ただ彼は,前述の2名と違い,その1年半年後に行方を知ることになる。熊野の森の中で発見されたと。

彼が何を思い,何を抱え,何を望んでいたのか,はわからない。ただ,彼が死んだという事実,彼がこの世から完全にいなくなったという事実で,「蒸発」という現象が終わりを迎えたことがやるせなかった。

すべてを捨てたとしても,どこかで人生やり直して,生きて欲しかった。

先週の土曜日,御茶ノ水にあるトーキョーアーツアンドスペース本郷を訪れ,ドイツ人の映像作家のビデオ・インスタレーションでポツリポツリと紡がれる「蒸発」した人,残された人,それぞれの言葉に耳を傾けた。

そして,私の前から姿を消した“アイツ”たちを頭に浮かべながら,「バカヤロー」と「それで良いんだ」が混在したグチャグチャな祈りを捧げた。


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