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誰もが抱える哲学的問い

先日、とある会に参加した。
そこでは「自分は何者であるか」という問いに様々な角度(の学問)からアプローチするというようなことをやっている。
……なんて言うとゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を思い出す方もいるだろう。まさにこのあたりの問いに答える会である。これに付随する話も面白いが今日の本題からは逸れるので筆をとめておく。

さて、「自分は何者であるか」などと問われると、なんだか難しいことを問われている気分になる。
「そういうの知ってる」
「哲学って言うんでしょ」
「よく知らないから答えられないや」
なんて思うかもしれない。
それでは、こう聞かれたらどうだろう。
「あなたは何のために生きていますか」
突然現実味が増した。
この悩みを抱える若者は多いのではないかと、この会終了後に参加者と雑談をして思った。

少なくとも私は悩んでいる。
将来の選択肢が無数にあり、どれを選べばいいのかわからない。
少し興味を持って調べると、既にすごいことをやっている人がいて(しかも自分より若かったりして)、それに取り組む自信がなくなる。
自分って何にもできないよ。
やりたいことはあるけど踏み出せない。
あれ?自分って何のために生きてるんだろう。
こんなことが積み重なるとこの社会で生きていくのが息苦しくなってくる。
まあ、何が言いたいかと言うと自分自身が何者かというのは誰もがその答えを求めているし、それを知れたら楽になるかもねと言う話。
さらに言うと、答えなんてないので、自分の見つけた答えを信じられるといいねと言う話。
答えがないことは当たり前なのだから、それに苦しむ必要もないと言う話。
あと、あなたは実は可能性に溢れているよっていう話。今のあなたが嫌なら変われるよと言う話。
いつでもあなたはキラキラ輝けるのよ。
一人一人の持ってる可能性については、語り始めると止まらなくなりそうなので、また別の機会に書いていこうと思う。

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