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<本日の短歌>2021年7月23日付

※本稿は某SNSに2021年7月23日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
(※再録時注:もちろんこの記事を書いた時期は2021年の東京オリンピックが開幕した当日です。連日の暑さにプラスしてイヤ~な印象しか感じられないオリンピックのこのときの状況を忘れずに記録しておこう……という気持ちでムリヤリ短歌を捻り出したという次第。ご笑覧頂ければ)


<本日の短歌>
斯くも冷えたるクレーメルのヴァイオリンよ 来る聖火が首府燃やすとも


 初七調、句またがり。本日は例の悪名高い運動会が開かれるという歴史的な一日になりそうなので、この呪わしい一日がどのようなものだったのか記憶に留めておかねばならないと思って詠んだものである。

◆◆◆

 で、本日の読書中のBGMはニコラウス・アーノンクール/指揮、ギドン・クレーメル/ヴァイオリン、ウィーン・フィルの演奏による『モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3・4・5番』である。

『モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3・4・5番』

 モーツァルトの作曲は優雅で豊麗だが、このクレーメルのヴァイオリンは、そういった表面的な壮麗さを簡単には許さないかのようだ。
 ラトヴィアに生まれ旧ソ連の鉄のカーテンの中で音楽を学んできたこの音楽家は、ぼくには厳しげな表情をしている印象がある。
 ロマンティックに歌い上げたいこの楽器を使いながらも、彼の解釈は常に冷静で理知に満ちている。情感と没入感を拒否し、研究者のように楽曲の本質を追求する。冷静さと厳格さを優先し、甘やかな陶酔に背を向ける。

 そんな学術研究みたいな音楽が観客に感銘を与えるわけがない――と、思われる方もいるかもしれないが、そういう「理知」と、観客へ与える感銘との間に相関関係などはないのである。
 おそらく、理性と感性というのは互いに相反して相容れないものではなく、逆に両方とも成立させなければならないものではないだろうか。
 ヴィブラートを抑えて厳しく音楽性を追求するこのヴァイオリニストの演奏に、毎回のように感銘を受けるという人は多い。その厳しさを認めながらも。

 このクレーメルに対して、アーノンクールが棒を振るというのは、なかなか面白い組み合わせなのかもしれない。
 ニコラウス・アーノンクールはモーツァルトやバッハのヴァイオリン曲を演奏するのに、わざわざ当時使われていた古楽器を準備してその本質を追求しようとする、こちらもガチガチの理論派であった。

 さて、アーノンクールやクレーメルのような理知的な音楽というのは、しばしば演奏する曲の知られざる本質を露わにし、新たなる側面にスポットライトを当てる。
 硬直した規格化に反対し、人々に「これ」だと思い込まれていたものごとの、見えていなかった核心を突こうとするのである。冷徹に、その一流の技巧によって。

◆◆◆

 さて、本日はどうやら本当に政府が東京オリンピックを始めるつもりのようである。

 ここまで来る過程で、どれほど不祥事や不正疑惑が持ち上がったか知れない。簡単に、おさらいをしよう。

・新国立競技場の計画白紙
・エンブレムの盗作疑惑
・元JOC会長がわいろ疑惑で辞任
・大会経費が招致段階の予算を大幅に超える
・マラソンの東京開催を断念、札幌へ変更
・森喜朗会長が性差別発言で辞任
・開閉会式の演出統括者がタレントにブタ発言で辞任
・小山田圭吾氏がいじめ問題発覚で辞任
・出演予定だった絵本作家のぶみ氏がいじめ問題発覚で辞任
・小林賢太郎氏が過去のコント内容の問題で辞任

 この機会に忘れず、覚えておこう。

 オリンピックによって日本に世界の目が向けられた、というのはこの際日本にとっては確実にネガティブな影響を与えるだろう。政府の思惑とは反対に。

 オリンピックというのが、表面的なスポーツマン・シップの清廉なイメージと反する、莫大な金銭が動く資本主義的巨大宣伝ショーだったという「本質」がまざまざと世界中に知れ渡ってしまったことだろう。

 そのうえ、日本の政治や経済や文化の中心を担っている人物たちが、どういうタイプのメンタリティを持った人間たちによって占められているのかという認識も、世界へ発信され徐々に浸透していくていくこととなるであろう。

 更には、日本の感染症対策のお粗末さ、「おもてなし」と称するオリンピック選手団の人々へのサービスの劣悪さというものが、各種SNSによって現在も着実に世界各国へと広まりつつある。
 選手村の1600円の食事の貧相さにフランスのジャーナリストが絶句している。座ると簡単に壊れるダンボールのベッドの脆さを笑い飛ばす動画がTikTokで拡散されている。ロシアの選手団が選手村の部屋にテレビも冷蔵庫もないと文句を言えば「それは有料でレンタルされる事となっています」と唖然とさせるような回答が返ってくるこの状況。

 感染症対策についても、もはや「バブル」等と称するものはどこへ行ってしまったのやら。感染者数や感染者の詳細は、国内よりも海外の報道を見たほうが正確だ。CNNは「オリンピックの行われる日本は、もはやカオスとなっています。合衆国の選手も感染しました」と報道している。

CNN[オリンピックはカオスです]

 ウンザリさせられるようなアベ-スガ長期政権の荒廃しきった対応を、今度は世界中から集まってきたオリンピック・アスリートたちが経験させられているという状況にある。

 これは下手をすると今後、世界的に日本のイメージが悪くなり、海外に出ても「えっ、きみ日本人なの?(笑)」的な嘲笑を受けるといった事態もありえるだろう。

 この事態を、覚えておこう。

 われわれは、他人の開催する「単なる大きな運動会」に金や健康を奪われたくはないのである。

 本日の夜、この運動会の開会式が行われるそうだが、おそらく今まで通り、何かしら世界の人々の眉をひそめさせるような大きな「やらかし」をしてしまうのではないかと思っている。
 そういう視点で見るのならば、この開会式も見る価値があるかもしれないが、そういう事ならばおそらく後日、問題となった部分のダイジェストがネット上で紹介されるであろうから、通して見るのは時間のムダだ。いつも通り、今宵はYoutubeの動画なんかを見ながら酒杯を傾ける予定である。

◆◆◆

 この日、この事態に、ぼくはたまたまコンポに入れたギドン・クレーメルの明晰、透徹したヴァイオリンを聞いている。
 彼の技巧によって、作曲家は隠されていたおのれの本質を大衆に暴露されてしまう。
 理知はいつだって不正を暴く、われわれの頼もしい武器であった。

 さて、では棒を振るアーノンクールであれば、この記念すべき日を飾る演奏を行うとして、どのような選曲を行うだろうか。そして、クレーメルの冷徹な音は、どんな真実を告げ、われわれの胸を震わせてくれるであろうか。

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