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◆読書日記.《加賀乙彦『死刑囚の有限と無期囚の無限 精神科医・作家の死刑廃止論』》

※本稿は某SNSに2021年11月7日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 カトリックのクリスチャンであり、犯罪精神医学が専門の精神科医であり、小説家でもある加賀乙彦の論文、随筆、小説を集めた『死刑囚の有限と無期囚の無限 精神科医・作家の死刑廃止論』読了。

『死刑囚の有限と無期囚の無限 精神科医・作家の死刑廃止論』

 20歳代後半に東京拘置所医務部技官となり、フランス留学の後、東京医科歯科大助教授、上智大教授となった精神科医。

 そして『帰らざる夏』で谷崎潤一郎賞、『宣告』にて日本文学賞を受賞した小説家でもある。

 本書の著者は精神科医として、そして刑務所で囚人らの精神病の治療に勤める医務技官として、そして文学者として、という様々なアプローチで「死刑制度」というものに向き合ってきた人物なのである。

 そういった死刑囚や無期囚といった人々と直接語り合い、長年観察・治療してきた人物が「死刑制度」に対してどのような考え方を持つのか。まずぼくは本書についてはそういった興味に基づいて読んでみたわけだが、これは少々当てが外れてしまったと言えるかもしれない。

 本書は「死刑廃止論」としては少々訴える力に乏しい作りになっているからだ。

 タイトルにあるような「死刑廃止論」と言うよりかは、「死刑囚の拘禁心理研究」と「死を目前にした人間の心理研究」を論文、随筆、小説、という形式で描き出したもの、と言ったほうが良い。これを読んでも「だから死刑は廃止すべきだ」には、到底ならないだろう。

 いちおう言っておくが、ぼくは学生時代からの死刑廃止論者である。だから、こういう点には厳しく言っておきたい。死刑廃止のためのロジックについては「感情」のみで訴えるべきではないと思っているからだ。

 死刑囚の悲惨な拘禁生活を訴えた所であの「死刑にしろ!こんな酷い奴は殺せ!」といった、最近の凶悪犯罪を報じるネットニュースのコメント欄に大量に書き込まれるあの死刑に対するファナティックな「祝祭的雰囲気」を変える事はできないだろう。

◆◆◆

 さて、そういったタイトルにあるような「死刑廃止論」は別として、上に述べたような「死刑囚の拘禁心理研究」や「死を目前にした人間の心理研究」として見るならば、本書の内容は非常に興味深い心理研究であったと言えるかもしれない。

 何より、先進国の中で日本ほど死刑に肯定的な国というのはそうそうないのだから。
 だからこそ、こういった「死を間近に迎えた人間の心理」に関しては日本でこそじっくりと研究できるというものだろう。まったく褒められた話ではないが。

 例えば、無期囚と死刑囚のほぼ半分は何らかの拘禁ノイローゼにかかっているという研究結果はなかなか興味深いものがあった。

「拘禁ノイローゼ」と言えば記憶に新しいのは、松本サリン事件を起こした首班と見られる松本智津夫(麻原彰晃)被告の裁判であろう。
 彼は一審判決公判の際、ほぼ心神喪失の状態にあり訴訟能力を失っている、と見られたのにも拘らず、松本被告の死刑はこの一審でほぼ確定してしまったのである。

 この件について、心神喪失者は処刑できないはずだ――と批判したのはドキュメンタリー作家の森達也氏であった。

 心神喪失している者はそもそも訴訟能力を失っている。
 治療をして再審をすべきであって、心神喪失の状態のまま死刑を確定してしまうという事は刑法の精神に反している。

 だが、そういう森氏の訴えも「あれは詐病だ」「オウムの後継団体を利する発言だ」「遺族感情を踏みにじるのか」といった批判によって、刑法の精神は踏みにじられてしまったのである。

 そして、本書の著者である加賀氏は、まさにその松本智津夫の精神鑑定を行っていたのだそうだ。

 その際、加賀氏は、松本被告は「拘禁反応の状態を示しており、言語による意思の疎通は不可能で訴訟能力はない」と診断したという。
 また「麻原は死刑囚ではよくある拘禁ノイローゼであり、その病気をしっかり治してから、彼が起こした犯罪の動機などを全て語らせるべきだった」という風にも指摘している。自分も同感だ。

 この「拘禁ノイローゼ」というものはどのようなものなのか。
 恐らく本書の著者は、その実情を調べた初めての研究者と言っても良い。

 その内容は、人間が「時間」をどのように感じているのか、そして、その時間が限られている時(死刑囚)、または延々にも感じられるほど長い時(無期囚)、人間の心理はどうなるのか。
 そういった「拘禁心理」を扱っており、著者の考えは思想・哲学・文学にも及んで興味深い。

 例えば、無期懲役となった囚人に起こる拘禁反応の一種に「プリゾニゼーション」と呼ばれるものがある。
 これは通称「刑務所ボケ」とも言われる反応で「感情麻痺」や「退行」といった二種類の反応が起こると言われている。

 延々にも続けられる単調な生活を強制され、外部からの刺激が極端に少ない生活を強いられると、延々にも感じられるこの時間に対する「退屈」という苦痛を、外部との接触をなるべく少なくする事で緩和させようとする。
 感情の起伏は少なくなり、全てに対して無感動、施設の役人には従順そのものになる。

 更には子供っぽい感じになる退行現象も現れるという。

 囚人は大家族の一員になったかのように全員が一様な待遇を受け、全員が特定の人物(施設の役人)を尊敬するように強制される。
 生活は規則正しく、お行儀良くしていれば衣食住が自然と与えられ、金銭や排泄までも管理・制限される。
 こういった「家族のなかの子供のような扱い」に対する適応反応としての「退行」といった反応が見られるようになるのだそうだ。

 こういったプリゾニゼーション(拘禁症)というのは、そういった状況への過剰適応であるので、プリゾニゼーションにかかっている無期囚は例え仮釈放されても、既に刑務所の環境に過剰適応してしまっている状態にあると、外の世界への適応が難しくて戸惑ってしまい、「依存情態へ戻るために」再度罪を犯して刑務所に戻ってしまう事もあるのだという。

 彼らが再犯を犯すのは、そういった精神状態のためであって、世間の人間が考えるように必ずしも「こういう奴は何度でも繰り返すから死刑にしろ!」という感情論が正しい訳ではないのである。

 このようなプリゾニゼーションの研究と言うのは、例えば拉致監禁された被害者の拘禁ノイローゼであったり、強制収容所や捕虜収容所における捕虜たちが解放された後の心理ケアといったものにも応用できる貴重な研究データとも言えるだろう。

 このように本書は「死刑囚」という、世界でも稀有な状態に置かれた日本の死刑囚らの精神状態を精神医療と文学と哲学というアプローチから多面的に見る内容となっている。
 作家であり精神科医である著者ならではの視点でなかなか面白い一冊であった。その反面、死刑廃止論としての力にはまったく欠けるという点は、惜しかったと言わざるを得ない。


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