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◆読書日記.《ルドルフ・ベルヌーリ/著、種村季弘/訳著『錬金術とタロット』》

※本稿は某SNSに2020年1月9~11日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 ルドルフ・ベルヌーリ/著、種村季弘/訳著の『錬金術とタロット』(ハードカバー版タイトルは『錬金術――タロットと愚者の旅』)読了。

ルドルフ・ベルヌーリ/著、種村季弘/訳著『錬金術とタロット』

 本書はカール・グスタフ・ユングの主宰していたエラノス会議で行われた講義録をまとめた『エラノス年報』に掲載された、美術史家ベルヌーリによる錬金術とタロットについて論じた二論文の翻訳と、タロットの秘密について論じた種村季弘の随筆を纏めたオカルト論集となっている。

 ベルヌーリの論文は錬金術やタロットの背景を貫くその神秘思想の象徴性についての共通点をユルめに説明するという内容。

◆◆◆

 錬金術とタロットがどうつながっていくのか……と思っていたら、やはり両者の裏にある神秘思想の共通性に着目してるようだ。
 ベルヌーリは20世紀イギリスのオカルティスト、アレイスター・クロウリーの書いた『トートの書』と同じく、タロットの図像にはカバラの思想が象徴的に表現されているという説を紹介している。

 タロットの図像というものは、クロウリーも指摘しているようにその起源となるものは謎に包まれているそうで、エジプト『トートの書』起源説という有力な説があるものの、確定的な起源はわかっていないという。西洋のタロットもいつ頃から存在しているかわからないのだそうだ。

 タロット・カードと類似性が見られる図像が古代エジプトに見られるという説はクール・ド・ジュブランが指摘しているが、実はインドにもタロットの類似物があるそうで、「カツランガ遊び」と呼ばれる四列のカテゴリからなるカード遊戯が昔から存在していると言う。

 この四列のカードにはヴィシュヌの八つのシンボルが刻印されていて、その内の四つがタロットカードにも見られるマークになっている。
 その四つとは「王笏or棍棒」「剣」「円盤or貨幣」そして「ほら貝」だそうで、最後の「ほら貝」はヨーロッパでは「盃」に変形されている。
 これらは無論、トランプの「クラブ」「スペード」「ダイヤ」「ハート」にも対応する象徴として有名だ。

 因みに53枚のトランプの図像はタロットからしてみれば「小アルカナ」と呼ばれ、「愚者」や「法皇」「恋人」「塔」等の図像が描かれたカードは「大アルカナ」と呼ばれる一群となっている。
小アルカナは本来、14枚のカード×「棒」「剣」「聖盃」「硬貨」の四列の組み合わせでできており、これに22枚の大アルカナが加えられて現在のタロットが構成される。

 この小アルカナがトランプの起源だという風に言われているが、関係がないという説もあるのだとか。

 22枚の大アルカナがカバラとの関連があるというのは、ヘブライ語の22文字のアルファベットがそれぞれタロットの22枚の絵札に対応していて、それがまたカバラのセフィロトと関連付けられているからだという。
 また大アルカナは一枚ずつに1~22の番号が付けられており、数字とも対応している。
 1が「奇術師」、2が「女教皇」、3が「女帝」……で、21が「世界」。それにプラスして「0」に「愚者」が対応しているという構成。

 確かにこれはカバラ的なのかもしれない。
 カバラとは文字と数字に全て象徴的意味が対応しており、それらの計算と文字操作で魔術的な意味が錬成されるというものであった。

 ゼロに対応するものが「愚者」というのは面白い。トランプのジョーカーもある意味「愚者」なのであろう。
 ジョーカー=愚者=道化師=トリックスター=ピエロと考えれば、ジョーカーの概念的役割というものが見えてくる。

 トランプでもジョーカーは数値的操作の秩序を破壊する「秩序破壊者」として現れる。
 それは「大貧民」でも「ババ抜き」でもそういう風に扱われていることからも分かるだろう。

 道化師は昔、王様の前で風刺劇をやって王の権威を相対化する役割があったと言うが、だからこそトランプの数値の終焉である「13」の図像が「キング(王)」になっているのだろう。

 本書はそんなタロットカードの裏に存在している神秘思想と錬金術の神秘思想との類似性について語っているということになる。

◆◆◆

 錬金術もある意味キリスト教神秘主義やユダヤ教神秘主義の思想の、実証実験的な体現としてある術だった。
 そこには「全ての事象には秩序だった法則が存在している」という考え方がある。

 魔術思考に広く影響を与えている「万物照応」という考え方というのは、一神教的なロジックが存在しているものと思われる。
 全知全能の完璧な存在である神によって作られたこの世界は、全く法則性がないとか矛盾があったりだとか意味のないものだとか、そういうテキトーな事はありえない、と考えるのだ。

 全知全能の存在が作り上げたものなのだから、全てに何かしらの意味が存在しているに違いない――それがある種、西洋の「自然には何らかの秩序だった法則があるに違いない」という科学的思想が芽生えた原因のひとつになっているのかもしれない。だからこそ、一見ランダムに見えるものにも何らかの法則があると考えるのである。

 その「隠された法則性」を古代人は端的に「星」に見た。
 一見、ランダムにしか見えない夜空にバラバラに散らばった光点は、実は厳密な計算で割り出せる、一定の軌道を描いて動いているものだった――この衝撃的な発見がつまりは「自然には全て何かしらの法則が隠されているに違いない」という考えを強化する事となる。

 とすれば、その星の配列には意味があるのではないか?と考えた古代の星見の思想が後世の占星術や「万物照応」の思想に発展していく。

 天の図像は、地にあるものの象徴である。

 ――しばしば世界各地で「太陽神」としてあがめられる太陽の座する「天」は我々の住む「地」の上位存在なのである。
 だからこそ、そこにある光点(=星)の配列にも意味があり、それは天と地で対応関係が見られるのだ……というのが星座と人間との照応関係になる。頭部は白羊宮に、足先が双魚宮に……といった関係を想定しはじめる。

 これは在る種の哲学であり、宗教であり、科学であり、それらの混合物であった。

 錬金術はそういった魔術思考を化学実験的な方法をもってして実践して証明しようということだったとも言えるだろう。
 だから、錬金術の起源は魔術や宗教や哲学などと混ざり合っていて、どこからどこまでが錬金術なのかというのがはっきりとしていない。だから、その起源もはっきりとはたどれないのである。

 錬金術は「金を錬成して大金持ちになろう」というような俗世間的な動機のためにやるというよりかは、根本の動機はあくまで魔術思考・哲学思考の化学的証明であったのだろう。
 物質には何かしら、その大本となるような何の混じりけもない、何の属性も持たない純粋な物体があって、それが金なのではないかと錬金術師は考えたのだ。

 それが所謂「病める金属もしくは不完全な金を完全へと変え」るという考え方となる。
 それは観念的には「すべての対立を超越した崇高な調和、絶対の自由、時間、空間、因果律からの解放としての賢者の石」として、概念的にもその物質化としての「賢者の石」という考え方が出て来るに至るのである。

 錬金術の「非金属の金への変換」というものは、そういった魔術的思考に基づく世界秩序の証明としての機能もあったのではないかと思うのだ。
 魔術思想の、実践としての錬金術があった。

 タロットと錬金術の思想的類似性というのも、そういった魔術思考の類似性にあったのではないだろうか。

◆◆◆

 錬金術は森羅万象を司る「唯一神」に集約される法則としての金属の謎を確かめる実験だった。

「金」はある意味「純粋な物体」として、そこから万物が生み出される法則としての象徴性が秘められていた。
 一神教の中心である「神」から万物が生み出されたように、森羅万象は一つのものから生み出され、複雑化されて現在のような世界がある。

 その始原の「一」となる物体を追求する研究が、錬金術だった。

 つまりは、それが「一にして全、全にして一」たる「金」であり、それを生み出す法則の物質化としての象徴的な「賢者の石」であった。

 全て森羅万象は「唯一神」という完璧な存在から作り上げられているからこそ無意味なものはなく、それぞれの物は全て関係性を結んでいるからこそ「万物照応」という理念が発生する。

 錬金術も、カバラも、タロット・カードも、ある種の複雑な象徴体系を持っていて、その法則が隠秘的にされているからこそオカルティスムなのだ。

 タロットはまさに象徴性の塊のようなもので、全てが象徴によって秘されている。
 それは種村季弘も指摘しているようにカバラ思想を当てはめる事ができるものでもあった。

 既に上に書いたように、カバラの特徴として「数秘術(ゲマトリア)」や「文字操作術(ノタリコン)」といった、数字とアルファベットが相互に対応し、それぞれに象徴的意味が発生しているという考え方がある。

 ヘブライ語のアルファベットは22文字あり、それがそれぞれタロット・カードにおける22枚のカード、所謂「大アルカナ」に対応しているわけである。
 ヘブライ語には数字がなく、その代わりにアルファベットが数字の代わりを務めている。つまりは22進数で計算するような形となる。
 そのため物の名前は全て数字に変換する事が出来、それを使って計算して別の名前を引き出す事が出来る。

 例えば、神を示す名前である「IHVH(イェホヴァ)」は「10・5・6・5」を表しており、それらを足すと「26」が現れる。
 これは「AChD(統一)」を表す「1・8・4」を足し合わせて「13」を二倍した数で表されるので「神とは統一が二重に明示されたものである」という意味を秘めている。

 タロット・カードもそれぞれに「0」から「21」までの22の番号が付けられている通り、ヘブライ語の22のアルファベットに対応している。
 そして、それら1文字1文字にそれぞれ象徴的な意味がこめられているのである。

 これらのカードはクール・ド・ジェブランがとなえた有力な説と共に、エジプトの失われた書物が絵札となって世界中に広まっているという見方が現在でも強いようである。
 エジプトの失われた書物というのは「トートの書」ではないかと言われている。つまり、錬金術を生み出したと言われる神「トート」の書である。

「トート」というのは、西洋ではヘルメスと同一視され「ヘルメス・トリスメギストス」なる名で伝わっている。

「ヘルメス・トリスメギストス」というのは、中世を代表する高名な錬金術師がペン・ネームのようにして使っていた名前でもある。

 タロットはエジプトで迫害された祭司たちが、燃やされた図書館(アレキサンドリア大図書館)のすべての書をまとめた秘伝の書を、絵札の形に偽装して持ち出したものではないかと言われている。つまり、絵札にして遊戯用のカードとして流出させたのである。
 例えば、子供が遊ぶ「遊戯王カード遊び」を見て、それを秘伝書の偽造物だと疑う官憲がいないようなものである。

 かくして、ジプシー等を介してエジプトの秘伝書はカードの形を取って西洋にばらまかれ、現在に至るまでその秘伝を伝えているというわけである。

 これらの秘伝は西洋のカバラ・ブームと相成って再解釈される。
 そしてタロットは、エリファス・レヴィ、パピュス、スタニスラス・ド・ガイタ等のフランス隠秘主義者らの注目を浴びるようになるのである。

 かのエリファス・レヴィは薔薇十字団の団員だったと言われているが、薔薇十字団もタロットと深いつながりがあるとも言われているそうだ。

 薔薇十字団の基本文書『ファーマ・フラテルニタティス』の中に「われらが哲学の図書館にあって世界輪(ロータエ・ムンディ)こそはもっとも精巧をきわめる本である」という一節があるそうだが、『錬金術とタロット』最後に掲載された種村季弘の論文では、この世界輪こそがタロットを意味しているのではないかという説を唱えている。
 非常に複雑に繋がっていくシンボリズムを読む論調が、さすが種村先生、鮮やかな解説の仕方で様々な象徴体系を接続させていく手際はロジェ・カイヨワのように力強い。

 全ては説明できないが『ファーマ』に描かれた、薔薇十字団の始祖ローゼンクロイツの墓にあった「Tの書」なるものが「トートの書」の「T」であり、「タロット」の「T」も意味していたのではないかというのである。

 また、TAROT(タロット)の語源についても「TARO」を"輪"状に配置して時計回りに読んだものであり、これをTから反時計回りに読むと「TORA(教え)」というヘブライ語になる。

 また、何故「TARO」を輪状に配置するかと言えば、それは「輪」を意味するラテン語「ROTA」だからである、という対応性を見せる。

 斯様にタロットは全てにおいて象徴性が含まれており、これを元にして様々な意味や象徴を生み出していく。全ての神秘を記した大図書館の縮図を秘めているというのである。

 かくて秘伝はタロット・カードの中に秘められた。

 そして、このタロットは無限の組み合わせによってありとあらゆる意味を生み出していく。森羅万象を象徴し尽くす「一にして全、全にして一」である。

 つまり錬金術でいう「完全な金属」であり純粋な起源の物体「金」としてあるのがタロットである。こういう所でも、タロットと錬金術は繋がっていく。

 このように、本書はタロットとカバラ、錬金術といった神秘思想の裏側に流れる膨大な象徴体系を象徴性によってつなげ、その神秘思想の共通点をあぶりだす、象徴性の一大伽藍なのである。
 さすが種村季弘、このシンボリズムの圧倒的な大伽藍を見せられて、ひさしぶりに眩暈にも似た感動を味わった。


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