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Kindle unlimtedのおすすめ『承認をめぐる病』

 我々にとって環といえば向坂か斎藤、というのは私一人しか使っていないであろう冗談だが、こちらは斎藤環著の『承認をめぐる病』。今回は半分くらいはゲームの話を交えて。後半に始まるゲームについては、私の『ゲーム原論』か、過去の記事を見て頂けると幸いです。
 この手の誰でも評価できるものの評価が低い物だが、私の経験だと3以上の物であるならば、時折理不尽なレビューの被害にあっている場合がある。よく目にする、謎の中国人集団のレビュー工作と同じとまではいかないが、不当なレビューによって平均値が下がっている場合が多々あるので、気を付けて欲しい。もちろん、評価が3程度の物の全てがそうであるという訳ではない。
 本書は純粋な知的好奇心から、あるいは自分を見つめ直す材料として十分役に立つだろう。

 本の内容は実際に読んでみて確認して欲しいが、斎藤環氏はいわゆる引きこもりの専門家、というと語弊があるかも知れないが、そのような精神科医だ。そのため本書もそうした事例や、対人関係などに焦点が当たっている。いくつかの雑誌などに掲載された物をまとめた形で出版されたのが本書だ。
 『新世紀エヴァンゲリオン』の主要な登場人物であるレイ、シンジ、アスカの性格がある程度わかる人は少なくないと思うが、様々な対人関係から支障をきたしがち(であるとされている)典型例を、この3人に当てはめて考えてみるというのがある。

  その 複雑な世界設定はここ では措くとして、物語の中核にあるのは主人公である碇 シンジ、惣 流・アスカ・ラングレー、綾 波レイの三人の関係 だ。 この三人の人物類型は精神医学的にも興味深い。 あくまでも比喩として言うのだが、承認をめぐって葛藤し続け行動を抑制しがちなシンジはいわゆる「 ひきこもり」であり、社交性が高く承認を勝ち取るための行動化にためらいのないアスカは「境界性人格障害」、承認されることに関心がなく 命令のままに行動するレイは「 アスペルガー 症候群」に見えるのだ。
斎藤 環. 承認をめぐる病 (Kindle の位置No.227-231). . Kindle 版. より引用

  ゲーム、特に開いたゲームについての言及も引用する前の部分にてなされている。つまり、ゲームの目的はゲームをする事によって現れる人間関係からの楽しみが主である、という指摘だ。これは実際にそのようなゲームをやっている人ならば体感的にわかっていると思うが、ゲームそのもの(狭義の娯楽性)よりも、ゲームの周縁部から現れる楽しみ(広義の娯楽性)の方が勝る場面、あるいはそうした場面しか現れないゲームというのは珍しくない。ここにあるのはゲームそのものとよりかは、ゲーム内に持ち込まれた人間関係そのものだ。

 人間関係という意味で、開いたゲームでのプレイヤーの目的として、ゲームをする事によって現れる「楽しみ」ではなく、ゲームによってなされる「承認」が目的となっているプレイヤーが存在する。そうした個々人のプレイヤーがそうした傾向に自覚的であるか無自覚的であるかはさておき、少なくとも傍から見ている分にはそうとしか映らないプレイスタイルを伴うプレイヤーは存在する。これは特に調査したという訳ではないのだが、そうしたプレイヤーはVCを使用する事を好む。ような気がする。そして彼/彼女らは前述のように、ゲームを直接的に「楽しむ」こと以上に、ゲームでより高いスコアを出し、その事によって「満足」する(≒楽しむ)ような態度でゲームに参加する。つまり、より高いスコアという条件が無ければゲームを楽しめない。ゲームの楽しみは、スコアとは無関係に存在する。

  ただし、ゲームの楽しみというのにゲームの技量を向上させる過程や、難易度の高いコンテンツをクリアするという目的から楽しみが生まれる事はある。何が言いたいのかと言えば、~をクリアする、~以上のスコアを出すといった特定の条件を目標としてゲームをする機会は、ある程度意識の高いプレイヤーであればしばしば現れる。このようなプレイヤーがゲームの外側においても同様に、さらに言えば自己の承認と結びついているかはまた別だ。そうしたゲーム、あるいはゲームに限らない人生の寝ている時を除く局面において、何かしらの条件を伴う承認が現われているかどうかは別だ。ただし、そうした傾向のある個々人がゲームに参加する際に、そうしたゲームの外側と同様の態度が現われるかどうかは別だ。
 ゲームでより高いスコアを出す、あるいはランキング等の順位に固執するといった傾向の目立つプレイヤーは、承認のためにゲームをしている。というのは雑な言い方になるが、そうと考えるとすんなりと理解できる場面が多々ある。そうしたプレイヤーにとってのゲームは楽しみのためにではなく、証明の手段として存在する。自身の承認を得るための努力として、作業的なコンテンツに従事し、スコアを伸ばし、ランキングの順位を上げ、その努力を評価する報酬を得る。ゲームの楽しみは、こうした報酬を入手する未来に集約され、ゲームをしている最中の内面は考慮にない。

 このような態度、ゲームを通して承認を得ようとする態度は、二重の意味で不毛だ。ひとつは、こうしたプレイヤーの態度がプレイヤーに与える承認もまた条件付きの物であるために、プレイヤーを無条件に承認するような物ではない事。加えて、こうしたゲームの使われ方は不適切だ。本来の用途と乖離した使われ方をしているという意味で、人を刺すのに使われる包丁や、老人が運転する車のような凶器だ。凶器的なゲームとはつまり、プレイヤーがゲームをしている瞬間の楽しみを考慮しないゲームの事だ。そうした存在は、物理的にはともかく、精神的にあるいは経済的な我々の利益を損なう。

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