浮遊倶楽部

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最近の記事

みうらじゅん・愛とは?

みうらじゅんさんの感覚は 本当に共感できて いつもうんうん頷いてしまう。 血液型が同じということもあるのか? 自分の思っていることのように メチャクチャ心に響いてしまった。 なぜにこんなにも記したいのか? と思ってみる。 悲しいかな 人はかつてどんなに感動した文でも 小説でも時間が経つと記憶も薄れる。 日常の体験だってそうだ かつてあんなに嬉しかったことも 死ぬほど落ちこんだことも 大切だと思ってた人も すべてはかなく淡い記憶となり やがては忘れさられる。 だから

    • 本当のことやキラキラしたものは子供の頃見たものの中にある

      最近はまっていることは 子供の頃読んだ本をもう一度読むこと。 胡散臭くて汚い 大人社会の本はもう飽っき飽きらてw もう一度 子供の自分にタイムスリップするのだベイビー… なんか、最近思うのが 大人になるにつれて いろんなことが複雑になって、 心も考えも難しく複雑になって 夢や希望もなくなって 心が病んでくる。 社会がそうしないと 生きていけないように 洗脳するからだと思うけど、、、 搾取するために! もし、 大人という観念があるのだとしたら 本当の大人とは

      • セレンディピティ

        みなさまお久しぶりです。 唐突ですが セレンディピティ という言葉 ご存知でしょうか? ある目的の為に行動したけれど 途中段階で偶然が重なり合って たどり着いてしまった出来事で 本来の目的より 実はそちらのほうがラッキー だったみたいな現象です。 みなさま経験あります? うーん。 例えば、就職で言えば 全ての会社に落とされて 自分一人で事業を起こす しかない状況になり、 結果的にそれが大成功とか? どうしても仕事を取りたい ある取引先の営業が あったのだけど、

        • 住宅街の路地を歩く 夜は何故か闇が深い 暗闇に窓から白熱灯のあかり 闇と光の境がくっきり わかれているなと 感じる 地面に突如 己の陰があらわれて 一瞬びびる 夕飯のにおい 人の笑い声 テレビの音 音楽の音 水の音 家がきしむ音 このたくさんの人間 ひとりひとりに ひとつひとつの人生 があると思うと 眩暈がしそうになる そして眩暈と同時に 叶えられない憧れを… 絶望を抱く だって自分の人生は ひとつしか選べないから… 憧れ。嫉妬。羨望 エトセトラ。 自分が出来

        みうらじゅん・愛とは?

          ハズレくじ

          ボクは、 その他大勢の白玉なんだ けれど君に引き当てられたら 体中を傷つけて 真っ赤な一等賞になってあげるよ

          ピンク色のヒヨコ

          僕はピンク色のひよこを飼って たっぷりと愛情を注いだよ 学校にいても気になって 勉強なんかも手につかない そうさ! 僕はピンク色のヒヨコに 「恋」をしていたんだ それなのにある日となりのノラのヤツが ヒヨコを弄んで殺しちゃった 僕はワンワン泣いたくせに ハラワタでちゃったピンク色のヒヨコを 気持ち悪いと裏の河原に投げ捨てた 百年の恋も覚めちゃったのさ だから僕はいつも不安でいるんだよ あのピンク色のヒヨコを見るように 君が僕に「恋」をしているのが

          ピンク色のヒヨコ

          それは…「傲慢」ダッ!

          「自分が好きなことだけ をやる幸せ」 と、 それで、お金を戴いて 食べていく。 とは 全く別物だと つくづく思う。 やはり、 お金を手にするとは、 社会とコミットメントして 初めて生きる(活きる)のだと思う。 オナヌ-ショ-ごときじゃ みんなお金なんて 出しませんよー! お金って、 人の血や肉の結晶、 時間(命) と等価するものだと思う 他人のオナヌ-ショ-に 金払う奴なんていないよ。 そして、 「自分が好きなこと だけをやる幸せ」 は 限界があると思ってる

          それは…「傲慢」ダッ!

          絶望名言

          「希望の明日より絶望の今日を」 という考えがすきだ。 安部広房の有名な言葉、 「明日の無い希望より 絶望の明日を」 を参考に少し変えて 考えてみた。 子供の頃から、 希望、夢、理想、努力、 平和、平等、ポジティブシンキング… いわゆる、 色紙とかに決まって書かれる 前向きの言葉や考えが 嘘くさく偽善じみていて、 なにか、こう、 うっとうしくてたまらなかった。 そんなことを語る偽善者より、 絶望の今日を語る人のほうが、 クールで誠実で清々しく 格好よく思え

          そうぞうりょく

          すべてのものに 色などは存在していないと思う おれたちは 光の助けがないと この世の色彩が認識出来ない 暗闇の中で林檎は赤い と認識できるか? 暗闇の中であなたはあなた と認識できる? おれたちは意志の力で 心臓をドキドキなんて させられないけれど、 恐怖やトキメキの想像だけでも、 いとも簡単に心臓は ドキドキするではないですか? 恐怖心は意志で いくら怖くない怖くない と思っても 想像力で感じてしまう 怖さは絶大だ。 それは例えば、 おれたちの光は想像力であ

          そうぞうりょく

          あいとは

          受け身って本当は 受け身じゃないんですよ 寧ろ 能動的な身なんだと思うのです。 自分が自分自身を 大好きであいしていて 自信のある人でないと 受け身になれないんです 実はあいとは注ぐ ものではなく 受け入れるってことだと思うのです 何かをするってことじゃないのです 受け入れるということで 完結しているんです するってことは もらいたいってことですから あいなんかではなく 経済活動ですよ 巷でいう恋愛遊びなんて あいなんて微塵もないですから だいたい 光と陰みたいな

          やっほーみんな息してる?

          一匹狼みたいな人と ある程度、 深い仲になる傾向がある…… 男も女も。 別にはじめから そうとわかっていてではなく あとからわかってのことだ。 あとは、過去に 村八分にされたことがある(これは大袈裟) とか、 リンチされたことがあったり イジメられたことがあったり、 家庭環境や 周りの環境が劣悪で 孤立してきたとか。 かなりハードな人生を 背負ってきた人たちだ。 理由を考えてみると、 そういう人に ある種の迫力を 感じるのかもしれない。 ある時期、 まわりに迎合しな

          やっほーみんな息してる?

          生きてる?

          福本の漫画で、 アカギが アルツハイマーに侵され、 自殺するまえに言った言葉で、 なんか腑に落ちた言葉があって、 以下抜粋。 くたばるのは無念… しかし…仕方ないのさ… これも…! 無念であることが、 そのまま「生の証」だ… 思うようにいかねぇことばかりじゃねえか… 生きるってことは…! 不本意の連続… 時には全く理不尽な… ひどい仕打ちだってある…! けどよ… たぶん…それでいいんだな… 無念が「願い」を光らせる…! 嫌いじゃなかった… 何か「願い」を持つこと…

          生きてる?

          欠損

          いいですか、りえこさん、 「人は欠損に恋をするんです」 黄金率じゃないもの。 弱いもの。 足りてないもの。 人はそれを見た時、 本能で補ってあげようとする その弱さや未熟さを 自分だけが理解していると思う 欠損の理解者になるのです 高須クリニック院長 さすが高須克弥! 整形で幾多の顔を いじくりまわしてきただけある! これはかねてから 思ってきたことだけど 欠落感は究極の色気に繋がる! 欠落は魅力なのではないかって 欠落と魅力は紙一重なのではないかって 欠落は想像

          手放す

          結局、人間なんて 運命に逆らえない ちっぽけな存在だと思う 自分で決めたと思ってた死も 自分で勝ちとったと思った生も 自分で失敗したと 思っていたことや 思うようにいかない無念も 自分で成功したと 思っていたことや 思うようにいった喜びも すべて運命なのかな と最近は思う。 加害者と被害者の存在 もそうだ 世間では 加害者は批難され 被害者は同情される。 確かに加害者に 弁護の余地などない しかし、 あなたが加害者にならない 可能性はゼロなのか? さかのぼると 加

          鬱くしい

          最近思うことは、 今の時代って 一見自由で文化的に見えて 凄く閉鎖的で不自由で 窮屈で息苦しい時代なのかな… と思うこと。 こんなに通信も発達して 便利になったにも関わらず、 わけのわからない閉塞感を感じるのは自分だけなのか… たぶんそれは 環境どうこうというよりも 人の心がそうなってしまったのかも。 どっちかに凸ると凹むのが バランスの法則ですからね。 手軽に生活出来て 手軽に人とコミュニケーションできれば、 その対象物は おざなりになりがちになるのが人間なのか