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手が使えなくてもできる仕事

昨日は、べてるの家でお馴染みの向谷地先生に呼ばれて、北海道医療大学の四年生に講義をした。

特にテーマが決められていなかったので、生まれてから今まで経験してきたことを話した。

若き日、通っていた教会の牧師さんから、「伝道師にならないかい」と勧められ、それで食べていけるのなら良いなぁと、心が躍った。(私は高校生ぐらいから口は上手い方だったので、いつまでも両親の世話にならずに生きていけるなら、と思ったのだ)

参考までに1人の伝道師さんに、「あなたはなぜ伝道師になったのですか?」と聞くと、「失恋をしたからです」という答えが返ってきた。私は「この人はそんな理由で仕事を選んだのか」ともの凄くがっかりした。若かった私が伝道師に抱いていたイメージは、「人に楽しい気持ちになってほしい」、「人を助けたい」、「聖書の言葉を伝えたい」などだったからだ。

「人を楽しませたい」という思いが私にはいつもあった。しかし私は障がい者なので芸人にはなれない。でも伝道師にはなれるだろうとは思っていた(そして、お金も稼ぎたかった)。

私はその後、伝道師にはならずに、福祉制度を訴えたり、地下鉄にエレベーターを作ったり、障がい者の公営住宅を作る際、「オーダーメイドにしてください」と建設大臣に訴えて、それを実現してきた。

伝道師以外にも、生きてくる途中でたくさんのお誘いを受けた。スウェーデンに住んで働かないか、看護学校の先生にならないか、政治家にならないかなどなど。ありがたいし、面白いものだ。(政治家に関しては、なっておかなかったのは悔しい。もうちょっと体力があったらね)

宗教の伝道師にはならなかったが、自分のやってきたことは、社会づくりの伝道師としてのものだったかもしれないと、昨日の講義では、学生に言った。

最近は、zoomでの講義が多いので、私のくらくら動く首が、画面から外れてしまい、自分の顔が写らないのではないかと心配したが、自己満足できる講義だった。もし参加した学生たちの反応を聞けたら嬉しい(授業の後に書かれた作文などを読む機会もあるから)。

誰でも人は生きている限り、歴史を伝えていく伝道師かもしれない。
一人ひとり、大切な歴史があるからこそ、それを伝えあい、刺激を与え合い社会ができてくるのだと思う。
特に社会において影響力のない、普通の人が発言したことによって、社会が変わる時もある。

※ところで、漫才のグランプリで優勝した、視覚障がい者の漫才師、濱田祐太郎さんは今頃何をしているのだろうか?

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