見出し画像

心がささくれるとき

ときどきある。
心がささくれるとき。

みんなは、ない?
わたしは、ときどき起こる。

何もかも投げ出したくて
大きな声で叫びたくて…そんな衝動。
そして、
そんなことしても何も解決しないよ、という冷静な目。
まさに熱々フレンチトーストとアイスのスキマ。

溶けかけたアイスクリームと
冷めてしまったフレンチトーストなら
絶妙なハーモニーを生み出して
舌も心も満たしてくれるのに。



原因?

うん、わかってるよ。


ここに書くには忍びないほどかもしれない。
他人から見たら、
きっとくだらない理由なんだけど
「くだらないんだからいいじゃん」という冷静さと
「くだらないと決めつけないで」という衝動なのだ。



だから、
思考を止めたくて
半身浴しながら本の世界へ飛び込んだ。

今日は、キラキラ共和国

目の前にあるものだけで
幸福を積み上げてしまっていいのかな、
と思う。
 
けれど、
だからといって
世界中の人と知り合って、
話したりデートしたりして
「世界で1番」を選ぶなんて不可能だ。

という文章がある。

心がささくれてるとき、
わたしの中は
「これでいいのだろうか?」
「わたしにできるのだろうか?」
「そんなパワーあるのだろうか?」
「1人で立てるのだろうか?」

思ってしまう。

やりたいことと現実の間に
溶けかけたアイスクリームがある。
冷たくもない、だらけた味の、日常という名の積み重ね。このままでいいよ、という甘い誘惑は、どうしても時間が経つと、溶けて甘ったるく、くどくなる。

だからといって
人生に正解なんかなくて、
10円の借金でビクビクする人もいれば
1億以上の借金に笑っている人もいる。
1回の結婚に必死になる人もいれば
7回の離婚も、また離婚したよ、と笑ってる人もいる。
世界中をみたところで、
幸せか不幸かの基準なんて曖昧なんだと知ってるのだ。

砂漠ではお金より水。
日本では水よりお金。
子育てでは正論より曖昧さ。
システムでは曖昧さより正論。
料理はレシピ以上に相手を思いやる気持ち。

そんな中で自分の人生の「正しさ」なんかあるわけがないのにね。
どうも心がささくれてる。


わかってることと
納得してることは
全然違うのだと、
今日もまた確信する。


強い自分を演じられるように
弱い自分を見せないように。
ただ粛々と、
岩の隙間で静かにしているのは、
少し、もの寂しく思ってしまうから。



仕事も家庭も子育ても
こうすればいいって信じているときは、楽なんだけどなぁ。
余計な思考回路が止まらないだけ。


そんなことを考えながら、
「フレンチトーストでも作ろうかな」と思う。キッチンに立てば楽しくなってくるから。

溶けてしまったアイスは不味いけど、溶けかけたアイスと熱々フレンチトーストは、
やっぱり憎めないほど美味しいのだ

この記事が参加している募集

私のコーヒー時間

眠れない夜に

サポートいただきありがとうございます。励みになりますし、記事が、何かお役に立てれば光栄です!