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朝から感情のコンセントを間違えたまま

朝の気分って、
その日、1日を左右する気がする。


今日も仕事だけど、
今日は、自分の事業のほう。


最近、塾代を稼ぎに外で少しだけ働いてる。在宅もできる。
久しぶりに外に出て、
わたしってゆるゆる働いてたんだなぁ、と今更ながらに気づく。

「きちんとできてる」
なんて、自惚れで。
外に出て、やっと、わたしはまだまだだなぁと気づく。
躍起になって働く気はないし、
髪を振り乱してまで働く気はないし、
女子フル活用して働く気まんまんなタイプだったけど。
それでも「まだまだできる」と思った。
遅いけど、気づけたからよしってことにしよう。


今日はそんな日。
やる気があるとか、ないとかじゃなくて、
愛情の箱に隙間を見つけた日。


まだまだ狭い世界に生きてたなぁ、って、反省してるわけじゃなくて、ぼんやりそんなことに気づく。

愛の枠に、
うちの子どもたち
子どもレッスンの子たち
生徒さんたち
親……と、入れれるだけ入れてるつもりなのに、
まだ隙間があって、
「入るのに!まだ入るのに‼️」
と隙間を指さしてる。


どうしてもお弁当箱みたいに、
動かないほどピッタリ入れたいみたい。

CartierとかTiffanyとか、
ハイブランドアクセサリーみたいに、隙間がある並べ方ができないらしい。


こんなときって、
言葉もスルスル出てこなくて、
noteを書くのも一苦労。


ホロスコープのことを書いてる方が簡単なのだ。
調べた結果報告だけだから。


コロコロ変わる心を
客観視できるようにするのって、
なかなかに難しい。
でも、書き終わるとスッキリするから、やっぱり見つめたいの。



なんで感情のコンセントを間違えたんだろう?


今ハマってるドラマがサスペンスだから?
Netflixのロック&キーにハマってる。
ワンピースは見終わったの。

最近これを一気に見てるし、
かけながら家事をする。
だから、これのせいじゃないと思う。


朝からネットニュースで
サレ妻シタ夫のコミックエッセイのバナーが上がってきて
間違って押してしまったから?
ちらっと読んでから、気持ち悪くなったもの。

加害者、被害者って図式が気持ち悪かった要因。
結局、書き手側から見た正義と事実しかなくて、本当のところは誰にもわからない。
シタ側を擁護する気も、
サレ側を擁護する気もないけど、
2人の人間関係がうまくいかなかっただけ。

それが恋愛。
それが人間関係だもの。

ーー
もう、好きじゃないです。
はい、別れましょう。
でも、わたしはまだ好きです。
ならまた惚れさせてくださいな。
そうなったら、もう一度結婚しましょう。
ーー

って
シンプルにできないのは、
子どもが関わるからかしら?と思う。



そうか、
ネットニュースから、必要ない感情も拾ってしまったのか。


ニュースだけじゃなく、
ネット記事、商業用コラムも全てなんだけど
センセーショナルに書くの。
そんな傾向がひどい。
本もそう。
〇〇でもわかる!とか、幸せに稼いで1000万!とか。
キャッチーなものが売れる。

多分、今の時代に、
舞姫とか、ノルウェーの森とか、人間失格とかが、
新刊で出ても(過去にあってリバイバルとかじゃなくて、はじめて世に出るって意味)
売れないんじゃないかな? と思ってしまうよね。

センセーショナルな方が、
見やすいしわかりやすいし、頭も使わなくていい。

でも、
センセーショナルで衝撃的であればあるほど、
裏を考えたり、思いを考えたりできない。
そっちに目を奪われて、手元がおろそかになる。


わたしの手元は大丈夫だろうか?
わたしの足元は大丈夫たろうか?


やることに追われて、
また心を込め忘れてない?

ひとつひとつに、愛情を込めてる?



「このほうが売れる」
「このほうがわかりやすい」

って
ハウツーも大事だけど、
最後に支えになるのって、思いや根っこだと思うから。


ねぇ、大丈夫?



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