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「自分は〇〇だから。」何かの言葉(思い込み)で自分を守ってはいないか。

「本当の本当にそうなのか?」って、いちいち自分自身を疑っていくことは【進んでいきたい】ならば避けては通れない道だと思う。

人には段階がある。それ故過去こうだったから今もこうだと過去の記憶に人は無意識に縛られつづけるのだと思う。
身勝手に自ら進めなくするのだ。

私はずっと人見知りだからという言葉をダシに自分から逃げていたように思う。人見知りだから人と関わらなくてもよい、人とうまく付き合っていかなくてもよい。自分のいい風に解釈しあたかもそれを私の普通とする。

それはなんでも、です。
「〇〇は可愛い。だけど私は可愛くないから前に出てはいけない」とかそんなのも。まあ、これも私の思い込みですけれども。私の場合は母だなあ。お母さんは可愛いのになおちゃんはそうでもないよね。って友達に言われたのがきっかけ。人見知りは学校の先生かな。

回り回って全てをくっつけて落ち着こうとする。やっぱり私は可哀想な子だからなんだ。って。無意識にだよ。無自覚でも記憶はなくても耳や肌から感じるものは相当でかい。だから人は人を見て自分に気づいていくしかないんだと思う。

ある意味大事に守ってきたものは自分でしか開放してやれない。だって自分が仕掛けてた罠でもあるから。だから段階があるのだ。いきなりは難しいけれど、ずっとそこに甘んじていても人生は終わってしまうんだ。

選択は時に苦しい。厳しい。しんどい。逃げたい。だけど選べる今が花なのも事実。

人で傷ついたのならば、人は人で癒せる。
どの段階で止まるかも選べる。
自分がどうありたいか。きっとそれだけなのだ。

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