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ドラえもんの定義(前編) ドラえもんを定義するとはどういうことか

私の夢は、ドラえもんをつくることです。

今日は少しこのドラえもんのお話を深掘りしたいと思います。

ドラえもんをつくると言うと、「ドラえもんの定義は何か」とよく聞かれます。「何ができたらドラえもんなのか?」と問われるのです。

定義とは、いったいどういうものか。

「定義」のお話は、たまにする話なので、過去にお話ししたものを参考までにご紹介させていただきます。

研究領域における定義は、実は少しずつ性質が違っているように思います。

例えば「何かを作る」ことを目的とした工学分野であれば、「何ができたら〇〇か」という観点で定義が作られる場合が頻繁にあります。もしくは、出来上がったものに対して、名前をつけることもよくあります。比較的新しい名前をつけることに抵抗はない分野であるようにも思います。自分の新しい手法が出来上がったら、出来上がった手法の分だけ名前(定義)が生まれても問題ありません。

「新しい現象を発見する」ことを目的とした科学分野であれば、発見した現象に名前がつけられることがよくあるようです。「××な性質をもった細胞を〇〇細胞と呼ぶ」みたいなものが具体例です。どちらかといえば、発見したもの全てにバラバラに名前をつけては収集がつかなくなってしまうので、何と何は同じもので、何と何が別のものかを区別するために、ある名前で呼ばれるための条件が決まっているように思います。

ドラえもんをつくるといった際に難しいポイントは、定義する対象がドラえもんであるということです。自分が作ったものを勝手にドラえもんと呼んでいいものか。もしくは、ドラえもんの条件を勝手に決めていいものか。悩みどころなわけです。

ドラえもんを定義するということ

そもそも定義をするということは、物事の外側と内側を決める行為です。

つまり、ドラえもんを定義するということは、ドラえもんであるものとドラえもんでないものを分けるということです。

過小な要件でドラえもんを定義してしまった場合。例えば極端な例をあげれば、ダンボールで作った物体にドラえもんと名付けたり、ドラえもんの条件を「こんにちは」という音声を流せることであると定義した場合。多くの人にとって到底承服できない人工物をドラえもんと呼ばなければならなくなってしまいます。

一方で過大な要件でドラえもんを定義してしまった場合。例えば、全知全能の人工知能だけをドラえもんと呼ぶと定義した場合。人が思うドラえもん像を安易に否定してしまうことにつながりかねません。「ドラえもんの不完全さが好きだったのに。」といった人もたくさん出るはずです。そこまで極端でなくても、例えば、定義として実際に動くロボットであることを採用した場合には、アニメや漫画の中のドラえもんだけがドラえもんだと感じていた人に対して、そのドラえもん像を否定することにつながりかねません。

自分が目指すドラえもんの定義とは

多くの人の頭の中にバラバラにあるドラえもん像に寄り添いながら、世の中にドラえもんを送り出していくということは、想像以上に難しいということを感じていただけたでしょうか。

一般的な人工物であれば、開発者が比較的高い自由度の中で定義を決 めて、決められた定義を元に開発を進めらます。しかしドラえもんのようにすでに言わずと知れた大人気キャラクターを、新たな形で世の中に生み出す場合の定義は特別慎重に取り組んでいくべきです。私は、ある人が承服できない存在を押し付けることも、誰かの 思い描いていた像を否定することもすべきではないと思っています。

ではどのように定義して、どのように作っていくべきなのでしょうか。
現在のところ私が一番いいと思っているドラえもんの定義は、

「みんなが、ドラえもんと認めてくれたらドラえもん」

です。詳細については後半に譲ろうと思います。

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