見出し画像

『進撃の巨人』の「壁の中の人類」は自分だと思う

『進撃の巨人』は、突如現れた人を捕食する巨人から逃れるため、高い壁を築いてその中で暮らすことを選んだ人類の物語です。巨人が現れなくなって100年が経過した壁の中の世界は、とても平和でした。でも主人公の少年は、その「平和」に疑問を持っています。

100年の平和

物語の中で、高い壁によって巨人の悪夢から遠ざけられた「壁の中の人類」は、100年の平和を謳歌しています。壁の外を調査する調査兵団という組織がありますが、多くの人は壁の外の世界に積極的な興味を持っていません。

それは、壁の中を自分の世界だと思い込むことで、外の世界に興味を持たないようにしている、ある種の自衛反応のようにも見えます。

そこへ、ある日、本物の巨人が現れます。そして、物語の中で繰り返し表れるテーマが語られます。

その日 人類は思い出した
奴らに支配されていた恐怖を……
鳥籠の中に囚われていた屈辱を……

『進撃の巨人』より

僕はこれを聞いたとき、「これって自分じゃないか…」と思いました。

常識の壁に囚われた存在

もちろん、実際に僕が城壁都市で暮らしているわけではありません。僕も周りにあるのは、「常識」という目に見えない壁です。

日常生活って、「目の前のこと」で出来ていると思うんです。仕事をして、お金を稼いで、それを消費しながら生きていく──それが常識ですし、当然のように存在している生活サイクルです。

そして一度そのサイクルに組み込まれると、サイクルの外側に出て行く可能性を考えたり、サイクルそのものの成り立ちについて疑問を持ったりしなくなります。そして、「壁の中の幸せ」を探すようになります。

自分が何に支配されているのか自覚する

僕自身は、そうしたサイクルから抜け出そうと、自分なりに精一杯抵抗し、様々なことをしてきました。それでも、改めていま思うのは、自分はまだまだ目に見えない常識に支配されているし、その常識があることが都合がいい人によって、支配されているという事実です。

常識的な社会に生まれ、常識的な親に育てられ、常識的な人間になる。たとえその中で「変わり者」と呼ばれたり、そう自覚したりしていても、じつのところ「常識的な変わり者」だったりします。

『進撃の巨人』では、巨人が支配されている自分に気付く契機を与えました。現実のこの世界では、新型コロナウイルスがその役割を果たしつつあると感じています。

ウイルスは、どんな壁もすり抜けて、あっという間に世界中に広がりました。そして、例えば日本社会が、本当に困っている人や貧しい人に対していかに厳しく、富める人のために成り立っているのかを、鮮烈に示しました。

この経験と自覚は、僕に「新しい生き方」を開発する決意や、この支配構造に挑戦する勇気を与えてくれました。あなたは、どう感じましたか?

声のメディアstand.fmでは、同じテーマを音声でお楽しみいただけます。この内容が気に入ったら、ぜひこちらをどうぞ。無料メルマガもおすすめいたします。


コンテンツが役立った!共感した!という方は、よろしければサポートをお願いします。大変励みになります。noteでの情報発信のために、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。