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地に足付けて考える。たまには宙に浮きたいけれど。

2023年12月某日。10℃。曇り。


一人暮らしを卒業して、大きく変わったことがある。それは親しい友達との飲み会ではじめて気づかされた。

社会人になってから知り合って、それから平均して半年に1回くらい飲みに行く、といった仲の3人組なのだが、まあ居心地がいい。それぞれが何を言っても柔らかく受け止め、それぞれの視点から思いつくことをそれっぽく言い合う、そんな関係性。どんな悩みや不満がテーマになっても、だいたい3人とも同じ立場にいる。けれど、それぞれ根拠が違う。それが心地よさを生んでいるように思う。

先々月に3人で集まる機会があって、誰かが結婚したこと、誰かが結婚すること、誰かが遠距離恋愛をしていること、を報告し合ったとき。僕はそれっぽいアイデアや考えがこれっぽっちも思い浮かばなかなかった。いや正確には、思い浮かばないことにも気づかなかった。
たしかに、牛のテールスープが美味すぎて上の空だったし、病み上がりで頭が回ってなかったかもしれないけど、それでもお粗末だったらしい。


二人暮らしを始めて、鬱々とすることが極端に減った。やっちゃったミスや日常で覚えた違和感は頭の片隅に追いやられ、これからの幸せが大部分を占拠した。「明日の夕飯何にしようかな」とか「次はどの花を飾ろうかな」とか「来週の土日はどこ行こうかな」とか「クリスマスプレゼントどうしよっかな」とか。

僕はいま、未来について、楽しみについて、悩んでいる。過去に思いを馳せ、ああでもないこうでもないと行き来していた頃よりたいへん健康的になったと思う。ただどこか、ソワソワしちゃっているのも、また事実。


未来や楽しみというのは、自分の外側にあって、そこに思考を飛ばし続けていると、次第に身体が軽くなって、思考と一緒に身体も浮ついていくと思う。しまいにはドラえもんのように足が完全に宙に浮いてしまうんじゃないか。
逆に、自分の内側にある過去や失敗というものに目を向ければ、しっかり地に足がつく。やり過ぎればどんどん身体が地面に埋まっていって、二度と地上に戻れなくなったりして。




浮ついている。自分でもそう感じているし、人からもそう言われた。だからこうやってnoteを書いて、また地に足を付ける。

これまで両足が膝くらいまで埋まっていたから、今くらいが丁度いい気がするんだけどさ。


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