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22歳の自分は


疲れ果てていた。

憧れていた場所で働きはじめて、3度目の夏を迎えていた。

私は、夢を、体現しているんだ。

学生時代、5年間も追いかけてきてた、やりたかったことを、やれているんだ。

自分はまだまだだけど。
それでもその夢の舞台で、私は、なんとか。

 
どこにだって、安心できる場所なんて、なかった。
 
職場、駅、バス、通勤路、アパート。
ディズニー、イクスピアリ。
ジム、居酒屋、食堂。銭湯。
 
いつだってどこにいたって、虚しさと寂しさと満たされない気持ちが、楽しさや安心感をはるかに越えていた。
 
家族は地元富山にいるし、幼馴染は京都にいて、親友は新潟にいた。
自身が住んでいた浦安に、気を許せる人は誰1人いなかった。
 
誰に頼ったら良いのか、誰に本音を話しても良いのか。
誰にだって、言っちゃだめな気がしていた。
 
自分がしっかりするべきなのは分かっていた。
けれども、日々の業務で一杯一杯。
毎出勤精一杯頑張る必要があったから、そこに気力と体力が全て持ってかれていた。

平日単発休みの自分といえば、散らかった部屋をなんとなく片付けて、スーパーに買い物に言って、TSUTAYAでD V Dを借りて、それをみて1日が終われば良い方だった。

あるいは昼間ずっと横になっていて、
夕方、陽が落ちるくらいにやっと、
エコバッグとリサイクル用のペットボトルを持って、
のそのそと自転車を漕いで、
その日の夜ご飯と、翌日からの3連勤分の朝ごはんとお菓子を買いに向かう。
 
そういうふうに休みの日が終わることは、
あの頃は日常的にあった。

 
自分を奮い立たせるだなんて、
自分にはもう、無理そうだった。
 

地元を離れて、3年目。


夢の舞台で現実に翻弄され続け、私はもう、力尽きそうだった。
 
 
 
そんな時、学生時代付き合っていた同級生、船乗りしてた彼から、連絡がきた。

「近くの港で下船するから、会おう」と。


 
当時の私は、元彼であっても、会いたかった。

一度心を開いたことのある人、学生時代の自分を知っている安心感は、千葉に引っ越してから出会った人々には、絶対に感じられることのないものだった。
 
そんな彼が、私の仕事終わりの時間に、舞浜駅で待っててくれていた。
久々に見た彼は、長い乗船期間を終えて休暇が始まったところだった。船社会に揉まれながらも強く生きているようだった。当時の私には、彼には自信があって、大きくて、勇ましく見えた。
 
舞浜駅周辺はリゾート感が強すぎる。

そこでは私が仕事から離れられないからと、一駅移動して、新浦安にある居酒屋さんに入った。
 
久々に彼と2人で飲むのは、新鮮だった。
 
学生時代も、焼き鳥屋さんで飲んだことがあったけど、その時とは話す内容が違っていた。
 
お互いの仕事のことと、互いの恋愛のことが中心だった。

私が話したことといえば、仕事は来月山場だから、入社してからずっとアップアップではあったけど、ここから本当にラストスパートかけていかなきゃいけない、とか、昔好きだった人と最近はじめて2人で飲みに行った、とか、マッチングアプリをやってみた、とか。
 
私は、嬉しかった。
彼の前で、自由に表現することが許されていることが。

 
社会人になってからお酒を飲むときは、大抵相手に気を遣いながら、間が途切れないように、つまらない気持ちにさせないように、盛り上げなきゃいけない、というプレッシャーがいつもあった。

上司のグラスの氷の音が聴こえたら、すぐに追加で飲み物を注文をした。上司が手持ち無沙汰にならないように。

ただでさえ、おもしろい返しやツッコミが出来ない自分。
真意では納得してようがしてなかろうが、笑顔でうんうんって話を聞くことしかできない自分。
気も遣えない、つまんねえやつだなって思われてしまわないように。飽きられないように。
いつも周囲に自分ができる最大限の注意を払いつつ、飲んでいた。

 
20歳で働き始めたので、同期もみんな年上だったし、周りにいる人はみんな年上だった。

 
だからこそ、学生時代付き合っていた彼の前では、安心して、言いたいことを言って、ありたい自分でいられて、見せたい自分を魅せられた、と、思う。


彼とは、一応社会人になって3ヶ月目くらいまでは付き合っていたから、アパートに遊びに来てくれたこともあった。
別れた理由は、彼が船乗りであるが故の遠距離恋愛であり、私は私で慣れない土地で夢を体現するために、仕事に一杯一杯。もう、なかなか会えない、そして海の上では連絡も取れない相手に、費やす気力と体力が私には、残っていなかった。
 

あっさり、別れ話になってしまった。
彼は乗船実習中でハワイに着いて、やっと電波がつながった頃。
私は、入社3ヶ月目。日々緊張して、上司がいないとお客様の前に立つのも怖くて、でも上司の視線もいつも怖くて、神経すり減らして、精一杯頑張ってはいた。
けれども毎日何回も注意されて、自信を持てなくなって。
やっとの休日、午後フラフラしながら、スーパーに行こうとしていた頃。

もう、別れ話に割く気力なんか、私には、なかった。
自分が、それどころじゃ、なくなってきていた。

彼を傷つけたと思う。

自身が夢を叶えるために力強く背中を押してくれた、かけがえのない存在だったとしても、将来長期的に関わる希望を持てない気がした相手対して、言葉を慎重に選ぶことすら、私は、できなくなっていた。
 
そんな別れ方をしつつも、彼は結局私のことを放っておくことはしなかった。
 
だからこそ、私は彼の前だとなんでも許されると思っていた部分もあった。
日々淘汰され少しばかりか逞しく、強くなった自身もまちがいなくいた。

そんな久々の2人の時間は、懐かしいけど、極めて、新鮮だった。
 
互いが、社会人。
学生時代よりもお金に少し余裕ができ、以前よりは心置きなく、お金を使うこともできた。
 
彼は服や持ち物にこだわっていたようだったし、私は私で、見た目にこだわり、肩が出る服を着て、ヒールの高い靴を履くようにも、なっていた。
 
 
あっという間に時間が過ぎて、終電の時間が近づいてきたので、舞浜戻ろうかということになった。積極的に知ろうとはしなかったけど、もうその時彼は、とっくに地元へ帰る終電を、逃していたらしい。

「ね、アパート、泊まってもいい?」

 断る理由はなかった。彼とまだ一緒に、過ごしたかった。というか、心から安心できる人のそばに、できるだけ長く、居たかった。
 
舞浜駅に停めていた自転車を押しながら、ふたり、旧江戸川沿いの道を歩いた。
 
いつものように、葛西臨海公園の観覧車が見える。
 
時間が遅かったこともあり、普段散歩している人、通勤途中の人であふれるその道に、そのときばかりは誰も居なかった。
 
7月25日だった。
本格的な夏の始まりを知らせる蒸し暑さと、紺色の夜空と漆黒の水面に包まれて。
たまに頬と肩に触れる、水辺を吹く夜風が、気持ちいい。
 
元恋人同士の私たちは、もう一度、たったふたりで、歩いていた。
 
水面に反射したマンションや電灯の灯りが、少し大人びた2人の再会を祝うかのように、ゆったりと流れる旧江戸川の表面で眩しく揺れていた。
 
後ろから彼に見守られながら歩くの、久しぶりだなあ。

ヒールでたとえバランスを崩しても、身体を預けられる人がそばにいるのは。

激務と暑さで、カロリーメイトとポカリを常食としていて、自身はどんどん細くなっていた。
仕事でシニヨンスタイルの髪型をすれば、仕事終わりの頃は自然と毛先がクルンとなる。
巻かれたように見えるその長い髪を耳にかけて、ちょっと酔っ払って。
いつもは1人で歩くその道を、彼と歩くのは、自分にとって特別なことだった。
 
 
アパートに帰って、玄関を開けるとすぐそばにある台所の電気をつけた。台所といっても、シンクとIHコンロが1つ、作業台もない、小さな台所だった。

荷物を床に置いて、背もたれを倒すとベッドにもなる、2人がけのローソファを拡げて、拡げた先に座り込んだ。
 
もう、私は、力尽きていた。
 
ずっと、ずっと、虚栄を張って、強くなろうとして、周囲の勢いについて行こうとして。

周囲に必要と、されようとして。

職場で自分の居場所を作ろうとして。

自身の浦安暮らしの軸である仕事とその延長線上にあるような気がしていた夢を、失いたくなくて。
 
その仕事をするのであれば、どんな内容であろうと、全力で向き合わなくてはいけなかった。

自分の適性に合わずとも。
 
追いかけても、追いかけても。
頑張っても、頑張っても。
 
夢を失いつつあったことも、自身が誰にも必要とされていないことも、薄々、気づいてはいたのだけれども。
 
それでも必死にしがみついて、這いつくばって、無理に無理を重ねていたから。
 
さっきまで調子に乗ってベラベラと話す、見せたかった自分を見せる余地はもう、なかった。
 
私はもう、何も、話せなくなっていた。
 
唯一安心できるような気がしていた1K6畳のアパートに、安心できる彼がいると、
私は、本当の私で居ていいのだと、感覚的に理解した。
 
オレンジ色の光が漏れるように入る部屋で、ただ座って、なにも話さないでいた。
 
「ねえ。」

そう言って、彼が後ろから抱きしめてくれた。
 
足をくずしてしばらくそのままでいて、それから2人は、そのまま横になった。
 
彼は私に優しくキスをした。自身のあらゆるところに、優しくキスをし続けた。

いつのまにかキスが愛撫に、変わっていった。

私は彼に愛されているなと心から感じた。
同時に初めて、あんなに切ない気持ちにもなった。

目の前の人を喜ばせたいという気持ちすら、私にはない。
ごめん。

事実だった。

私には、もう、幸せな気持ちを表現する気力も、相手を幸せな気持ちにさせる気力も、どちらも、無かった。
 
それでも彼は愛撫を辞めようともしなかったし、自身に無理させようとも、一切、しなかった。
 
ただ、ただ、私を尊重してくれていたし、
筋肉質な大きい身体で
ただ、ただ、私を包み込んでくれていた。

優しかった。


彼に後ろから抱かれながら、ここは唯一安心して居られる場所だと感じた。
 
相変わらず、オレンジ色の光が漏れている。
 
私は、彼に背中を向けて、オレンジ色の光を発する、台所の方を見ていた。
台所だけは電球だから、部屋の蛍光灯よりも優しい色味の明るさなのだ。
 

彼が背後から、抱きしめてくれていた。
私は安心して、満たされた気持ちで、眠りにつこうとしていた。
現実と夢の間にいるようだった。
 
自身を抱きしめる力が一瞬強くなった時、耳元で、聞こえた。
 
「ねえ。俺じゃだめ?」
 
その言葉に心臓がドキッとした。
ハッとなって、目が覚めた。漏れているオレンジ色の明かりがまぶしかった。
彼は私を離さずに、抱きしめ続けてくれていた。
 
きっと彼は、私が眠ってしまったと思って言ったのだろうとわかった。
 

すぐに目を閉じて、寝ているふりをした。


ごめん。

こんなにもふたりの距離は近いのに。
こんなにも懐かしくて新鮮なのに。
こんなにも彼から、まっすぐな好意を感じているのに。
 
彼の気持ちを、受け止められない私。
 
私がもう、彼に以前ほど好意を持つことは、きっと、ないだろう。
実際、別れてからは、彼が居ない世界を生きてきたのだから。
 
彼と飲んでいる時に、恋愛話を少ししてはいたが、私が好きになれそうなのは、その誰でもないこともわかっていたし、すぐそばにいてくれる彼でもないことも、わかっていた。

でも、自分が弱くて。彼の好意をただ受け取って。
その、好意をただ与えられるがままに受け取るという行為は、当時の自身にはすごく必要なことであって、それに心から救われていたのは事実だった。
 
たとえそれが、彼を傷つける行為だと知っていても。
 


そのまま2人は眠り込み、起きてからはブランチがてら、浦安市内のジョナサンへ向かった。
サンダルにジーンズ、ラフな格好をして。


1人でも無理なく入れるファミレスの安心感。
無理なく注文できるファミレスの安心感。
わくわくするメニュー。
おいしい食事。

一人暮らしをしてから私は、ファミレスを好きになった。

その日は、彼の前で、おいしいおいしいって言いながら食事をした。

帰りは手を繋いで、歩いた。

化粧もせず着飾らない私は、本音を話せたような気がした。
仕事が、しんどい、本当は、辞めたい、今すぐにでも。もう、これ以上、頑張れそうにない。キャパオーバー。何に向かっていってしまってるのかもわかんない。これからも瞬間的な無意味さと辛さと戦っていかなきゃ、、、。

そういって、ペタンコなサンダル履いた自身は、右手を彼の大きな左手に預けて、ふらふら歩いていた。
 

午後は、友人と都内高級ホテルのスイーツビュッフェに行くことになっていた。
アパートに到着して、友人たちとの約束の時間に間に合うように、準備した。

丁寧に化粧して、髪も巻いて。黒と薄紫。上品な色味のホテルでも浮かない、綺麗可愛い格好をして。最後にベージュのヒールを履いて。
 
彼はすぐそばで、そういう風に準備する私のことを、見ていた。


アパートを出てお別れするとき、彼に言った。

「ありがとう。またね。」

それから、旧江戸川沿いにある坂道を登るために、勢いよく自転車を漕いだ。

川から吹く、海風も混じった強めの風に、アイロンでゆるやかにくるんと巻いた、髪をなびかせて。


ペダルを漕げば漕ぐほど、私と彼との間に、どんどん距離が生まれていった。

後ろの方を歩く彼の方を振り向くことは、なかった。
 

 

22歳の私は、最低だった。

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