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外で食べた忘れられないPNTK飯(後編)

前編でとりあげた「ライスコロッケ定食」をPNKT飯として紹介するのは本当に適切なのか、という疑問がふと湧いたので、一応、「ライスコロッケ定食」というワードを検索してみた。

もしも、自分が知らないだけで、ライスコロッケ定食は世の中できちんと認められたメニューだった、というのでは具合が悪い。

ざっと見た感じだと、お店のランチメニューの中に入っているものは見つからず、家庭で作っているものが数件出てきた。添えられている写真を見ると、ライスコロッケをおかずに玄米を食べるもののようであった。

また、ライスコロッケ本体にソーセージを入れてあるというものが見つかった。これはパパも子供も喜びそうである。

やはり、自分が探した限りでは、白飯と白飯のどつき合いのようなものは見つからなかった。ということは、やはりポピュラーなメニューではなかったわけだな。

そうすると、前回「アルデンテご飯」と呼んだものについても気になり出した。そこで他の人も同じ単語を使っていないか調べてみた。

すると新米の美味しい食べ方として「アルデンテご飯」がヒットした。

曰く『新米の甘み、香りを五感で味わうために、「煮えばな」の瞬間をとらえ』て食べるという、粋というかおしゃれというか、高級感漂うものだ。

自分が食べた、いわゆる炊飯に失敗して「中が生米に近い状態で供されてしまった」白米とはまるで違う。

同じ「アルデンテご飯」と呼ばれたものでも、名付け親によってこれだけ意味が違うのかと愕然とすると同時に、これは混同や誤解を招いてはいけないと申し訳なくなった。

「失敗した方のアルデンテご飯」にぴったりな名称はないだろうか。あるいはちゃんとした呼び方がすでにあるのか。昔の文学作品とかに出てこないだろうか。ご存知の方がおられたらご教示願いたい。単なる「失敗飯」か。

さて、多分今回で締めとなるPNKT飯だが、またもや大阪駅前ビルで出会ったものである。別に大阪駅前ビルに変な磁場が形成されていてどうの、とかそういうことではなく、単にお店の数が圧倒的に多いし、忙しい時にミスも出やすいということだろう。

もちろん、この部分を想像と妄想で思い切り膨らませて面白く書くこともできるだろうが、自分にその力量はない。

しかも、今回は早々にネタバレしそうな、オチのとても弱いネタである。

もう5~6年ほど前のことだろうか、とある打ち上げで大阪駅前ビルの広めな居酒屋に行ったときのことだ。

団体で予約して入ったので、まずは各テーブルとも同じものが出てくる。

何を食べたかよく覚えていないので、揚げ物とか、普通に問題のないものが何種類か運ばれてきたのだろう。おでんを除いては。

おでん種はいたってごく普通のものであり、すじ肉、大根、玉子などが盛り付けられていたと記憶している。

しかしそれらが浸かっている出汁の色が限りなく透明に近いことに気がついた。

もうオチがわかってしまった人もいるかもしれないが、しばらくお付き合い願いたい。

自分はこれは珍しい、出汁が透明だ、というようなことを発言したと思う。

検索してみると醤油を使わない作り方もあるようだ。
なるほど、写真を見ても、出汁が透き通って見える。

このレシピで紹介されているのは、昆布から出汁をとり、ねりものから出てくる味に塩で微調整を施し、生姜醤油で食べる「姫路風」のやり方だ。

これはさきほど調べて見つけたもので、当時は姫路風の食べ方など思い当たる由もなかった。

ラーメンの世界であれば、大阪では有名な老舗「揚子江ラーメン」はもとより、京都でも出町柳駅から少し歩いたところで白醤油ラーメンと銘打っている「まあち」のように無色透明に近い色のスープで供するところはいくらでもある。

だったら醤油を使わずに出汁の味を強調したものとか、あるいは白出汁のようなものとかで煮たおでんだってないことはないだろう、と少し期待もしていた。

白っぽい大根を食べてみる。長時間煮込まれていた感じではなかったが、箸で切り分けることができ、一応中まで火が通っていることがわかった。

当然だが、大根の味がした。しかし大根の味しかしない。

すじ肉を食べる。すじ肉の味がした。しかしすじ肉の味しかしない。

玉子を食べた。玉子の味がした。しかし玉子の味しかしない。

どれも、煮込まれて染み込んだ強い出汁の旨味はおろか、塩分すら微塵も感じられなかった。

いやいやこれは素材の味を重視して作っているのかと考えてみたが、そもそもここは一般の居酒屋であって、そのようなコンセプチュアルな要素はどこを探しても見つからない店だ。

さすがにこれは変だと思って、隣の人に「これ、味しますか?」と尋ねてみたところ、「しない」と返事が返ってきた。

汁を少しすすってみた。汁の味が…ない。

ただのお湯だった。

輪切りの大根にしても、すじ肉にしても、業務用に冷凍されたものが売られていて、それを温めて出すのは全く問題ない。

しかし、「タネをお湯で温めただけ」のものをおでんと称して出すのは別の話だろう。

飲食店に行って腹が立つようなことはそう滅多にないが、このときばかりはただただ腹が立ったのを覚えている。

もっとも、腹が立ったのはおでんに対してだけであり、その打ち上げではいい感じに痛飲し、翌日は二日酔いでフラフラしながらラジオ番組の収録に臨む羽目になった。

ちょうどその打ち上げで一緒にいた人がゲストだったので、番組の中でも「昨日食べた衝撃的なおでん」について話し、腹が立ったのをネタにして溜飲を下げたのであった。お互いにこのようなおでんは初体験であった。

今考えても「お湯だけおでん」が故意なのかミスなのかはわからない。
どういった経緯でこんなことになったのだろう。

もしかしたら「姫路風」のつもりで、生姜醤油をつけ忘れて出したのか、と推理してみたが、確か皿の端に練りからしを盛っていたので、この解釈は若干好意的に過ぎる。

おそらく、単に店員のミスによるものだろう。

まあ、このようなPNKT飯の称号にふさわしいおでんも、二度とお目にかかることはないだろう。
今となっては「めんつゆぐらい入れとけや」と思うばかりだ。
もし万が一、二度目があれば、店員を呼びつけて文句を言うつもりだ。
多分二度目はないだろう。

今まで出会ったPNKT飯は今回紹介した三つくらいだが、そのどれもが自分の中では何年に一度出会えるか、というくらいのレア物だった。

もっとも、あんなものは作ろうと思ってできるものではない。

わざわざ作って店で出すと言うなら神経を疑うレベルだし、出会ったからといっても、決してありがたくはないもらい事故のようなものだ。

しかしPNKT飯は、ものすごく美味しかったものと同等か、それを凌ぐインパクトをもって鮮烈な印象とともに記憶に残っているのである。

(了)

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