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【エッセー/日記】私は今、夜に唆されています

こんばんわ、深夜区トウカです。
ここのところ、熱帯夜が続いていますね。梅雨入りもまだだというのに夏のような日ばかりで、ずいぶん気が早いな、なんて思います。

さて、今回は久方ぶりのエッセーです。
テーマはタイトル通りです。
最初は「自分はなんで文章を書いているのだろう」という小さな問いが浮かんだのがきっかけでした。それが、夜の空気を浴びてまるまるうちに肥大化。
早く眠りたいのに、なぜかその胸のつっかえが取れない。そんな時、深夜特有の「魔が差したような感覚」に捕まってしまい、その気持ちがnote記事という方向に向かいました。
そして、とりあえず何か書こうとこうして薄暗い液晶に向かい合っている。それが現在の状態です。

私は今、夜に唆されています。

みなさんもありませんか?「深夜」という生き物に唆されたような経験…。

例えば、眠れずに体を起こし、軽い気持ちで自室の本棚に並ぶ『進撃の巨人』を手に取る。序盤を少し読み、「昔のエレンってこんなんだったな」と本を閉じる予定が深夜に唆され、あれよあれよと読み進め…。
そして舞台はマーレへ、外は朝晴れへ。

こんなのもあります。

どうしても眠れずPCのスイッチを入れ(この時点で唆されてるような気もしますが)、始めたのは名作ストラテジー・シミュレーション『Civilization』。
1ターン、あと1ターン…。亡霊のような呻き声とクリック音だけが響き、偉人がどんどん生まれていく。気が付けば、文化的勝利はすぐそこ…そうなって初めて、さっきまであれほど明るかったパソコンの明かりがそれほど眩しくないことに気が付きます。
そしてふと後ろを振り返ると、青色の光とは違う、無色透明な明かりが差し込んでいるのでした。

まだまだ深夜の被害は多くありますよ。

OP、『鏡面の波』聴きたさに1話を観始めた『宝石の国』。
ああ、なんて美しい音響。そして、原作の脚本にはないシンシャのカットから始まることによってより明暗の差が美しく映える、映画のように壮大な導入。
そこから始まり、青い草花と空。それの正反対に位置するような異形のフォルムをした月人。フォスの言葉が忘れられないシンシャ。シンシャを気にするファスの口から出た何気ない言葉…。
ここでようやく、「自分は一本アニメを観ている」ということと「『鏡面の波』、1話だとED」という事実に気が付きます。
しかし、時既に遅し。1話の魅力に取り憑かれ、EDまできっちり楽しんだとあっては当初掲げていた「OP聴きたいだけだから!」などというダイエット中の人間が言う「一口だけ!食べたら我慢するから!」並の薄っぺらな論理は吹き飛び、ただ『宝石の国』を浴び続けるのです。

「…といっても、所詮は12話アニメでしょ?」。
被害者はそんな風にたかを括って「えーと、1話がだいたい25分として12話観たから25×12…」そんな風に計算を続けていきます。
「300…300分。何時間観てたかな、60で割ったとして…」。そこで、深夜被害者は事実に気が付き、ゾッとします。
首筋には鳥肌が走り、額には汗が滲む。カーテンを開け放つと、宝石のように眩い光で目がくらむ…。
そうです。いつのまにか、5時間が経過していたのです。
これは個人的な意見ですが、「深夜」とアニメ『宝石の国』はあまりに相性が良く、行ってはならない深い場所まで引き摺り込まれてしまうので非常に危険だと思います。

そんな恐ろしい深夜帯のお話もこれで最後です。

突然ですが、昨日私の記事における最多いいね(以下♡表記です)の記録が更新されました!
今までの最多は『自己紹介エッセー』の♡15個でしたが、今回『水星の魔女12話感想・スレッタの心情解釈』の記事が16個目の♡を獲得したのです。

まずは、記事を読んでくださった皆さん並びに反応してくださった方々に感謝の言葉を言わせてください。本当にありがとうございます!

自己紹介の記事に多くの♡が付いたのは「新人応援」的な意味もあったでしょうから、それを別の記事で上回る事ができたというのが個人的にはなりよりも嬉しいです。コツコツですが、進んできた道は間違っていなかったのだな、と実感する事ができました。
もちろん、どの記事への反応もとても嬉しい。新人応援の♡だとしても、それは凄く嬉しい。
それでも、自分がより腰を入れて製作した記事が評価されるというのは何にも変え難い嬉しさがあります。

私のnoteはあくまで趣味の延長線上にあるもので♡を貰うためにやっているわけではありませんが、でもやっぱり嬉しいし、なによりも私の文章や解釈に反応してくれる人がいるという事実がとても嬉しかった。
Twitterでも触れましたが、その気持ちをしっかりとした文章として残したくてこの記事を書いたのです!

…あれ?
そうだ、よく考えたら私が伝えたかったのは「何のために文章を書いているのだろう」という自問に対する回答、「趣味の延長線上だけど見てくれてるのが嬉しいから」でした。
それがいつの間にかこんな長い記事に…もう2,000字以上…。
そんな事より、そもそも今日は早く寝る予定だったのではなかったか。一体、何時間執筆していたのか…?
今、何時なのだろうか……?
おそるおそる時計を見上げると……。


というのが最後のお話です。

今回は明るくなるまでには至りませんでした。キリの良いところで切り上げる事ができて良かったです。
ですが、私がこうして記事を書き進めたのは深夜に唆されたからで間違いありません。先ほども言及しましたが、きっかけは本当に「Twitterで言った謝意を補足してなぜ文章を書くかに繋げよう」という気持ちだけだったのです。その証拠に、最後のオチ以外は全部事前に湧き出たものです…どれも実話ではありますが。
こうした深夜の特性によって朝までnoteを書いてしまうことは珍しくありません。

そして、それはnoteを読み耽っている人も例外ではないかも知れません。
ふと目が覚め、どこかで寝たいけれどすぐには眠れなさそうな、そんな感覚。何の気なしに手に取ったスマートフォンで、フォローしているユーザーの記事が更新されている。
読み応えのあるその記事を読み終えると、関連記事には面白そうなタイトルがいくつも。目に付いたものからそれらを読み漁っていく。情報が頭になだれ込んでくるような感覚。いつしか、指は自動的にスクロールを行っている…。
そして、ふと我に帰るのです。

今、何時だろう。

そう、あなたのことですよ。


お読みいただきありがとうございました!

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