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【 ODDTAXI 】 : 信頼できない語り手と、ユーモアの罠。

 おはようございます、渡柏きなこです。今日は絶賛放送中のアニメ『ODDTAXI』について考察していきます。

 まず諸注意を。現時点(2021年6月4日)で『ODDTAXI』は第九話:ヒーローの憂鬱までが放映されています。私はAmazonPrimeで視聴していますので、以下に出てくる時間はそちらに準拠しています。また、本記事は読者の皆さんが最新話までご覧になっていることを前提としていますので、ネタバレにはご注意ください。

 さて、ではさっそく考察に入ります。結論からすると、『ODDTAXIの世界は本当は人間が過ごしている世界で、主人公である小戸川にだけは人々が動物風のキャラクターに見えているのではないか?』という考察となります。

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 『ODDTAXI』、面白いですよね。そう思っていない方はこの記事を読もうと思わないでしょう。『東京喰種』や『鬼滅の刃』で大活躍した超人気声優・花江夏樹さんのいつもとは違った低い声で紡がれる不思議なユーモア。タクシーの乗客たちや小戸川の友人たちとのトークがちょっとした漫才のようで面白く、しかしその実脚本は緻密。大勢いるキャラクターのそれぞれが抱える事情が一箇所に集約していくような実に巧妙な展開で、続きがとっても気になります。

 さて、そんな『ODDTAXI』ですが、違和感のある描写がありました。それは「第一話:変わり者の運転手」での小戸川の診察シーン(14:22~)、「第四話:田中革命」でオカメインコを飼う田中(04:15~)、「第九話:ヒーローの憂鬱」でカーチェイス中に道路を横断する猫などです。他にもありますが一旦割愛します。

 先ほどあげた三つのシーン、共通点は何かといえば、『作中に動物が登場する』ことです。一つめだけは「なあ小戸川、俺は何に見える?」「ゴリラだ」「……まぁ合ってる」と、台詞内にしか登場しませんが、ともかく、個人的にこれらの描写にはかなり違和感を覚えたというか、意外な描写だったんです。

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 例えば最近流行した『BEASTARS』や『ズートピア』でコレをやったら世界観がぶっ壊れます。動物たちが立って、服を着て、人間のように話をしている。そういう、アニメ特有の戯画化された世界のお話ではなかったのか? と視聴者に思わせてしまうわけですね。見ている方からすれば、無意識的に共有していた ”お約束” を破られたような印象になるわけです。しかしこんな巧妙な脚本を描く方が、そのような約束破りをなんの狙いもなくやるとは考えにくいですね。そこには何か意味があったと考えるのが妥当でしょう。

 そこで考えたのが、小戸川が『信頼できない語り手』であるという説です。つまり、小戸川に見えている景色≠作中の他のキャラクターに見えている景色である可能性ですね。「第八話:お大事に」で剛力から送られてきた写メを一眼見て、写っているのが柿花であると小戸川が言い当てるシーンがあります。そこから続く剛力の診断は大変核心に近い内容だと思っているのですが、つまり小戸川には、周囲の人間が動物であるかのように見えているのではないでしょうか? 彼には周囲の人間の顔や身体的特徴が極度に誇張され、まるで動物のように見えている。そしてその視点が、我々視聴者に共有されている。そういう解釈です。

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 そう考えると第一話の小戸川と剛力の会話に、当初とは違う意味で筋が通ります。「俺が何に見える?」と剛力に聞かれ「ゴリラだ」と返す小戸川。実際は両者ともに人間だが、剛力は体格がよく、いわゆる “ゴリラとあだ名をつけられるタイプの人間” であり、それが小戸川には本物のゴリラのように見えている。だから見たまんま「ゴリラ」と返した。しかし剛力はその発言を比喩的な表現として受け取り「……まあ、合ってる」と返した。こう考えればいい。最初に見たときはユーモアかと思っていたのですが、それは他のシーンが高度なユーモアにまみれていたからで、もし狙って誤読させられたんだとすれば、ある種罠的ですよねコレ笑。

 すると、作中に実在の地名(歌舞伎町や荒川など)が登場することにも意味が生まれます。つまりこの作品は架空のファンタジックな世界ではなく現実を舞台にした作品であり、それをアニメという表現媒体を上手に利用して描いた作品であると言うことができるわけです。小戸川と白川さんの距離感や、柿花が騙される過程、田中が落ちぶれて気が狂っていく過程など、現実世界でも起こるんじゃないかと思わせる筆力の高さ、リアリティの高さも、『この世界は現実を舞台にしているのだ』という作者の意識から立ち上ってくるものなのかも知れません。

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 今回の説がもし正しいとしたら、これだけダイナミックな伏線を貼っているわけですから、物語の重要な要素になるはずです。『人の特徴を増幅して捉え、動物に戯画化された状態で認識する』という小戸川の能力(あるいは症状)は、物語の重要な局面でなんらかの役に立つのではないかと思うのです。あるいは、これら全ての考えが間違っているのだとすれば、何か別の答えが用意されている……はず?

 何にせよ、続きが大変気になっている作品なので、似たような考えをお持ちの方や、単純に『ODDTAXI好きです!』という方、面白いなと思ったらぜひスキしていただけたらと思います。映画の考察とかもやったりしてますので、知ってる映画がありましたら是非お読みください。それでは!

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