隔離病棟

この話は、僕が小学4年生の頃の話です。

ぼくの住んでいる小さな港町には山の麓に総合病院があり、
その山の中腹には古い木造の学校みたいな廃墟がありました。

ぼくの通ってる小学校の通学路が病院の前を通る道順になっていたので、その古い学校みたいな廃墟は物心ついたときからそこにあって、友達の間では、その廃墟はもともと病院で頭がおかしくなった人たちが鎖に繋がれてるとか、病気で助からない人たちが入院させられる場所とか、都市伝説的な場所になっていました。

僕の親が怒った時など、
「あの山の病院に入院させるぞ」とか言われたりもしました。

何気なく

「あの総合病院の上にある廃墟はなんなの?」と聞くと、

「戦時中、人に感染する病気の人たちが入院してた隔離病棟ってきいたよ」と母が教えてくれました。

「あそこには絶対行っちゃだめだよ、何十年も前の建物だからいつ崩れてもおかしくなし、変な菌で病気になるかもしれないからね」

その時、僕はそうなんだ…ぐらいに思っていました。


ある夏の暑い日。

総合病院におばあさんが入院したので僕は母親とお見舞いに行きました。

帰るとき、母親はお医者さんと話があるとのことで、僕は病院の裏にある駐車場で裏山の廃墟を見ながら、母が戻って来るのを待っていました。

廃墟は深い木々に覆われて瓦屋根の一部しか見えていません

「あのさ、あの廃墟に今週の日曜日にさ、行ってみない?」

突然、耳元で声がしたので振り返ってみると、そこには友だちが山の中腹にある廃墟を指差して立っていました。

「ビックリさせんなよ」僕がそう言うと、もう一度同じ言葉が耳元で聞こえてきました。

「やだよ…あそこには、変な菌が」

僕がそう言うと、友だちは、お前さー怖いのかよ?と僕の顔を見つめながら言いました。

「昔の話しじゃんそれって…信じてんの?」

僕は、友達に馬鹿にされるのが嫌で、行ってもいいと言いました。

それに、なんとなく僕も行ってみたかったからです。

「じゃ、日曜日この駐車場場に集合な」友だちはそう言って、山の方へあるき出しました。
「え、どこ行くの?それよりもさ、お前何で今週は学校に来なかったんだよ」そう僕が話しかけても友だちは無言で歩いて行きます。

僕が無言で歩いて行く友だちを見てると、母の声が聞こえてきました。

「お待たせ」母はそう言うと車のドアを開けました。
「今さっき、久しぶりに友だちに会ったんだよ」僕がそう言うと、母はちょっと驚いた表情でほんとに?と聞きました。

「うん、なんで?」僕は母の驚いたリアクションにそう聞き返しました。

「なんか、行方不明になったって聞いたから?」母はそう言うと車のエンジンをかけました。

「行方不明って? 学校で先生はそんなこと言ってなかったよ」僕は車の窓を開けながら言いました。

「きっと見つかったのね。良かったじゃない」母はそうゆうとカーラジオをのスイッチを押しました。

ラジオからはピンクレディーのペッパー警部が流れていました。


日曜日の朝早く、母親には友達の家でゲームをやるからと、嘘をついて、待ち合わせ場所に行きました。

「こんなに朝早くからゲームするの?」

「ゲームの練習があるから…」

自転車に乗って、待ち合わせの病院の駐車場に行くと、友達は、アスファルトにしゃがんで、空を見上げてました。

「おせーよ、来ないかと思ったよ」
友達は、手に持っていた小石を僕に向かって軽く投げつけながら言いました。

「どっから登るの?」僕はその石を拾い、友達の足もとに投げ返しました。

「病院の裏にブロック塀が崩れているところがあるから、そこから登ろう」

「病院の人たちに見つからないかな?」

「ビビッてんのかよ」

友達はそう言って僕の背中を軽く押して笑いました。

病院の正面玄関の脇の塀と駐車場に挟まれた細い道を通って、
病院の裏側に行くと鉄の扉がありました。
扉の上の壁には黄色のプレートに「緊急」と黒い色で書かれていました。
扉は、ところどころサビが浮きでた灰色の大きな両開きで、きっと、昔はここから隔離病棟に運ばれたに違いないと僕は、想像しました。
扉の横には、職員の人たちが吸っていたであろうタバコが山盛りになってる灰皿が地べたに置いてあり、煙がゆっくりと揺れていました。

鉄のドアの横を通って行くと、友達が言っていた崩れたブロック塀がありました。

蒸し暑い日で、セミの鳴き声がものすごく響いていました。

山側は草木が生茂り、正直、この中に入って行くのかと僕は嫌になり、やっぱり止めようと言いかけた時、友達はが言いました。

「よし!冒険の始まり!」

友達はそう言うと、塀を超えて山に入って行きました。

セミの鳴き声と木々が生い茂る山、壊れたブロック塀、タバコの吸い殻が山盛りの灰皿、真っ青な空…

僕は、数秒その場に立ち尽くしていました。

「おい!早く来いよ!」山の中から声が聞こえて、僕は一瞬、山が話しかけてきたんじゃないかと思いました。

「早く来いって言ってんじゃん!そこにいたら見つかってしまうだろ!」

僕は、崩れた塀を登り山の中に入って行きました。

山の中は、想像していたのと違い、草木の間から太陽の光が差込み、空気がひんやりして気持ちが良くて、僕は山の空気をいっぱい吸い込みました。

「もっと、草がボウボウ生えていて歩きづらいかと思った」

僕たちは、枯れ葉が降り積もっているふわふわした木々の間を歩いていました。

「草木をかきわけて進むと思っていたからさ」僕が言いました。

「蛇がいるかもしれないから気をつけろよ」
友達はそう言うと、持っていたペットボトルのコーラを飲みました。

「道は分かるの?」

友達は、こっちこっちと言いながら斜面を登って行きました。

3分ぐらい歩いてたとき、友達は木々の間から見える崩れた小さな建物を指差しました。

隔離病棟はまだずっーと上の方で、僕は、違う建物があるんだと思いました。

「隔離病棟から逃げ出した人たちを見張る小屋だったのかも」

僕がそう言うと、友達はフンって鼻で笑って、その建物に近づいて行きました。

草木に覆われてよく見えなかった小さな建物に近づいていくとそれは、小屋ではなくて、木造に瓦屋根の渡り廊下でした。

「俺はここまで、来たことがあるんだ。ここでコバッチの爺さんに見つかって、先に行けなかったんだよ」

コバッチは僕たちの同級生で、爺さんはよく山菜を摂りにこの山に入ってるので、僕はまた見つかるんじゃないかと、辺りを見渡しました。

「大丈夫だよ。コバッチの爺さん今日は俺の爺さんと一緒に釣りに行くって言ったから」

「別に、気にしてないけど」僕は言いました。

渡り廊下の柱には葉の小さなツタが幾層にも絡まっていて、
緑色をしたトンネルのようにみえました。

トンネルの奥は暗くてよく見えなかったけど、僕にはポッカリと口を開けた山に飲み込まれて行くような感じがしました。

「そのツタはウルシだから触んなよ、かぶれるから」

友達はそう言うと、拾った枝でツタを叩きながらぼくの前を歩きました。

山の斜面に沿って建っている渡り廊下はどこまでも続くような感じがしたけど、2~3分歩いたところでちょっと広い空間にでました。

その場所で上を見上げると、三角型の骨組みだけの高い屋根があって、骨組みみにはツタが絡まり葉っぱの隙間から青い空が見えました。

「葉っぱが屋根のかわりみたいだね」僕は上を向いたまま言いました。

「ホント、スゲーな、ここは上の病棟に行く途中にある休憩所だったのかもな」

友達が持っていた棒で指した先をみると、ツタにおおわれた木造の3人がけのベンチらしきものがありました。

「家族の誰かをお見前に行く時、ここに座って休んだのかな?」

僕がそう言うと、そうなんじゃない?と言いながら、友達が持っていた枝でベンチの背もたれを軽く叩くと、ベンチの脚がガッタと音をたてて折れて傾き、背もたれは絡まっていた草で下には落ちず、ユラユラとゆっくり揺れていました。
それと同時に絡まっていた草の間から、小さな虫たちが飛びだし、ベンチの上でかたまって旋回し始めました。

「うえー気持ちわりい!」友達が言いました。

「足もと!うえーなにそれ?」僕は友達の足もとをゆっくり歩く、大きな長い足の虫を指差しました。

友達の足元には黒と黄色のシマシマ模様の大きなクモがいました。

友達は、うえーっと叫びながら棒でクモを潰しました。

プチとかグチュみたいな音が混じり合って聞こえ、クモは黄色と黒の縞模様のお腹の中から、もっと黄色い液体をだして長い足をゆっくりと、ぐるぐるさせていました。

「何も殺すことないよ」僕が言いました。

「うーえー気持ちわりいー、噛まれたらどうすんだよ」
友達は、棒でもう一度クモを潰しました。

ぐるぐるの足がゆっくりと止まりました。

僕は、クモのぐるぐるの足を見ながらここに来たことを後悔していました。
僕たちが来なかったら、このクモは死なずにすんだし、
ベンチも壊れずに一生そこに存在していたのにと思いました。

「もう、行こうぜ。このままだと帰る頃には暗くなってしまうよ」友達は棒の先を地面に擦りつけながら言いました。

「もう、虫を殺さないでよ」

友達が歩きはじめたときに僕は言いました。

ベンチのある空間から、急に登りがきつくなっていて、
渡り廊下の、ツタに覆われてる壁をみると、人がつかまるように設置されたのかもと思われる、長い棒が草の間から見えました。

「ここ歩いて行くのしんどかっただろうな?」友達が言いました。

その言葉を聞いて、なぜか僕は、もう助からない病気で上の病室に寝ている子供を、お見舞いに行く途中のお母さんかお婆さんが、腰を曲げながら手すりにつかまり、渡り廊下を歩く姿を想像していました。

そして、ベンチを壊してしまったことを、猛烈に後悔しました。

後ろを振り返ってベンチをみると、一瞬、人影がベンチを見下ろすように立っているのが見えたような気がしました。

「ねえ!」僕は小声で友達に言いました。

「あそこに、誰か立ってない?」

友達は振り返って僕をみました。

「えっ?なに?」

「あのベンチのところに誰か立ってない?」僕は、友達の顔を見ながら、ベンチは見ずに指を指しました。

「はっ?お前なに言ってんの誰もいない…」

友達は、話すのをやめました。

「なに?誰かいるの?」僕がそう言うと、友達は持っていた棒を
ベンチに向かって投げつけました。

ドスっという音がして、棒がベンチに絡む草に突き刺さりました。

「あぶねー、蛇だよ蛇。頭が三角のやつだからマムシだな、あれ」

友達は、そういってベンチまで戻り、刺さった棒を抜くと、
蛇はもう逃げたから大丈夫だと言いました。

「蛇?人じゃなかった?」

「なに言ってんの…誰もいるわけないだろう」

そう言って友達は、歩き出しました。

そして、振り返って僕の目を見てこう言いました。

「いや、もしかしたら誰かいたのかもな、隔離病棟で死にたくないのに、死んじゃった人の幽霊とかさ」

僕が、嘘って言うと、そんなわけあるわけねーよと言って笑いました。


ベンチから5分ほど歩いていると、目の前に広場が現れました。
8メータほどの広さがあり、なぜかそこだけは草木が生えていなくて、赤い土の上は枯れ草でおおわれて、歩くたびにザクザクと音がなりました。
周りを囲むように生茂る木の間から漏れる木漏れ日が細い光の柱を作っていました。

セミの鳴き声が、広場に響き、僕の頬を汗がゆっくりと流れていきました。

ポッカリと開いた空間を見て僕は、近所の三角公園を思い出しました。
なぜだか、ここだったらピンポン野球できるなと思いました。

「なんで、ここだけ木が生えてないんだろう?」僕が言いました。

「だってほら…」友達の、さした指の先に、隔離病棟の入り口が見えました。


隔離病棟は病院の建物というよりも、学校の建物のように見えました。
横に長い平屋の一階建てで、僕たちがいる広場に面した場所に木造の門があり、その奥に割れたガラス格子のドアが見え、
今にもそのドアか開いて、子供たちや先生が出てきそうな感じがしました。

その建物を囲むように大きな木が生茂り、その建物を守っているようにも見えました。

門の柱はところどころ割れて亀裂が入って傾いていて、
亀裂の割れ目からたくさんのアリが出たり入ったりしていて僕がじっとアリをみてると、門がカクンと揺れて大量のアリが穴の中から出てきました。

「ヤマアリだから噛まれたら腫れるよ」

そう言うと友達は、持っていた棒で軽く門を叩きました。

アリは一瞬、動きを止めたけどまた動き出し、裂け目に出たり入ったりを繰り返していました。

「もう、何も壊さないでよ」僕がそう言うと、

「なんでだよ?べつにいいだろう。何十年もほったらかしにされてるんだし」と言った後、もう一度叩きました。

「自然に壊れていくのはいいけど、僕たちが壊したらなんか違うような気がするんだよ」僕が言うと友達が、ふんと、鼻を鳴らして棒を病院の壁に投げつけました。

棒は、回転しながらヒュンヒュンと音をたて、ゴンと鈍い音をたてて壁に当たり、地面に落ちました。

その時、セミの鳴き声がいっせいに止んで辺りを靜寂が包みました。

僕は、音がなにも聞こえてこなくなって、門の前に立つ僕たち以外、この世界には誰もいないくなってしまったように思えて、なんだか怖くなり家に帰りたくなりました。
猛烈にお母さんに会いたくなったのと、
ここに来たことを正直に話して、怒られたいと思いました。

その時、病院の玄関のガラスに人影のようなものが横切るのが見えた気がしました。

その影は、僕には看護婦さんのように見えました。

頭にはナース帽、白いナース服の…

「今、あのドアのところ人が見えた」
僕は入口のドアを指さして言いました。

「誰もいるわけねーよ、行こうぜ!」
友達はアリの門を通り過ぎて振り向くと歩き出しました。

「ここまで来て何言っての?誰もいるわけねーじゃん。お前マジでビビってんの?明日、学校でみんなに自慢できるんだぞ!」

「だって、見えたんだもん。ドアのガラスに写ってたんだって!」ドアを指してる僕の指の先はかすかに震えていました。

「じゃ、お前帰れよ」
友達はそう言うと、ガラス張りの引き戸に手をかけました。


鍵が掛かって開くはずがないって思ってたドアは、
ガラガラときしんだ音をたてて開いた。

友だちは後に続いて入ってきた僕を見て、誰もいないじゃんと言いながらニヤニヤ笑っていた。

病院の入口は思ったよりも広くて明るく、両側に学校と同じような下駄箱があり、看護婦さんが履いているような靴が一足置いてあった。
コンクリートの上にはスノコがひいてあって、友達がスノコの上に上がると細いチリが舞って天井から射し込む光にあたってキラキラと揺れていた。

吹き抜けになっている、三角の屋根のに穴があいていて、そこから空が見えた。

玄関から先には、一直線に廊下が伸びて両端に扉が並んでいた。

「古い学校みたいだな」友達が言った。

入口の右側には受付と書かれたガラス窓で仕切られた部屋があった。

「受付だって」僕が言った。
受付のガラス窓の奥に、白い薬棚みたいなものが見えた。

「やっぱりここは病院だったんだ、嘘じゃなかったんだな」友だちはそう言うと、受付の部屋を開けて入って行った。

ガラス越しに見える友だちが、どこか別の世界に行ってしまって戻って来ないんじゃないかと僕は思った。

「1967年だって!」友だちの声が聞こえて、僕も部屋に入って行った。

友だちはカレンダーを指差しながら、ほらあれ見ろよボンカレーと言った。

白い壁に掛けてあるカレンダーには、白いかっぽう着をつけて着物を着た女の人がボンカレーを持って笑っていた。
下に1967年5月の日付が並んでいた。

「うえーこれ見ろよ」友だちは木の戸棚を開けて中を指さして言った。
戸棚の中には木枠に立て掛けてある3本の試験管と、瓶に入ったブルドックソースがあった。
瓶のラベルが今も売っているそれと同じだった。

「なんでソースがここにあんの?しかも蓋が空いてるし」友だちはソースの入った瓶を取り出して入って振ってみた。
ソースが一瞬ブルっと震えたように見えた。

次の瞬間、黒い塊がブワッっと音をたてて瓶の口から飛び出した。

「うわー」

黒い塊は小さなつぶつぶになって、僕の顔や頭に向って飛び散り、悲鳴をあげた口の中に入り込んできた。

「うえーこれ虫だーーーーきたねー」友だちは瓶を持ったまま両腕を頭の上でぐるぐる回転させながら叫んでいる。

僕は、口の中に入ってきた虫をつばと一緒に吐出しながら、友だちを見て、友だちは何か阿波おどりでも踊っているように見えて、それがとても可笑しくて笑ってしまい、何匹かの虫を飲み込んでしまった。

友だちは持っていた瓶を放り投げると、瓶はボンカレーに当たって床の上に転がった。

瓶の中では黒い塊が動いていた。
その動きは、学校の理科の授業で見たうさぎの解剖ビデオの心臓の動きに見えて、瓶は本当は何か僕の知らない生き物で僕が飲み込んでしまった虫はその一部で、僕のお腹で成長していつの日かお腹を食い破って出てくるんじゃないかと怖くなった。

「この部屋から出ようぜ」友だちは唾を床に何度も吐きながら出て行った。

僕は、髪の毛の中で虫が動く感じがして髪の毛をクシャクシャに両手でかいた。

かきむしりながら、壁に掛かっていたボンカレー女をみると、黒目がギョロリと動いて、床にゴロンと落ちた。

僕は、怖くなって吐き気がして口の中に苦い液と舌の上に虫が動く感触がして、朝に食べたマルシンハンバーグを吐いてしまった。

廊下に出た友達が、僕を指さして笑っている。

マルシンハンバーグの中から何匹か虫が出てきて、僕のお腹では、もう虫がいっぱい産まれているんだなと思った。

「お前、なにゲロってんだよー」友だちは、そう言うと僕の手をひいて廊下に出た。

廊下に出て、ボンカレー女をみると顔の周りに虫が何匹もとまって動いていた。
床を見ても落ちた黒目はなかった。

玄関のスノコの上に腰をおろして僕は、長い廊下の先を見ていた。

「マジでヤバかったなー、虫だと思わなかったよな?」友だちは、持っていた水筒から水を飲むと僕に渡した。

僕も水筒の水を口に含んでクチュクチュとゆすいだあと、外に出て吐き出した。

吐き出した地面を見て虫がいないか探したけど、いなかった。
顔を上げて空をみると木々の間から青空が見えて、さっきのことは幻でホントはこれ自体が夢じゃないのかなと思った。

「今日からお前のあだ名はゲロッチョに決定!」友だちがニヤニヤ顔で僕を見てる。

友だちは去年、僕の家の近所に引っ越してきた。
ある日、僕が自転車に乗って細い道の角を曲がった時、自転車に乗っていた友だちと正面衝突したのが初めての出会いで、僕たちは乗っていた自転車も着ていたビックジョーンのGジャンも同じだった。
そして次の日に僕のクラスに転校生としてやってきた。

「マジでさー、ウケるんですけど、ゲロッチョ!」
友だちは、僕の性格とは違って、活発でスポーツが万能で話が面白くてすぐに人気者になった。

性格がおとなしくて引っ込みがちの僕をなぜか気にいってくれて、よく一緒に遊んだ。
「だってさ、俺たち運命じゃん」
友だちはよくそう言ってた。

空を見上げている僕の頬に、ポツンと雫が当たった。

「雨、降ってきた」
僕がそう言った瞬間に、バラバラと木々の葉に落ちる雨音が響きだした。

「すぐにやむよ」友だちが、言った。

僕たちは、玄関のスノコの上に座りながら、長い廊下の先を見ていた。

薄暗い廊下の先には陶器でできている白い洗面台と
水道の蛇口らしきものが3つ見えた。
きっと両脇の部屋はトイレかお風呂場だと思った。

「雨が止みそうだから、そろそろ帰ろうぜ」友だちが、言った。
「え?」僕は立ち上がった友だちの顔を見上げた。

僕はてっきり「これから冒険の第2部の始まり」とか言って、
病室を見に行くと思っていた。

「だって、もうゲロッチョが帰りたいって言うからさー」
友だちがニヤニヤ顔でそう言ったあとに、いやもうマジで帰ろうぜと言った。

帰ろうと友だちに言われたとき、なぜか僕はちょっとがっかりした。
帰りたい気持ちは山に入ったときからあったのに、いざそう言われるとな、なんだかわからないけど、無性にムカついてきた。

「まだ病室、見てないよ」僕は言った。

「あのさ、俺も見たんだよ」友だちが、受付を見ながら言った。

「ゲロッチョがゲロってるときに、あの一番奥の突き当りの洗面台のところに立ってたんだよ」友だちはそう言うと廊下の奥を指差した。

「また、僕を怖がらせようとしてない?」僕は言った。

「ここ入るとき、言ってただろう?看護婦みたいなの見えたって…俺にも見えたんだよ」

そう言う友だちの顔をみると、嘘をついてるようには見えなかった。

その時、カタンと廊下の奥から何かが落ちたか外れたような音がして、僕たちはビックっとなって顔を見合わせた。

僕は友だちの怯えた顔を見たことなかったから、ちょっと面白くて、ビクッチョと小声で言った。

「えっ?」友だちが、聞き返した。

「今日からビックチョっていうあだ名に決定!」僕は大声で言った。
そう言って友だちをみると、友だちはこいつ何言っての?って顔をで僕を見た後、ゲロッチョのくせに生意気だぞ!と大声で叫んだ後、大声で笑った!

自分でも、そう言った自分に驚いていた。

今の状況が何なのか分からなくて、笑うことで状況が変わるように思えて僕も、思いっきり笑った!

笑い疲れて、お互いに顔を見合わせた後、よし行こう!と僕は言って、音がした廊下の奥に向って歩き出した。


僕は、廊下の真ん中を歩きながら誰かに見られているような気がして、後ろを歩いている友だちに、視線感じるんだけど?と前を見ながら言った。

「俺も、誰かに見られているような気がする」友だちはそう言うとドアが空いている病室の前で立ち止まると、この部屋に入って見ようぜと言った。

僕は振り返って中にあるものにさわっちゃ駄目だよと言った。

106号と木札が入口の横に掛けてあった。

中に入ってみると窓は木の板で打ち付けられていて薄暗く、板の間からツタが伸び壁一面に広がっていた。

「ベットきれいじゃない?」友だちが言った。

確かに、部屋全体はツタとせいか、ジメジメと小さなホコリが舞っているのに、ベットの上に乗っているマットだけは白くて光っているように見えた。

「草の匂いとホコリで気持ち悪いよ」僕が言った。

「だよなー、でもなんでこのベットだけはきれいなんだ?」

「わかんないけど、幽霊のベットなんじゃない?」僕がそう言った瞬間、バリンッッッッッッッッンと窓ガラスが割れる音が病院内に響いた。

「ね、なに今の?」
僕は、白いベッドを見つめながら言った。

「わかんない」友だちが、言った。

バリンッッッッッッッッン!バリンッッッッッッッッン!

病院の窓ガラスがいっせに割れ始めた。

僕は、ガラスの割れる音を聞きながら、僕たちのいる106号室の窓は板が打ち付けてあるから大丈夫だって、なぜか思っていた。


「やべーよ逃げようぜ!」
友だちが、今にも泣き出すんじゃないかっていう声で言った。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ」

友だちの叫び声に驚いて、指を指している白いベッドをみると、そこには看護婦さんが立っていた。

立っていた言うか、なんて言ったらいいのか分からないけど、スターウォーズで見たR2-D2から投影されたレイヤ姫のフォログラム映像のように写ったり消えたりしている。


看護帽をかぶって、白いかっぽう着に長い白いスカートで白いサンダルをはいて看護婦さんがベットの脇に立っていた。

看護婦さんはベットに誰か寝ているかのように、毛布をかけるような仕草をした後、立ちすくんでいる僕たちを見て静かに、言った。

「ガラスを割らないで…」

看護婦さんはそう言うと、僕たちの方へ近づいてきた。

僕は瞼におもいっきり力を入れて目を閉じた。
目を閉じる瞬間、友達が病室から出て行く気配を感じたけど、
僕は動くことができなかった。

強く目を閉じ過ぎてこのまま瞼が開かなかったらどうしようと思った。
黒い中に虹色のビヨビヨの光が見えて、その中に看護婦さんの顔みたいなものが、現れた。
耳元で何か呟いている声が聞こえる。

「ここにいる人たちは伝染病じゃないのよ。みんな、町の汚れた空気では暮らせない人たちなの。
それなのに、あなたたちは、叫びながら石を投げて」

耳元で呟いてる言葉のイメージが僕の頭の中に入ってくる。

木造の病院、割れた窓ガラス、病室に散らばるガラス、ベットの下に潜り込む寝間着を着た子供、石が顔にあたって血を流している看護婦さん、受付けから飛び出す看護婦さん、洗面台に流れる赤い血、泣いてる患者たち、笑いながら石を投げつけている子どもたち、渡り廊下のベンチに座るおばあさんと小さな子供…。

「石を投げないでぇぇぇぇぇぇえええええええええええ」

耳元の声が叫び声になったとき、誰かが僕の腕を引っ張った。

僕は腕を振り払いながら、何度もごめんなさいと、声にならない声で言っていた。

このまま、看護婦さんに捕まったらもう家に帰れない気がした。

「バカ、俺だよ、逃げるぞ!」

友だちは僕を106号室から引きずり出すと、僕の腕を引いたまま玄関に向って走り出した。

目を開けても目の前は虹色のビロビロでよく見えなかったけど、僕もおもいっきり走り出した。

病院を出るときに後ろを振り返ると、受付けには、忙しく動きまわる白い服を着た人たち、受付の前で話をしている寝間着を着た人たち、廊下を歩く黒縁メガネをかけて白衣を着た男性、そして、廊下の奥の洗面台の前には、顔から血を流している看護婦さんが見えた。

登って来るときはボロボロで骨組みと蔦に覆われた渡り廊下は、屋根も柱もスノコも寂れてはいるけどちゃんとしていて、
手すりに捕まりながら登って来る人たちとすれ違った。
みんな社会の授業でみた戦争時代の服装をしている。

登って来るとき友達が壊したベンチに、割烹着にモンペ姿のおばあさんと、ツギハギだらけの茶色のズボンと薄汚れた白いランニング姿の、僕たちぐらいの年齢の少年と座って話をしている。

少年は入院したくないって泣いてる。
「だって感染者って、いじめられるんだ」
少年はそう言うと僕たちの顔を見てニタニタ笑いだした。
ニタニタの顔がボロボロと崩れて眼球が垂れ下がった。

僕はそれを実際に見ているというか、感じているというか、イメージとして僕の心の中に鮮明に入り込んでくる感じがした。

手を引いてる友だちの感触だけがリアルで、僕は無我夢中で山を降りた。

病院の駐車場に着いて僕は、途切れ途切れの薄れた白線のアスファルトに倒れ込んだ。
ドキドキしている心臓の音を聞きながら空を無上げると、オレンジ色の薄暗い中に、キラキラと光る星が見えた。

「怖かったね」
僕はそう言って体を起こし辺りを見渡した。

友だちがいない。

駐車場に友だちの姿がなかった。

あれ?まだ山の中にいるのかな?と思い僕は立ち上がって、今さっき走って来た山を見た。

「おい、ビックチョ」と声を殺して呼んだ。

駐車場に茶色いカローラが入ってきて、ヘッドライトがハイビームになって僕を照らした。

病院の職員が来たと思って僕は乗ってきた自転車のところまで走って、その場を離れた。

ゲロッチョの自転車がなかったので、きっと怖くて先に帰ったんだろうと思った。

自宅の玄関を開けると、カレーの匂いがして茶の間からサザエさんの主題歌が聞こえてきた。
僕は、その瞬間なんだかとてもホッとして、少しの間そこに立っていた。
心臓はまだドキドキしていたし、服が汚れてないかと袖口を見ていた。

「お兄ちゃん、今日はカレーだよ」
妹が、お気に入りのモンチッチのぬいぐるみを抱っこしながら僕に近づいてきた。

「あーお兄ちゃん、なんか泣いてる」妹はそう言うと、母親がいる台所へ走って行った。

僕、自身も自分が泣いてることに気づかなかった。
確かに僕の目から涙がゆっくりと流れていた。

母親が、なにした?ケンカでもしたのが?とヒマワリ柄のエプロンで手を拭きながら近づいてきた。
そのエプロンは母の日に僕と妹がお年玉を貯めて買ったものだ。

母親が目の前に来たとき、僕は大声で泣き出した。

大声で泣いてる自分に僕は驚いた。
よほど、怖かったのと、もしかしたら友だちを山に置いてきたかもとの感情が入り乱れていた。

「あんだが、悪いんだべ」母親はケンカしたと思っているらしく、いつものセリフを言うと台所へ戻って行った。


次の日の朝、母親が山に行った?と聞いてきた。
「あんだ、昨日山に行ってきたべ?」母親はそうゆうとツタの枯れ葉を差し出した。
「あんだの脱いだズボンの裾についでだんだ」

僕は山には行ったけど、あの病院がある山じゃないことにした。

「山には行ったけど、馬っ子山だよ」僕は朝ごはんにのり玉をかけながら行った。

「だいど行ったのや?」母親が妹に服を着せながら聞いてきたので、僕は友だちと行ったと言った。

「あんだ、何言ってんのや?友だちは死んだべ」母親はそう言うと、妹にお兄ちゃんが変なごど言ってるねと言った。

「あんだの友だち、あの山の病院さ行って、途中にある通路が崩れて下敷きになったべ」

僕はご飯にのり玉をかけてながら考えていた。

「うん?何言ってんのや?」僕がそう言うと、母親はあんだごそ何言ってんのや?と言った。

「お兄ちゃん、のり玉かけすぎ」妹がそう言って僕の手から
瓶を取り上げた。

終わり。

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