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ソーシャル・ロード。

 高級ジャケットに現金を詰め込んでネオンを渡り歩く毎日を送りたい?

 現金崇拝は化石さと、キャッシュレスで世間をスマートに渡りたい?

 血相変えて、お金、お金と血眼になってる人がいる。
 もしかして世の中はそういう人であふれてる?

 確かにお金は大事だよ。社会はお金というエネルギーで動くように作られてしまったからね。
「おばちゃん、はい、これ、うちの畑の採れたて大根」
『おやおや立派な大根だねえ。ちょっと待っててけろ、うちの米、今年はようけできたから、持っていき』
 なんて現金不要の取引なんて、今や稀有な反社会体制。

 でも忘れちゃいまいか? ガソリンがあっても、エンジンがないと宝の持ち腐れ。お金が宝だとしても、駆動する欲望がなければ車は前には進まない。オクタン化は時代とともに上がっていき、それに合わせてエンジンだってより早く強く、おまけに効率化目指して改良されてきた。ガソリンの使い方に長けてる者がエンジンを巧みに操りエネルギーを生み、車をさらに加速させていく。
 社会の仕組みに則れば、走るべきソーシャル・ロードだって見えてくる。
 
 すごいねえ、人智ってやつは。走り出したらとどまることをしなくなるんだから。
 
 でもさ、ある日、社会道ソーシャル・ロードを突っ走ることだけが人生じゃないって気づいちゃったんだよね。そりゃ、有り余るお金にモノを言わせれば採れたて大根にもありつけるさ。羽田から飛行機乗って目的地でリムジンチャーターして、ふんぞり返って運転手に指示出せば、機転のきく運転手ならば苛立ちを喚起されずに目的地に辿り着く。だけど、仕事フィールドに残された物、者たちはどうなるのさ。青空の下、気取ったレストランばりに調理されていく大根料理のバリエーションを食らい尽くす前に仕事フィールドにトンボ返り。慌ただしいったらありゃしない。
 社会の成功者が生きる世界は広いのだろうけど、小さな畑の芳醇な土壌で大根と共に生きる井の中の蛙的生き方が狭いかというと、そうは思わないんだよね。小さいけれど、大きいんだ。
 大根、出荷はするよ。ソーシャル・ロードの端っこを走る端くれとしてね。でも、その道は本線じゃない。
 
 モノの見え方は、立った大地で違ってくる。身はひとつだから、金にものを言わせたってどうにかできることではない。
 いちど価値基準ができあがれば、隣の芝生の価値基準は理解できなくなるんだよ。

 人生の勝ち組になりたいの? 勝ちたいってことは比べるってことだから、人がわんさか集まるソーシャル・ロードを行くわけだよね?
 勝ちたい人はソーシャル・ロードで頑張ればいいのさ。負けたら覚悟しなきゃなんないけど、それでも目標があるって素敵なことだもの。

 でも人生の満足は、お金をたくさん所有したから得られるってものじゃない。すべてはそれぞれの人が心で決めたものの先にある。

 だから、人生を磊落に生きる切り札ーー胸の内にハートのエースを忍ばせておく。
 最後には心がものをいう。

 ま、ない物ねだりはしないと決めた末の落とし所。清貧、錦の心、清く正しく。さすれば生きる道は美しい。そう固く信じるがゆえの顛末記。

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