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【二輪の風景-19】気づかれない変化。

 箱入り娘だった。
 親の言うことを素直に聞いて、反抗期らしい反抗期もなく、大学を出て希望していた会社に入社した。損保の企画営業だった。
 データをかき集め、どんなところに世の人々は不安を感じているかを調べ、その不安を救える保証はあるのかを考え抜き、企画が商品化されたらその商品は満足してもらえるものかどうかを徹底的に検証し、そして何よりも大事な利益がいくら出せるのかを試算する、そんなことを生業にしている。

 どれだけ被保険者に寄り添えるかを考えながらも、同時に少しはゆとりある生活費をもらえるように、会社に貢献してもいた。相互扶助の精神は、被保険者同士が助け合うためだけにあるのじゃない。保証と補償を受け持つ損保会社もまた、保険をかけてくれる人たちに助けられている。

 私は、保険に、会社に守られている。保証の範囲内で安心を享受している。もちろん限界はある。掛け金に応じた保証分しか、安心は得られない。換言すれば、一定ラインまでは安心していられるということだ。その、超えてはならないラインの内側で、私はちんまり生きている。
 これまで、羽目を外すようなことはしてこなかった。これからもこれまでと同じように守護ラインからはみ出さなければ、きっと生涯、なに不自由なくやっていくことができる。

 だけど、という反骨というか反発というか、仕事に慣れてきたころ、そういう反乱的な意識革命が精神の内側で勃発して、これまで無難な選択しかしてこなかった自分に気づき、いたく落ち込んでしまった。これまで無意識のうちに安泰でいることを死守していたことに、それでいいのかという自問が始まった。それは私の知らない外側の世界が鋭利な刃物となって、私の喉元に突きつけられたようなものだった。
「そのお上品な衣服を装飾品ごとぜんぶ置いてきな」
 姿なき脅迫者は、そのようにして突き立てた刃物を私の喉の表皮に走らせた。

 私は、社会に出てこれで晴れて井の外に出たカワズになれたと勘違いしてた。両親から独立した程度で安泰だと錯覚していた。現実は「井戸の外の世界」とひと言でくくれるほど単純ではなく、言葉の響きが惑わせるほどの大きさのものでもなかった。もっと広く、大きく、深い。仕事に慣れ始めた私の視野が、これまで見てこなかったものを次々と捉え始めていた。

 確かに私はそれまで外界を遮断する繭の中で守られていて、ちんまり繭で仕切られた部屋の片隅で膝を抱えてうずくまっているだけだった。
 だけど世界は守られているいないの次元とは別のところにある。考えているよりずっと野蛮で出鱈目だ。非論理的で理不尽だ。仕事をこなせるようになるにつれ、世界の現実が鮮明に見えるようになっていた。

 世界は考えていたのとは違って、不完全なものだった。

 それでも人は諦観し、そのままを受け入れるようなことをしなかった。不完全なものを放置しておかず、できるところから地道にちょくちょく手直しをし始めた。進化の夜明けはどの時代にも訪れる。そのように、一見無駄とも思える努力に人間は惜しみなく汗を流す。
 この仕事だって例外ではない。溺れる人がいたら、上辺だけでも掬って救おうとする。保険の仕事とはそういうものであり、私たちが歯を食いしばって働けば、動いた分だけ救済の手を差し伸べられる。
 究極の話、人が創造する安心は気休めなのかもしれない。一定ラインを波が超えれば、ひとたまりもないではないか。
 だけど人は気持ちが安定していないと前には進めない。安心の創造は必需なのだ。保険はそのためのおまじない。

 庇護の壁に守られているうちは見えなかった未知の世界を、繭の部屋の扉を開けて雲海を見下ろす鉄塔のてっぺんに立った時に、私は広けた視野から見下ろした。

 会社は辞めない。経済社会で収入の道を断つことは愚行でしかない。だから自らにかけた保険は保持する。そのうえで、冒険の旅に出る。世間知らずから脱皮し、蝶となる。
 私は自分に磨きをかける。研磨だ。美しくなることも捨てがたいけれども、それと同じくらい、内側にも磨きをかける。経験を積み、試行錯誤を繰り返しながらいい女というものを目指してみたかった。
 守られた箱から飛び出したら、どんな冒険が待っているだろう?
 未知は私にとって降り注ぐ光だった。

 ストレートの髪をバッサリ切り落とし、ショートになった髪にパーマをかけた。色も入れた。親にとっていい子だった私は、この時死んだ。
 悪い子になったわけではない。ただ、居心地のいいゆりかごのような箱から飛び出しただけ。

 敷かれたレールの上を次の駅に向かって行くのではなく、原野に踏み入り、目的地不詳などこかに向かってみたかった。

 用意されたものに満足しているうちは、所詮は飼われた小鳥の生き方しかできない。小鳥は籠の中で、その世界がすべてだと信じて疑わなくなる。私とは何者なのかの探究の道を自ら閉ざし、籠という庇護の中で終わっていく。

 別にオートバイでなくてもよかった。軌道を変えられるものなら何でもよかった。
 無限に広がるタブーを尻目に、人生のアクセルを開いてみたかった。
 本当にオートバイでなくてもよかったんだよ。いろんな選択肢があったけど、なんとなく私はオートバイを選んでいた。
 オートバイには悪いイメージがあって、今までの自分を壊すのに適役なように思えたことが関係していた。


 免許を取って、乗った。これで私もなんだか不良の仲間入りな気分。初めての汚れ役のような立ち位置は、首輪を捨てたペットみたいで妙に清々しかった。

 乗り始めてから気づいたことがある。現代のライダーは、私の思っていたのと違って無法者ではなく礼儀正しい。追い抜けば左手上げてお礼を送るし、爆音で自動車を蹴散らす暴君もいない。あれだけ街を騒がせていた不良も年をとり、角が取れたということか。代わりに頭角を現してきたのが紳士淑女のライダーたち。
 当てが外れた思いがしたけど、正直、住み慣れた街に暮らすみたいでそっちのほうが気が楽だった。

 車両のタイプも改造マックスのごてごて暴走族スタイルから、すっきり仕上げられた清楚なスタイルの車両が目立つようになっている。変わっていなかったのは、凝り固まった私の古い考え方のほうだった。

 どれだけ刺激的なのだろうと思って異世界に飛び込んでみたものの、やってみればどうってことはなかった。慣れたのとは違う。バイクで道を切り開き、道の真実をこの目で見てきたにすぎない。それだけのことなのに、私は世間の風をも肩で切れるようになっていた。
 もともとオートバイに乗る資質のようなものが私には備わっていたのかしらと思うほど、バイクのある暮らしは私にしっくりきた。

 知らなければ済む世界がある。知ることは面倒で億劫だし労力を要するから、あえて知ろうとしないこともある。未知のものには畏怖を感じるものだから、怖くて踏み入れないこともある。
 知に対する考え方はさまざまだけど、そうした現実があることを肝に銘じたうえで、知への一歩を踏み出した。すると、世界は知識と反比例して小さくなっていくことに気がついた。知ろうとしない者は、棲む井戸のキャパシティを自分の首を自分で締めていくように小さくしていく。

 かつてオートバイに乗った不良たちは、太刀打ちできそうにもない社会に対して、爆音を撒き散らすという暴挙で吐き出しぶつけた。何を吐き出しているのか、何に対して抗っているのかを深く考えることなしに、巻いたゼンマイを解き放した暴れ玩具のような蛮行に走った。誰かが「現代社会のせいさ」と叫べば、思慮なくこだまとなってシュプレヒコールを繰り返し、なんとはなしに社会を限りのない悪者に仕立てていった。無知が道を暴走していたのだ。

 だけど今のオートバイ乗りは違う。無思慮に社会に反発したって弾かれてしまうことを知っているから、慎重にことを運ぶ。
 社会は、うまく利用してやればいい。

 フルフェイスのヘルメットを取れば、自他ともに社会適合者の私に戻っていく。かつての私を知る人が「ちっとも変わってないね」という私に。
 バイクに乗っているからといって、その時間、私は社会不適合者になるわけではなかった。ちゃんと適合した大人でいる。
 だけど夜な夜な、夜じゃなくって週末や休日にも、かつての私を知る人が知らない私になる。
 昔のままの私を保持しながら、違う私が闊歩する。

 そのようにして私に明日がやってくる。

 私は今、オートバイのある暮らしを送っている。

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