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老働力の尽きる日。

 65歳以上一斉抹消のような気もする。老働力確保の施策とも思える。どちらなのだろう。迷いはあったが、決意が勝り打った。
 10年も経てば結果がわかる。10年後は、神様の知っていた事実が明らかにされる時だ。神のみぞ知るの神は10年後に現れるものだというのか。
 ワクチン接収は、さて私にとって善か悪か。

 そういや神のみぞ知ってた今の私の10年前、私は廊下を歩いていた。町の規模に不釣り合いな大きな庁舎だった。庁舎までの便はよくなく、眠気眼をこするようにやってくるあてにならないバスは日に4便と人を小馬鹿にしていたし、信頼を寄せるには力不足と言わざるを得なかった。仕方なく中古のチンクエチェントを購入したのだけれども、これがまた気まぐれ猫と張り合うくらい機嫌をコロコロと変える代物だった。
 これでは埒があかないと、保険で買った電動アシスト自転車。電チャリが我が家にやってきて以来、そいつが交通手段のメインの足となる。
 職を失ったばかりの私の相棒として、その日も職業安定所がよいに嫌な顔ひとつせずつきあってくれていた。

 失業保険はもとなく、そんな時期だっただけに、高騰したガソリンを使わずに済む自転車は渡りに船と言えた。出ていく金を最小限に抑える。そういう時期にさしかかっているのだと、運命を手のひらに書き口中に放り込んで喉に流し込んでもいた。

 煩わしさが多様に絡み合っている時期でもあった。考えても解答のない人生のような解決すべきであろう▼▼▼▼▼▼▼▼▼課題は宙に浮いたまま、執拗な雨雲みたいに私の心に雨を降らせていた。私は心の雨に打たれずぶ濡れになってペダルを漕ぎ、踏む力に乗せて煩わしさの数々を引きちぎろうとしていた。だけど庁舎までの30分は、手強かった。なかなか私の思惑を遂行させてはくれない。

 誰が見ても地方公務員に鞍替えしたとは思えない見窄らしさは、その時の自分が置かれた立場に相応しい。卑下さえしていた身なりでも、庁舎に入れば希望の光に照らされる。確証のない将来でも、陶器の器に押しやられ蓋をされた光の届かぬ人生に比べれば遥かにマシのように思われた。顔を上げれば明るい未来が見える。そんな気にさせてくれる力があった。

 職業安定所は、庁舎の廊下の複雑に入り組んだ突き当たりにある。もっとシンプルな構造にできただろうに、故意にわかりにくく造り上げた節がある。入り口受付から始まる左右の廊下は右に行き、突き当たったら左、ふたつ目を左に折れ、すぐに右に曲がったどん詰まりの右手、それもご丁寧に角まで行かないと見つからない少し奥まったところに設置されている。
 仕事をさせたくないのか、職務に就く者が仕事を極力避けたかったのかはわからないけど、「見つからなければ仕事はなし」的な厭世感を放つ職業安定所だった。
 そいつを私は、猫の首根っこを抑えるみたいに見つけたのだ。
「こんにちは」
 最初、職員は緞帳のように降りた瞼の顔を上げただけで、私を煩わしそうに見上げるに終わった。
 え? 何も応えてくれないの?
 職務怠慢にも程があった。
 私の他に求職者はいない。初めての時も、二度目の時も。
 三度目の訪問で職業安定所の職員は私の顔を覚えたようで、四度目の訪問で声をかけてきた。
「先週、来られた方ですね」
 先々週もその前にも来ていますが。そう言おうと思ってやめた。真実は個々の意識の中にある。職員が「先週来た方」と認識しているのであれば、彼の真実は変えられない。
「まあ、そういうことになるんですかね」と私は曖昧に答えた。
「先週のとたいしてかわりませんがね」と職員が教えてくれた。

 この町では離職者は滅多に出ない。穴が開かないのだから穴を埋めるための求人も出ない。労働者の流動が極めて少ないこの町で、職を求めることに意味はなかった。
 初めからわかっていたことじゃないか。
 それでも顔を上げて、明るい未来を見上げたくなって、職業安定所に足を運んでいるのだ。

 職員は勢いをつけたように老けていた。歳をとり社会との関わりを断つと老化に拍車がかかるけど、予防のためにありついた就みたいに、命の火を爪に灯したような頼りげのなさで対応してくる。かろうじて仕事をこなしているか細くちっぽけなそんな老人に
は、彼よりもはるかに若い私に哀れみを視線に乗せて言った。「残念なことだけど」。
「そうみたい、ですね」と私はもっと残念そうな顔をして返した。
 このようにして、見上げる明るい未来は次週に持ち越しになる。それは、遠ざかっていくことと同義だったのかもしれない。

 この街に離職者は滅多に出ない。定年退職の概念が根こそぎ欠けているみたいに、誰も彼もが65を過ぎても働き続けることが当たり前みたいに仕事に就いている。
 だけど、離職者は滅多に出ない、というのは、たまには出る、ということだ。その例外は天寿をまっとうしたとき。
 その頃のその町は、新聞の死亡欄に閑古鳥が鳴くほど、老人たちが元気に仕事をしていた。
 そんな町でなぜ私が職を失ったのか。それは私を雇い入れてくれた経営者が逝去したからで、職を失くす稀なケースに遭遇してしまったせいだった。
 
 あの町は池だった。新しい血が流入することなく、古くから住む生き物だけが時間軸と共に老化していく。
 
 この国は、そのような流動性を失くした固定化された池にあふれている。これからさらにギネス記録を伸ばしていきそうな勢いだ。
 
 そこに政府に渡りに船。
「そろそろ、やってみる?」
 
 具合のいいきっかけは、大義名分を創り上げる。
「ダメだったら補償すればいいし。この機を逃したら、次のチャンスがいつ巡ってくるかわからない」
 
 労働力を老働力で賄う限界はとっくに越している。
「国民の皆さん、政府が責任をもってバックアップいたします。とくに体力的に不利な65歳以上の方、費用負担は政府持ち、もれなく打ってくださいね。政府印の超絶コロナ特効薬。まもなくご案内が届くはずです。それを持参しお近くの指定病院で接種を受けてくださいな」
 
 ワクチン接種。博打である。


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