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 英語もろくに喋れないくせに、もてる資金の尽きるまで過ごせるだけ過ごそうと渡米した区切りの年。それを機に、首輪をネクタイに変えた従順な飼い犬になると決めていた。
 生活は循環であり、そのサイクルの可動域で労働は歯車の軸となる。支柱が腰を据えていないと、動力はどこにも伝わらない。できうるならば左団扇で浮浪雲をと邪心が唆してきたけれど、不労所得からはあまりに縁遠いところにいた。いちど年貢を収めれば、海外転勤を除けば数年にいちど、ハワイの1ウィーク・ヴァケーションでお茶を濁すことしかできなくなる。
 資金的余力は、1年も持たないことはわかっている。帰路の1年オープンチケット内で収まると思えば、時限の歌舞伎と割り切れた。

 LAX。降機後の空港ビルを行く。採光の開口を最大限まで引き上げた窓は、ロスの空に青味をかけていた。成田の空と違って田畑の土臭さもなければ、黒髪で埋められた重さもない。軽やかな風合いの服装も関係しているのだろうが、日本の風景に日本人の黒髪は流れる空気を1オクターブ下げていたことをこの時初めて感じ取った。
 エアポートからしてアメリカはすこんと空気が抜けていた。
 
 ルート64にも踏み入った。これから続く希望の道に、視界いっぱいに広がる砂漠が拒むように立ちはだかっていた。それでもグレイハウンドはおかまいなしに闇の中に突入していく。闇はバスの巨体に引き裂かれ、喉を切られた呼吸で喘いでいる。路面の大きな波はシートを緩慢にうねらせ、隣のシートで眠る黒人の夢見心地を不快にさせた。
 
 何軒目かのモーテルで、モーテルらしからぬ愛想のいい女主人が陽気に世間話をふっかけてきた。英語がわかればさらりと交わせたものを、英語のとろさが彼女の張る網に捕えられた。
 なに? なんだって? なんて言ってるの?
 ただでさえ日本語に変換できずにあたふたしているのに、巻き舌で捲し立てられる英語に気圧され、尻尾を巻いて逃げ出したくなった。だが女主人の張る網はあまりにも手強く、逃してはくれない。
 理解できたのは彼女はメキシコ人で、日本人を見るのは初めてで驚いだ、ということ。それと、なぜ一眼レフカメラを首からぶら下げていないのか? と、髪は7:3に分けてはいないんだね、もあった。
 ほとんど Yes と No で会話を繋いだ。
 最後に、誕生日はいつだい? と訊かれた。慣れない一人旅で、しかもほとんどコミュニケーションの取れない体で心細くなってきたころだった。そのせいですっかり忘れていたが、その日が誕生日だった。
 
 Today!

 後にも先にも、泊まった宿で個人的に誕生日を祝ってもらったのはその時1回こっきりだ。
 
 資金は半年も持たなかった。長かったようでもあり、短かったようでもある。記憶は思い出の中で伸縮し、今でも助走をつけて現実社会に幻影を投影しては唆してくる。『早く帰ってきなよ』と。
 行きたいさ、そっちに。でも、もう叶わない。決めたんだもの、あれを最後に飼い犬になるって。
 
 新橋の裏路地に、最近できた家庭料理の居酒屋がランチを始めた。魚の目利きで、日替わりがめっぽううまい。半ば常連になって、顔を覚えられた。それでも行くたびに「おかえりぃ」はちと早いだろう。
「今日も日替わり、いくよ」注文する前に決められる。陽気で肝っ玉母さんな女将だ。
 捲し立てられることはないが、お喋りはあのメキシコ人女主人と似ている。
 会話の流れで「兄さん、誕生日はいつなんだい?」と訊かれた。
 懐かしいな、と思う。かつて同じことを訊かれたんだもの。
 そういや忙しさに紛れて、自分の誕生日のことなどすっかり忘れていた。そうだ、今日だ、今日が誕生日だったんだっけ。
「あの」少し迷ってから「Today」と答えていた。
 


 

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