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Happy end を操る。


Happy end がいい。 

角田光代さんは、救われない話を書く。
読むのは嫌いじゃない。
干上がった喉に、乾きとはこういうものだと怖いもの見たさの決定打を食らわしたくなるような自傷行動に駆られたときなどに。 

それでもたいがいは Happy end がいい。
よく終われば、よく眠れる。
ごはんも美味しく喉を通る。 

弊害もある。
Happy end が続くと、Happy がぼやけてきて、わからなくなってくる。何を基準に Happy と言えるのか、確証がもてなくなる。 

Happy には、足場が必要だったんだね。
幸せを見上げる大地がなければならなかったんだね。
空が青いのは、大地のおかげなんでしょ?
大地も空になっちゃうと、宙(そら)ばかりに。マリー・ローランサンの筆で描かれた世界をゲルニカの急襲で上塗りされるようなもん。いったん心暗さの絵の具で塗り固められたなら、もう元には戻らない。 だから、付かず離れずいい距離保って、行きつ戻りつの振り子を遊ぶ。 

そうやって、幸せ、浮き立たせるワケさ。 

「人生楽ありゃ苦もあるさ」は、結果の受容。
Happy end の塩加減は、手中の悟空。
こいつを悟りと言うならば、凡人の開眼への道は長く辛いものだった。 

紆余曲折の右往左往で、やっとここまで。

ふう。 

やっとひと息つけた感。 

それはちょうど、適温の湯に、頭残して身も心も溶け出したみたいな境地ってやつ。

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いろいろあっても、いや、いろいろあったからこそ、結末はいつだって Happy end がいい。

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