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老いて咲く花。

 老化で歯が抜け落ちていくように、老齢化が商店街の犬歯や切り歯、臼歯を次々に抜いていった。抜け落ちることが喜ばしい親知らずでさえ、無くなれば寂しいものだ。

 シャッターが降りたままの店もあれば、売りに出される店舗もある。シャッターは降りたままでも商店街の店舗は住居。住み続けるか、それとも去るかの大勝負。営業の賞味期限が過ぎてしまえば、大きな決断に迫られる。こんな商店街の未来図を描けば、繁華街とは対極をなす閑静な住宅地への変容が見えてくる。

 ところが、しばらく去る者を追わなかった商店街に種子が飛んできて、昨今、ぽつりぽつりと芽を出すようになってきた。
 中には抜けてもよさそな親知らず的な新店舗も見受けられるが、それはまあいい。意外にも客がつき、街の顔になっていくかもしれん。

 いっときは凪に向かい、そのまま明鏡止水の境地で息絶えそうに思えた商店街に、乗れそうな波が押し寄せ始めたということか。そんな、小さな息を吹き返そうとする商店街の姿に、かつてちんまりとした焼き鳥屋を営んでいた女将がぼそりとつぶやいた。
「お店、続けていればよかったなあ」
 聞けば、老齢を理由にいったんは隠居を決め込んだものの、店を閉めて早10年、85に手が届くお年頃でも未だ甚だ元気よく、漲る活力を持て余しているらしい。話す元気、考える元気、体も元気であるものの、閉店の節目は縁の切れ目。家に閉じこもれば誰との交流もなくなって、テレビを観る毎日が「退屈で退屈で」、で、前言の吐息のようなため息まじりのぼやきがこぼれてしまった次第。

 きっと女将だけではあるまい。社会との接点を切るんじゃなかった、どこかで社会とつながっておけばよかったと後悔している老齢男女▼▼▼▼は。

「貯金を切り崩しながら年金に足してどうにかやってこれたのだけど、リタイアしちゃったものだから、じき打ち出の小槌も効かなくなるし」
 85歳になったなら、ぽっくりってのがいちばんだわぁと、しんみり元女将が付け足した。言葉の裏には(わたしゃまだまだやれるのに)の余韻が糸を引いている。稼ぐ道が残っていれば、人生まだまだ楽しめる、と希望の星を見上げてる。

 都会にありながら取り残された感に包まれた昔ながらの商店街。廃れ気味とはいえ、それでも世間に知られたミニ銀座。新しく芽吹き始めた新緑にも花が咲き、新しい春を迎えようとしている商店街。花は蜜を出し、甘い匂いに誘われて、新しい蜂が集まるようになってきた。

「ここらで一丁、若い芽吹を後押ししてやろうかい」
 春を迎えつつあるといっても爛漫には程遠い商店街に、微力ながらも力を貸すか。

 女将、いちど降ろしたその腰を、よっこらしょっと持ち上げようと思ったよ。以前と同じ飲み屋経営となると資金繰りと体力がおぼつかないが、テイクアウトの焼き鳥屋ならということで、住居に建て替えた建物の商店街に面した壁をぶち壊し、販売用のショーケースに仕立てたよ。
 あと何年やれるかわからない。それでも、いちど絶ったつながりが戻ってくるなら。商店街が少しでも元気になるなら。そして何より自分の元気のために。

 老いて咲く花も花のうち。徒花あだばなだろうと、もうひと花咲かしてやろうじゃないの。

 お店は年明け1月下旬にはオープンするみたいだよ。

【ガーベラを手に。花言葉は「希望」「常に前進」】

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