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昭和の招き猫。

 サザエさんの住む町のようにはいかない。魚売り場の魚はすべてパックに入ったから咥えられなくなっちまったし、第一鮮魚店はスーパーに入ってる。昔のように路面店さらけ出しならどうにかやってのけられるのだけれど。
 学校に行ってもカツオみたいな男の子はもういない。ひと世代前の野球部員ならいざ知らず、坊主頭は流行らない。廊下に立たせる先生もモンスターペアレンツ怖さに教室の隅で怖気付いているし、少子化が落ちこぼれを作らない。花園さんだって宅建の資格取得に有名私立を目指してる。
 猫のオイラにゃ関係のないこってござんす! 猫も食わねどプライド高いから高楊枝、なれど、紋次郎ばりにクールに決め込ても、ルドルフのような出版前提のドラマチックな生き方は叶わない。
 生活レベルと教育レベルの底上げが、どんぶり勘定の余白を根こそぎ摘み取ってしまったんだな。

 人はよく「世の中、世知辛くなったなあ」ってぼやくけど、勝手なもんさ。オイラの暮らしを見てみなよ。住むとこないは、ご飯盗るのは死活問題だは、うろうろしてりゃ捕まるは。これじゃおちおち日課の散歩もしていられねぇ。比較しての世知辛さじゃない。遊園地のフリーフォール並みの急落下。
 
 このままじゃ、心身ともにマイっちまう。そろそろだね。毎週日曜日夕方過ぎの6時半、運よくサザエさんをどこぞの家族が見ていたら、液晶画面をすり抜けて、画面向こうのブラウン管から昭和の元いた町へ。
 
 オイラの名前かい? ルドルフの友なら「イッパイアッテナ」と答えるだろうよ。でも、オイラはヤツと違って潔いぜ。名はサダオ。貞子からもらった名前だい。

 どうだい、少しは畏敬の念を抱いてくれたかい。
 会いたくなったら、いつでもおいで。来る者は拒まず。まさに昭和な来る猫は拒まずの寛容などんぶり勘定の世界にさ。運がよければオイラもカメラで撮られてる。見つけてくれよな。
 気が合えば、向こうのブラウン管画面から現代の液晶画面に猫の手をのばしてやるよ。もちろん、向こうの世界に連れていってやるために。しっかりこの手を掴むんだぜぃ。
 憧れるだろ? 人情と、演歌と、貧乏が美徳だった時代にさ。物は無かったけど、現代が失くしたものに溢れてる。

 くれぐれも忘れてくれんなよ。毎週日曜日夕方過ぎの6時半。チャンスは1週間のうち、放映時間のわずか30分しか巡ってこない。観てね。
 
 昭和の招き猫より
 

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