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人生の歯車2

田舎に、帰ってきて主人の親との同居が始まりました。
主人は、戦争後にできた子供なので、
私と、主人の親とは、かなりの年の開きがありました。

初めは、何もかもが珍しいくらいでした。

私は、テーブルに座って大きくなりましたが、
主人の家は昔ながらの、飯台と呼ばれる、
あの昔ながらのちゃぶ台が、置かれていました。
私は、それこそお話の中でしか、みたことがない、
そのちゃぶ台が、珍しく、タイムスリップした、
感覚を味わっていたのです。

その上に、主人の父親の入れ歯が、コップの中に、ちんまりと、
入っているし、
それは、みたことがない光景だったので、驚きました。(@@)
総入れ歯を見るのは、この時が初めてでした。
どうして、それが口の中に入るのか、不思議でした。

それに、大きな食器棚が置かれていて、
レトロチックな、古い食器がたくさん並んでいました。
で、あるのに主人の母は、何か景品でもらったような、
宣伝の入っているコップやら、皿を使うので、
いつまでたっても、そのレトロチックな器たちは、
ひっそりと、棚の影に息を殺して並んでいました。


今では、笑い話になるけど、
一番

えー!

だったのは、

タオルです。

あまりにも、ものすごいタオルが、
使い過ぎて、擦り切れて色が茶色に変色し、
骨組みだけになったようなタオルが、
タオル掛けにかかっていたので、

私は、可愛いタオルを買いに行って、タオル掛けに掛け直しました。

炊事をする時は、必ずなんども手を拭かないといけないし、
それを、あまりにも使い古して茶色くなった、
タオルは、どうも使えなかったから、
ところが、一日経つと、前のタオルに変わっていて、
私の買ったタオルは、
どこかに行ってしまいました。

「あれ、もう洗濯に誰かが出したのかな?」

と思って、
又、新しい買ってきたばかりのタオルに、
古い変色して筋だけになったタオルを、掛け直しました。

ところが、
又次の日になると古いタオルがかかっています。

これは、聞くしかない。
「お母さん、ここに掛けていたタオル知らない?
私が、買って来たんだけど。」
と主人の母に尋ねました。
「ああ、綺麗で、もったいないと思って、。しまった。」

え?   えー。でした。

もったいないにも、ほどがある、
人が、わざわざ買ってきたタオルまでもったいないと、
しまってしまうなんて、考えられない。
と心の中で、ツッコミを入れました。

でも、仕方がないので、
「お母さん、私が買ってきたタオルは、置いといて下さい。」
と言うしかありませんでした。

主人には、夜に帰ってきたら、

直ぐチクりました。

その時は、なんかおかしいよりも、
腹がたっていたけれども、
母がいない今になれば、笑い話になってしまいます。
私たちは、時々、その話をしては、
可笑しくて笑ってしまいます。

後になってみれば、そうやってその時はドタバタしていたことが、
可笑しくてしょうがない事があります。

親との同居は、その連続かもしれません。
そして、子供達と、生活するのも、その連続かもしれません。

じぁ、親との同居は嫌な事ばかりなのかといえば、
そうでもないのです。

その母の、ケチさ、いや、倹約さ加減により、
母は、自分は使わずに、大量の年代物のタオル、石鹸を、
それこそ、備蓄していましたから、
私たちは、その恩恵に授かりました。

何か、いるともなれば、
勿体無いとしまっていた物を、
出してくるので、
バスタオルも、
少しデザインはレトロチックな見たこともないデザインですが、
(それは、それで、珍しかったのです。)
別に普通に使えますし。

石鹸は、二階の畳の部屋に大人の胸ぐらいまで、
貰い物の石鹸の箱が、積み上げてありました。
それを、子供が大きくなるまで、使いました。
貰い物なので、高級品の石鹸もあって、
贅沢気分も味わえました。

子供が、中学に入学する頃に、
主人のお古の中学校の制服を出してきました。
勿体無いので、しまっていたんでしょう。

それは流石に、制服の形も古いし、
膝はする切れているし、無理と思ったので、
一様、
「すみません。」と言っておいて、

ゴミの日に、捨てました。

親と一緒に暮らしているうちに、
主人の奇妙な行動も少し理解できる様になりました。


その話は、別の機会に。

二話終わり。


最後まで、読んで下さってありがとうございます! 心の琴線に触れるような歌詞が描けたらなぁと考える日々。 あなたの心に届いたのなら、本当に嬉しい。 なんの束縛もないので、自由に書いています。 サポートは友達の健康回復の為に使わせていただいてます(お茶会など)