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あの、夏の日8

古橋さんは、粘土制作のアトリエに復帰してきました。
片手は、首からの包帯で吊り下げていますが、
片手で、粘土を貼り付けています。

みんな、「おはよう」以外のことは、
誰も何も言いませんでした。

古橋さんが、歯をくい縛って自分の運命と、
戦っているのがわかるからです。

まだ、痛みが抜けてはいないはずなのに、
こんなに早く粘土の現場に復帰してきて、
「負けるもんか。」という気持ちだけで、
粘土を貼り付けているのがわかるからです。

しかも、腕一本で彫刻の細かいところを彫り、
営業にも出かけて、自分の作品を売り込んで、
食べていかねばなりません。
その気持ちが、ひしひしと伝わってきたからです。
わたし達は、以前と変わらないままいる事しか、
出来なかったのでした。

おじさんは、仕事と介護で忙しく、
アトリエには顔を見せませんでした。

秋も深まった頃は、
新しいモデルさんをお願いして、
新たなスタートをきりました。

わたし達は、いいのですが、モデルさんは裸なので寒いから、
だるまストーブに、もう火を入れます。
パチパチと、音がして、暖かさに部屋は満ちてきます。

みんなは、半袖で作品に取り組むのです。
アトリエの、周囲は柿の木が沢山植えてあり、
だんだんと朝晩が冷え込んでくると、色付いてきます。

秋は休憩の時は、その景色を眺めながら、
ストーブの上にパンを並べて、
薄いコーヒーを入れ、
パンを焼いて食べるお楽しみの始まりの季節です。

薪ストーブの上で焼くパンは、格別なのです。
カリカリにパンが焼ける香ばしい匂いと、
じんわり温かい部屋の温もりと、
みんなの温かい気持ちが静かな部屋に流れていて、
安らぐ空間を作っています。

その中で、絵を描いていると、
集中力は時間を超えて、はるか遠くにいくのか、
それとも、ここはどこで、何時なのか?
わからない気持ちに、突入していきます。
それが、心地よくて絵を描いているようなものです。

家に帰る、とある現実
家に帰るとある現実の世界。
私の母と父は、仲が悪く言い争いが絶えませんでした。
どちらも、自分の両親なので、
その、狭間にいる自分は、どこにも行けずに、
その場に鎖で、つながれています。
身動き出来ないのです。

絵を描くことは、その鎖を外すことだったと思います。
どこに居ても、自由に想像の世界に、遊ぶ自分。
誰にも、邪魔される事はありません。
はるか彼方を、飛び回る気分でした。
対象物の中に、静かに入っていき、同化したり、
色の調和を、思案して組み立てる。
そうして、自分自身のバランスを保っていたのです。


私が頼まれてイラストを描いたり、貼り絵を作ったりすると、
両親は、知り合いから褒められて嬉しい気持ちになるようで、
私の絵の世界を止める事は、ありませんでした。

私達は不器用で、
自分自身の悩みを誰かに告げることもできず、
そうかと言って、お酒を飲みながら誰かに話を聞いてもらう、
時間も、お金も持ちあわせていない現実に向き合いながら、
白い紙と、鉛筆。
あるいは、粘土に自分の思いを込めて、
線を描き、
モデルを見つめ、
自分の持てる力を、注ぎ込むのでした。

第8話終わり
最後までお読み頂きありがとうございました。








最後まで、読んで下さってありがとうございます! 心の琴線に触れるような歌詞が描けたらなぁと考える日々。 あなたの心に届いたのなら、本当に嬉しい。 なんの束縛もないので、自由に書いています。 サポートは友達の健康回復の為に使わせていただいてます(お茶会など)