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(それでも)まわる、まわる。

一番好きと言っても過言では無いアーティストのレコードを貸してもらった。

『iri』
2016-2020の間に彼女から生まれた音楽は特に好きなものが多い。
出会ったのは私が大学に入ってすぐの頃だから2019ごろ?いや高3の終わりには聞いてたから2018だな。

でも車を持つようになった大学の1年の冬頃、あの頃が1番沢山聞いてた気がする。
あの年は雪が少なかったなとか、免許取りたての時期だったなとか。夜になると何も無いように見える山形の道をドライブ。真っ暗な中を運転しながらiriの音楽を携えて帰宅していた。色々あった頃だった。課題終わんないな、とかバイト遅くまでやった疲れたなとか誰とどんな話をしたかとか。本当に細々とした日々の私の喜怒哀楽たち。今も昔も自分の記憶のディスコグラフィがこんなにも鮮明なのは確実に音楽のせいだ。

貸してもらったレコードを回しながら、私はワーキャー騒ぎつつ、iriの良さを語り合う中で、「懐かしい」を共有しようにもできないことで気がついた。お互いの聞いていた時間はお互いのものだったから。生きた時間は同じでも、同じ時に全然違う人と同じ曲の良さを分かち合えるってやっぱり素敵だなと思うと同時に、到底その時の感情の感触は想像もつかない。このときはああで、こうで...とかね。車の運転を思い出すんだ。大学が、バイトが、忙しかったんだ。なんてパーソナルな思い出を微塵も共有できない感じが特に。同じ時、同じ場所で生きた人ですらないとなると共有し、懐かしむことが出来るのは、たった1人の私自身しかいないのだ。それでもレコードはまわる、まわる。「あ、そのフレーズがね...」の次の瞬間にそれはもう過去になっている。同じ時は回らない。

音楽もサブスクリプションで大量消費される世の中になってしまった。こんな物言いをすると悲しいんでいるかのようにも思えるが、私はかなり恩恵を受けているのでちょっと違う。
何が言いたいのかと言うと、「人生も、レコードも回りだしたらそれっきり」なところが似ているなぁとか思う。CDですら逆再生やリピート、スキップができる。レコードにはそれができない。それがいいんだろうな。
「あ、あの時の!」という瞬間の感動はその時にしか訪れない。好きなところだけを持ち帰ることも出来ないし、嫌なことをスキップする訳にもいかない。回りだしたら全てを受け入れるしかないんだ。本当によく似ていて、残酷で素敵だ。

私が生の音楽を愛しているのもきっとそういうことだし、必要な時に出会った人達を今でも大事に大事にしているのは似ているようなこと。まわったらどんな形であれ、エンドロールがくる。まわる、まわるのだ。

ちょっと無理をして生の音楽を浴びに行った。
会いたかった人達にも会うために。
こっちで出会った人が実は友達の友達でした、とかいう運命みたいな出会いも大事にしたかったから。
ステージに居たアーティストたちは全身で音楽を表現していた。そういう瞬間に立ち会うと、何度でも思うけど「生きていて良かった」と思う。こんな瞬間はどんな風に刻まれるんだろうか。後の私にどんな影響をくれるんだろうか。きっと彼女の音楽を私は日常のお守りにするに違いない。身につけ、持ち歩き、そこで出会った記憶たちと私のディスコグラフィを刻んでくれるんだろうな。

まわる、まわる。

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