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Femme/Homme Fatale

「女がファム・ファタールならさ、
  男版はなんて言うんだろうね?」
私の唐突の質問に
「フランスにはそんな酷いやつは
  存在しないんじゃないか?」
と言う。
・・・・
「んなわけあるか」
しっかりツッコミを入れて夜の海を眺めてその日はおしまい。

ゆっくりできる時間が増え、思考する事が増えてきた。相変わらず細くなってしまった食欲を取り戻すためにどうしようかと思う日もあるが。
「惰性でも続けられることを見つけるといい」
「今はゆっくりしたらいい」
「神様から休息が必要だと言われてるんだよ」
エトセトラエトセトラ....

選民思想なるものは無いが、ある程度その覚悟を持たないと自分の身が持たないこともよく分かった。私が大事にしたいことを同じように大事にしてくれる人が居てくれたらそれでいいとも思う。
ようはファンを作れって話だ。(これは言われた)

グタグタ管を巻くような、悲観的になってしまうこんな私でも人が好きだ。
HSS型HSPの宿命とも言える。
色んな物語があって色んな考えがあって。
そして人のいい所をみつけた瞬間が1番楽しい。その瞬間を増やすために何ができるか、とか。
でもそれは人に限った話じゃなかったとも気がついた。

私が惰性で出来ることの1つは料理だ。
料理は好きだ。放送中のフェルマーの料理を見て、料理もクリエイティブだよなぁ、料理は化学なんだ、とよく両親と語らったのを思い出した。実家でよく聞いていた旨み成分の名前を久しぶりにセリフ越しに聞くと、日常に美味しいと感じるための理論が根付いた環境だったんだとドラマを見ていて気がついた。なぜ美味しくできたのか、タネ明かしを得意気にする母のいた食卓が当たり前にあったせいで、これが結構恵まれていたと知覚したのはひとり暮らしを始め、誰かに「誰かのために」料理をするようになったからだ。無知の知。

ファム・ファタールだってよく聞くから知っていただけであり、戯曲の「サロメ」を知っていたから内容を知っていただけであり。オーブリービアズリーの絵が衝撃的だったから覚えていただけであり。人を狂わせるのは女だけではないし、オム/ファム・ファタールと両性的に人を狂わせる人は存在する。らしい。

狂うってなんだ?情熱か?妄信することか?思想に染まることか?思考停止することか?

体感的な狂うはなんとなくわかる気がする。でも少し思考すれば行動に出過ぎることはない。狂った結果、動に現れる人は原始的なまだ赤子なのかも。こんなこと言ってたら色んなところから角の立つ思考だとは思うが。
人間の感情は、年と共にフラットになって行く気がする。それは味覚が過敏だった幼少期より大人になればピーマンやコーヒーが好きになってしまうことに似ている。味覚は味蕾細胞が少なくなり、刺激物に対して反応が緩くなる。だから脳が麻痺して好きだと思えるようになる、らしい。(または好きでも嫌いでもないぼんやりしたものになるらしい)

狂うに直結する程の感情は大人になるにつれて希薄になっていくのだろうか。

無感情に向かっていく感覚がある。

と言う大人が周りにチラホラ増えた今年。
悲しいことに今の私も若干わかりつつある。
感情の収束やフラット加減がなんとなく味覚の落ちていく感覚に似ている気がして、ビールが苦手だったはずなのに今は好きになった。
味覚でさえも大人になったことを少し寂しく思えたのはここだけの話にしてほしい。

恋に焦がれて心中したロミオとジュリエット。
奥さんとでもない人と入水自殺した太宰治。

縁あって参加させて貰えたAdobe Max Japanで今をときめくトップクリエイターのPERIMETRONのOSRINさんがキャストやチームのメンバーに何か物を作る時、
「一緒に死んでくれ。って言います」
と笑って壇上に立つ姿を見て、これがファム・ファタールに近い存在なのかと思った。
まさに偶像的なファタールだ。
「仲間を作れ」
とオーディエンスを鼓舞するその勢いと煌めきが余計にファム・ファタールを思い出した。人が熱狂するクリエイティブを作る人はしっかり狂っているのかもしれないし、それは私も分かっている。

が、狂える勢いという名の精神的体力は消費期限があるとも思っている。今しかないその今を私はどうしたいんだろうな、とグルグル考えるには時間が足りなかった。やっぱり心中できるくらいに心酔できる存在をみつけるのが手っ取り早いのかもしれないな。

さて、フェルマーの料理の結末はどうなるんだろう。ひと皿で感動させるため料理にのめり込んでいくその狂い方がどうなっていくのか楽しみだったりする。

話は私に戻れど、私は脳内調味が得意だ。
過敏な神経の中でも嗅覚は特に鋭い。副産物として味覚もまあ鋭い方だ。それを活かしてなにやら色々実験ができるチャンスを頂けたので、私の武器をまた一つ探すことにしようと思う。誰かにとってのある意味ファム・ファタールを志す日が来るのかもしれない。(もちろん破滅的なそういった方向は目指してない)(本来的な意味をググッてくれ)

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